日本地球惑星科学連合2023年大会

講演情報

[J] オンラインポスター発表

セッション記号 M (領域外・複数領域) » M-ZZ その他

[M-ZZ43] ジオパークとサステナビリティ(ポスター)

2023年5月21日(日) 15:30 〜 17:00 オンラインポスターZoom会場 (2) (オンラインポスター)

コンビーナ:松原 典孝(兵庫県立大学大学院 地域資源マネジメント研究科)、佐野 恭平(兵庫県立大学大学院 地域資源マネジメント研究科)、郡山 鈴夏(フォッサマグナミュージアム)、横山 光(北翔大学)

現地ポスター発表開催日時 (2023/5/21 17:15-18:45)

15:30 〜 17:00

[MZZ43-P21] おおいた豊後大野ジオパークにおける阿蘇4火砕流がつくる地形と水の利用史

*吉岡 敏和1、後藤 祥1 (1.おおいた豊後大野ジオパーク推進協議会)

キーワード:おおいた豊後大野ジオパーク、阿蘇4火砕流、湧水、水利用、文化的景観

おおいた豊後大野ジオパークが位置する大分県南部は、広大なカルデラを伴う阿蘇火山の東にあたり、約9万年前に噴出した阿蘇4火砕流によって形成された火砕流台地が広がっている。台地は大野川やその支流河川によって深く開析され、柱状節理の発達した溶結凝灰岩の岩壁が連なる峡谷となるとともに、侵食され残った部分は「原(はる)」と呼ばれる台地となった。
この地に人々が暮らすにあたり、居住や耕作に必要な平坦地は台地上や台地斜面にあったにもかかわらず、河川は深い谷底を流れているため、生活に必要な水を得るのは困難であった。そこで、まず利用されたのが湧水である。阿蘇4火砕流堆積物とその下位の阿蘇3火砕流堆積物の間、および阿蘇3火砕流堆積物の下位には、成層した降下火山灰層および降下軽石層が分布することが多い。このうち比較的粗粒の軽石層や、火砕流堆積物の基底は透水層となり、これらが崖面に露出すると湧水となる。豊後大野周辺では阿蘇4および阿蘇3火砕流堆積物の溶結凝灰岩にはしばしば磨崖仏が彫られているが、市内のほぼすべての磨崖仏において直下に湧水が見られる。これは、ほとんどの磨崖仏が火砕流堆積物下部の比較的亀裂の少ない弱溶結の凝灰岩に彫られているため、その直下に透水層が存在することが多いことによる。また逆に、その湧水を守り持続的に利用するために、磨崖仏をまつって神聖な場所としたと考えることもできる。
しかしながら、このような湧水では大規模な水田耕作を行うに十分な水量を得ることは困難であった。そのため、この地域では古くから灌漑用の水路が作られてきた。とくに市内西部の緒方町周辺では、主要河川の上流に取水口が設けられ、「井路(いろ)」と呼ばれる水路で台地や段丘上に水を供給することにより、広範囲で水田が営まれるようになった。井路の起源は平安時代にまでさかのぼると言われており、江戸時代には井路を境に水田地域と居住地域を分ける政策がとられ、現在の集落景観の基礎が作られた。さらに明治以降には丘陵頂部にまで水を供給するための長距離水路が建設され、丘陵を刻む支谷の谷頭部にも棚田が造営されることとなった。これらの棚田は「新田(しんた)」として、それ以前の「古田(こた)」と区別されている。
このようにおおいた豊後大野ジオパークでは、人々は阿蘇火砕流による地形・地質の特性を利用し、またその一方で困難を克服しつつ、水を持続的、安定的に利用するための努力を積み重ねてきた。そしてその努力の結果の一つが現在の集落・水田景観であり、それらがよく残された豊後大野市緒方町の「緒方川と緒方盆地の農村景観」は、令和4年12月に国の重要文化的景観への選定が答申された。