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[MZZ50-04] 望月勝海(1905-1963)が選んだ地学への道(望月勝海日記通読計画1)
キーワード:望月勝海、ウェゲナー、岡田家武
望月勝海は1905年海軍軍医の長男として生まれた。1911年、父が病没して、当然軍医となることを運命づけられていたが、地質学者となり、素晴らしい業績を遺した。この転換の理由を幼少期の日記から探ってみたい。青山師範付属小学校では優秀な成績で特に数学の成績がよかった。東京府立第1中学校に悠々と入学した。第1中学校ではドイツ語先修であった。よく勉強し、後のリヒトホーフェンの『志那』の翻訳の礎となる。優秀な成績が続くはずで、中学時には第1高等学校進学が見えてていたはずだが、中学時代に大きな病気をし、成績が下がり、経済的な問題もあり、中学4年で水戸高等学校に進む。この頃から地図を読むことが好きだったことなどで、地質学進学に転向する。母親への痛切な手紙が残っている。その後、東京帝国大学理学部地質学科に進学する。途中、地理学あるいは古生物学へも興味が移っていく。また、原書を読み込もうと計画し、Wegenerの『大陸と海洋の起源』を完読する。当時、Wegenerが地球物理学者にはよく読まれ、地質学者には読まれなかったという歴史記述があるが、そうではないと思える証拠である。また、地質学教室に入学すると同時に上海科学研究所で地球化学を研究した岡田家武(1904-1970)の訪問がある。望月は大学生になっても入院・手術といったことが何回かあったが、手術当日に岡田の見舞いを受けた。今のところ、望月への岡田の影響は不明だが、面白い出会いがあったとわかった。