11:00 〜 13:00
[SGL24-P04] 関東山地,跡倉ナップの木呂子緑色岩メランジュの泥質変成岩
キーワード:緑色岩メランジュ、みかぶユニット、跡倉ナップ
跡倉ナップを構成する地質体は70-60Maの弧―海溝系の前弧域に分布していた地質体である.その前弧域で起きた大規模なナップテクトニクスの終焉期に跡倉ナップや領家ナップが形成された.ここでは,寄居-小川地域の跡倉ナップ南縁部に分布する木呂子緑色岩メランジュを検討する.この地質体は,三波川変成岩の近傍に分布していたものであり,木呂子変成岩と構造岩塊と蛇紋岩から構成されている.この地質体の研究は,前弧域東端部の地質解明にとって重要である.
木呂子変成岩は低温の変成作用を被った緑色岩,チャート,泥岩(スレート),砂岩および礫岩などからなる.緑色岩は多種多様な構造岩塊を包有している.構造岩塊は,木呂子変成岩や蛇紋岩が地殻上層部に上昇した際に捕獲された地質体である.構造岩塊の多様性からみて,地殻上層部はメランジュ地帯であったと考えられる.蛇紋岩は木呂子変成岩や構造岩塊に貫入していると推定されている.ただし,添付図の地点Wの蛇紋岩は木呂子変成岩の一員である可能性が高い.
木呂子緑色岩メランジュのルートマップと泥岩や緑色岩の岩石組織が添付図に掲載されている.このルートマップは以前発表したものとは異なり,地質図的なものとなっている.すなわち,木呂子地域では,緑色岩がおもに分布する地域,泥岩や砂岩が卓越する地域,メタガブロ(構造岩塊)の分布域,蛇紋岩の分布域が図示されている.これらの分布域は,ルートマップの地点Y付近では,片理面の走向と調和的にほぼ東西方向に配列している.居用地域では,木呂子地域には存在しないチャートが卓越する地域と肥後-阿武隈帯起源の花崗岩や変成岩の分布域が図示されている.
木呂子地域のルートマップについて,地点 aではトーナル岩,蛇紋岩,泥岩,砂岩,チャート,緑色岩が沢沿いに露出している(添付図 loc.a).チャートと緑色岩の境界は整合的である.チャート近傍の緑色岩は石英質の部分が多く,チャートとの漸移性が認められる.この緑色岩のK-Ar全岩年代は57.4Maである.この緑色岩はごく細粒のアクチノ閃石-緑泥石片岩であるが(顕微鏡写真,添付図 a),不均質な岩石であって,レンズ状の青黒い細粒の泥質岩が介在している(添付図の岩片の矢印および顕微鏡写真).泥質岩のおもな構成鉱物は非常に細粒の白雲母,アクチノ閃石,緑泥石,炭質物などである.砕屑粒子と推定される白雲母は認められない.緑色岩近傍の泥岩についても年代測定がなされ,K-Ar全岩年代は117Maである.泥岩には細粒の変成鉱物の他に砕屑粒子と考えられる粗粒の石英や白雲母がかなり多く認められ,これが古い年代値の原因と推定される.なお,木呂子変成岩の泥質変成岩(泥岩やスレート)にはごく普通に砕屑粒子と推定される粗粒の石英や長石や白雲母が存在する.その存在状況が添付図(Kiroko, b & c)に提示されている.また,泥岩には石英脈が多いものがある.泥岩の面構造は石英脈の内部に連続している(Kiroko, a).
地点Yには泥質混在岩がメタガブロに挟まっている.基質は泥岩で礫は砂岩やメタチャートなどである.地点Zには南から北に向かって蛇紋岩,泥岩,蛇紋岩礫岩,スレート,緑色岩,砂岩,礫岩がこの順に露出している.礫岩は砂岩や泥岩などの角礫から成る混在岩で,スランプ堆積物と推定される.厚さ約5mの緑色岩の大部分は,緑色岩の礫から成る凝灰質礫岩である.
東秩父村の居用地域の南縁部には泥岩,砂岩,礫岩,チャート,礫質砂岩が広範囲に点在している.塊状のチャートがかなり多く,赤色泥岩は一ヶ所(赤丸)に見出される.地点 eの南方の泥質チャートについて,石英は径5µm前後と微細であり,白雲母は羽毛状の形態を呈する.地点 dやeの泥岩(Dodaira, d & Iyo, e)も非常に細粒の鉱物が多い.微細な白雲母は定方向配列を呈し,変成鉱物と考えられる.大きい白雲母や石英も点在するが,それらは砕屑鉱物と推定される.なお,居用地域のTuff brecciaは,おもに再結晶性の悪い凝灰質角礫からなり,構造岩塊かもしれない.
なお,今回調べられた緑色岩や泥岩などにプレーナイトやプレーナイト脈は見出されていない.
