17:15 〜 18:45
[MZZ46-P03] 十勝岳ジオパークと火砕流堆積物について
キーワード:ジオパーク、火砕流堆積物、農業
十勝岳ジオパークは北海道の中央部に位置し,美瑛町と上富良野町の2町で構成されている.本地域では,“波状丘陵”と呼ばれる大規模火砕流を基盤とした周氷河地形が顕著である.この大規模火砕流は,十勝火砕流と美瑛火砕流から成り,約200万〜80万年前に発生したカルデラ噴火により形成されたと考えられている.この波打つ大地は,夏は太陽光に反射して石英がキラキラと光り,冬は雪景色を形づくる土台となっている.
およそ140年前に入植・開墾が始まったこの地域では,アイヌ民族も集落を形成していなかった.大雪・十勝火山群や夕張山地に囲まれた盆地であることから,夏は最高気温37.5度,冬はマイナス31.7度を記録したこともある.一年を通して,平均的にもその寒暖差は60度ほどあり,気温の変化が非常に激しいこともまたこの地域の特徴である.また,川を中心に集落を形成していたアイヌ民族にとって,この地域の川は “ピイエ”(アイヌ語で脂ぎったという意)や“フラヌイ”(アイヌ語で臭いの意)と呼ばれ,生活環境として向いていなかったことも集落が定着しなかった理由の一つと考えられる.そんな地域に,およそ140年前に本州から入植団体がやってきた.美瑛町には兵庫県から,上富良野町には三重県から最初の鍬が入れられた.当時は衣服も薄く,現在よりもさらに冬の寒さも厳しいなか大変な苦労をして開墾し,やっと田畑を形成していこうとするが火砕流堆積物からなるこの土地は,農業をするにあたって水はけが良すぎるという課題があった.この土地に適した作物とは一体何があるのだろうか.
また,波状丘陵を成すこの傾斜は,農業用トラクターを活用するにも急勾配であるなど現代でも課題と向き合いながら農業を営んでいる.さらに,日々噴気を上げる活火山,十勝岳が身近にある.十勝岳の1926年の噴火により噴出した大正泥流では144名の犠牲者が出た.またその時,長い年月をかけて開墾し豊かにした土壌に,硫黄という猛毒が混ざってしまった.そのままでは農地としては成り立たないため,再び客土をして農地として蘇らせる工夫をするなど,この土地の人々は十勝岳と共生することを決して諦めず現在へと繋いでいる.
近年,夏には波状丘陵に色とりどりの植物が咲き乱れ,美しい景観を一眼見ようと観光客が国内外から訪れている.これからも地域住民は,この火山活動の活発な地域で十勝岳と共生し,十勝岳ジオパークを彩る火砕流堆積物から成る大地を生活基盤として活用していく.
およそ140年前に入植・開墾が始まったこの地域では,アイヌ民族も集落を形成していなかった.大雪・十勝火山群や夕張山地に囲まれた盆地であることから,夏は最高気温37.5度,冬はマイナス31.7度を記録したこともある.一年を通して,平均的にもその寒暖差は60度ほどあり,気温の変化が非常に激しいこともまたこの地域の特徴である.また,川を中心に集落を形成していたアイヌ民族にとって,この地域の川は “ピイエ”(アイヌ語で脂ぎったという意)や“フラヌイ”(アイヌ語で臭いの意)と呼ばれ,生活環境として向いていなかったことも集落が定着しなかった理由の一つと考えられる.そんな地域に,およそ140年前に本州から入植団体がやってきた.美瑛町には兵庫県から,上富良野町には三重県から最初の鍬が入れられた.当時は衣服も薄く,現在よりもさらに冬の寒さも厳しいなか大変な苦労をして開墾し,やっと田畑を形成していこうとするが火砕流堆積物からなるこの土地は,農業をするにあたって水はけが良すぎるという課題があった.この土地に適した作物とは一体何があるのだろうか.
また,波状丘陵を成すこの傾斜は,農業用トラクターを活用するにも急勾配であるなど現代でも課題と向き合いながら農業を営んでいる.さらに,日々噴気を上げる活火山,十勝岳が身近にある.十勝岳の1926年の噴火により噴出した大正泥流では144名の犠牲者が出た.またその時,長い年月をかけて開墾し豊かにした土壌に,硫黄という猛毒が混ざってしまった.そのままでは農地としては成り立たないため,再び客土をして農地として蘇らせる工夫をするなど,この土地の人々は十勝岳と共生することを決して諦めず現在へと繋いでいる.
近年,夏には波状丘陵に色とりどりの植物が咲き乱れ,美しい景観を一眼見ようと観光客が国内外から訪れている.これからも地域住民は,この火山活動の活発な地域で十勝岳と共生し,十勝岳ジオパークを彩る火砕流堆積物から成る大地を生活基盤として活用していく.