16:15 〜 16:30
[MZZ39-04] 横山又次郎と上野家のつながり
キーワード:横山又次郎、上野彦馬、上野丹葉、長崎市、古生物学、写真
「日本の古生物学の父」と称される横山又次郎(1860–1942)は, 長崎市の出島で阿蘭陀通詞をしていた横山又次右衛門(得齋)の次男として生まれ, ドイツ留学を経て古生物学を習得し, 東京帝国大学理科大学の教授として古生物学の講座を日本人で初めて担当した人物である. 彼は多くの化石を記載しただけではなく, 後進の育成や一般大衆への科学の普及にも努めたことでも知られている.
一方, 鵜飼玉川や下岡蓮杖と並び「日本の写真の開祖」と称される上野彦馬(1838–1904)は, 長崎市を流れる中島川沿いに開設した上野撮影局にて多くの人々を撮影した. その中には坂本龍馬やトーマス・ブレーク・グラバーといった著名人の姿もあった. 商業写真家として活躍する前には, 津藩の有造館にて舎密学(化学)の講座を担当していたほか, 「舎密局必携」という化学の解説書を執筆する等, 化学者や教育者としての側面も持ち合わせていた.
日本が近代国家へと変貌していく中, 両者はそれぞれの分野で開拓者となり, 今日まで続く様々な学問や文化に大きな影響を与えてきた. そんな彼らを結び付けた一人の女性がいた. それは彦馬の姉の上野丹葉である. 本発表では, 近年明らかになってきた上野丹葉に関する知見を報告するとともに, 又次郎にとって彦馬がどのような存在であったのかを考察する.
一方, 鵜飼玉川や下岡蓮杖と並び「日本の写真の開祖」と称される上野彦馬(1838–1904)は, 長崎市を流れる中島川沿いに開設した上野撮影局にて多くの人々を撮影した. その中には坂本龍馬やトーマス・ブレーク・グラバーといった著名人の姿もあった. 商業写真家として活躍する前には, 津藩の有造館にて舎密学(化学)の講座を担当していたほか, 「舎密局必携」という化学の解説書を執筆する等, 化学者や教育者としての側面も持ち合わせていた.
日本が近代国家へと変貌していく中, 両者はそれぞれの分野で開拓者となり, 今日まで続く様々な学問や文化に大きな影響を与えてきた. そんな彼らを結び付けた一人の女性がいた. それは彦馬の姉の上野丹葉である. 本発表では, 近年明らかになってきた上野丹葉に関する知見を報告するとともに, 又次郎にとって彦馬がどのような存在であったのかを考察する.