以上のように,木呂子緑色岩メランジュの緑色岩や泥質岩の変成鉱物は微細である.これらの変成岩の変成度は低く,泥質岩にはかなり多くの砕屑粒子が残存している.一方,関東山地北東部のみかぶユニットには泥質・砂質片岩がごく少ない上に,変成度はかなり高く,泥質片岩に砕屑粒子は残存していない.調査地域にみかぶユニットは分布していない.
木呂子変成岩は低温の変成作用を被った緑色岩,チャート,泥岩(スレート),砂岩および礫岩などからなる.緑色岩は多種多様な構造岩塊を包有している.構造岩塊は,木呂子変成岩や蛇紋岩が地殻上層部に上昇した際に捕獲された地質体である.構造岩塊の多様性からみて,地殻上層部はメランジュ地帯であったと考えられる.蛇紋岩は木呂子変成岩や構造岩塊に貫入していると推定されている.ただし,添付図の地点Wの蛇紋岩は木呂子変成岩の一員である可能性が高い.
木呂子緑色岩メランジュのルートマップと泥岩や緑色岩の岩石組織が添付図に掲載されている.このルートマップは以前発表したものとは異なり,地質図的なものとなっている.すなわち,木呂子地域では,緑色岩がおもに分布する地域,泥岩や砂岩が卓越する地域,メタガブロ(構造岩塊)の分布域,蛇紋岩の分布域が図示されている.これらの分布域は,ルートマップの地点Y付近では,片理面の走向と調和的にほぼ東西方向に配列している.居用地域では,木呂子地域には存在しないチャートが卓越する地域と肥後-阿武隈帯起源の花崗岩や変成岩の分布域が図示されている.
木呂子地域のルートマップについて,地点 aではトーナル岩,蛇紋岩,泥岩,砂岩,チャート,緑色岩が沢沿いに露出している(添付図 loc.a).チャートと緑色岩の境界は整合的である.チャート近傍の緑色岩は石英質の部分が多く,チャートとの漸移性が認められる.この緑色岩のK-Ar全岩年代は57.4Maである.この緑色岩はごく細粒のアクチノ閃石-緑泥石片岩であるが(顕微鏡写真,添付図 a),不均質な岩石であって,レンズ状の青黒い細粒の泥質岩が介在している(添付図の岩片の矢印および顕微鏡写真).泥質岩のおもな構成鉱物は非常に細粒の白雲母,アクチノ閃石,緑泥石,炭質物などである.砕屑粒子と推定される白雲母は認められない.緑色岩近傍の泥岩についても年代測定がなされ,K-Ar全岩年代は117Maである.泥岩には細粒の変成鉱物の他に砕屑粒子と考えられる粗粒の石英や白雲母がかなり多く認められ,これが古い年代値の原因と推定される.なお,木呂子変成岩の泥質変成岩(泥岩やスレート)にはごく普通に砕屑粒子と推定される粗粒の石英や長石や白雲母が存在する.その存在状況が添付図(Kiroko, b & c)に提示されている.また,泥岩には石英脈が多いものがある.泥岩の面構造は石英脈の内部に連続している(Kiroko, a).
地点Yには泥質混在岩がメタガブロに挟まっている.基質は泥岩で礫は砂岩やメタチャートなどである.地点Zには南から北に向かって蛇紋岩,泥岩,蛇紋岩礫岩,スレート,緑色岩,砂岩,礫岩がこの順に露出している.礫岩は砂岩や泥岩などの角礫から成る混在岩で,スランプ堆積物と推定される.厚さ約5mの緑色岩の大部分は,緑色岩の礫から成る凝灰質礫岩である.
東秩父村の居用地域の南縁部には泥岩,砂岩,礫岩,チャート,礫質砂岩が広範囲に点在している.塊状のチャートがかなり多く,赤色泥岩は一ヶ所(赤丸)に見出される.地点 eの南方の泥質チャートについて,石英は径5µm前後と微細であり,白雲母は羽毛状の形態を呈する.地点 dやeの泥岩(Dodaira, d & Iyo, e)も非常に細粒の鉱物が多い.微細な白雲母は定方向配列を呈し,変成鉱物と考えられる.大きい白雲母や石英も点在するが,それらは砕屑鉱物と推定される.なお,居用地域のTuff brecciaは,おもに再結晶性の悪い凝灰質角礫からなり,構造岩塊かもしれない.
なお,今回調べられた緑色岩や泥岩などにプレーナイトやプレーナイト脈は見出されていない.
以上のように,木呂子緑色岩メランジュの緑色岩や泥質岩の変成鉱物は微細である.これらの変成岩の変成度は低く,泥質岩にはかなり多くの砕屑粒子が残存している.一方,関東山地北東部のみかぶユニットには泥質・砂質片岩がごく少ない上に,変成度はかなり高く,泥質片岩に砕屑粒子は残存していない.調査地域にみかぶユニットは分布していない.