17:15 〜 18:45
[U15-P03] 2024年能登半島地震と群発地震
キーワード:能登半島地震、群発地震、応力場
1.はじめに
日本海南部の能登半島北端部でマグニチュード(以下Mと略す)7.6(Mw7.5)の大地震が起きた。この場所は群発地震が3年以上続いていた場所である。群発地震が続いた場所でM7地震が起きたのは日本では初めてである。また、プレート内地震でM7.5を超えた地震は初めてである。ここでは、日本海東縁の地震空白域との関係や群発地震が長期に続いていた場所で大地震が起きた原因について検討してみる。
2.群発地震と大地震
一般的に群発地震が起きる場所では、地殻の破砕度が高く、破壊は大きくなりにくいと考えられている。一方、大地震が起きる場所は地殻が比較的均質なため、大きな破壊が起きると考えられてきた。その意味でも能登地震は群発地震が起きている場所でM7地震が起きた希なケースである。また、能登の群発地震は活動期間がとても長く、これほど長期にわたる群発地震は、松代群発地震を除き無い。能登群発地震は、地殻変動から地下深部からの水の浸入によると推定されている(Kato,2023)。同様に地下深部からの水の流入によって群発地震が起きた例は、松代群発地震が知られている(大竹,1976)。両者の違いを群発地震が起きている地域の応力場から考える。まず地下深部から流体が上昇する場合、その地域の主圧縮軸に沿った方向が選ばれる。応力場をみると、地震の発震機構解データから.松代群発地震の地域では東西圧縮の横ズレ型だったため、最小主応力軸の方向が水平方向だった. 一方、能登半島北東部で起きた地震群の応力場は、NW-SE 方向に圧縮軸をもつ逆断層型で、最小主応力軸の方向が鉛直だった。流体が面的に広がるのは、張力軸の方向に垂直な面である。松代群発地震の場合は、張力軸は南北方向であるので、流体の広がる面は鉛直な東西方向の面となる。この場合、地下深部からの流体は鉛直なクラックに侵入し、速やかに地殻上部へ移動することが出来る。そして浅い所に達した流体はその地域のNE-SW走向の活断層に沿って拡散した。松代群発地震では、地震活動の途中から大量の水が地表にあふれ出てきたことが知られている。
一方、能登半島群発地震では、逆断層場で深部からの流体が上がってきている。すると圧縮軸方向は松代地域と同じ水平でも、張力軸が鉛直方向なので、流体が広がる方向は水平方向になってしまう。この応力場では浅い部分に流体が簡単には流れ込めない。従って、深部からの流体を地上に流出できないため、活動期間が長期化してしまっていたと考えられる。松代群発地震と同じように地下深部からの流体上昇によって群発地震が起きたが、能登半島周辺では地殻の応力場が逆断層型だったため、最小主応力軸の方向が鉛直であった。このため、地殻内のクラックが水平方向を向いていて、流体が地表にあふれ出ることが出来ず、水平方向に水が拡散してゆき、地殻内の広域にひずみを蓄積し、大地震を起こしてしまったと考えられる。
3.地震空白域
能登半島地震の余震域を日本海東縁の過去の大地震の震源域と一緒に描画すると新しい地震空白域が見られる。右図に日本海東縁で起きた過去の大地震の震源域と過去に指摘された地震空白域(X,A,A’,B)と新しい地震空白域Sを示した(Ishikawa& Bai,2024)。新しい地震空白域は佐渡西方沖にあたる。また左図は、石川(1994)が示した日本海東縁での地震の活動期と静穏期の繰り返しであるが、富山湾に未破壊域Cがあるとされていた(羽鳥,1984)。ここは1614年の地震で高田に津波被害があったとされ、一時は富山湾の地震とされたが、その後、資料不足のため震源不明とされた。当時は日本海東縁の新生プレート境界から離れているため注目されなかったが、1614年の地震の再検討が望まれる。
日本海南部の能登半島北端部でマグニチュード(以下Mと略す)7.6(Mw7.5)の大地震が起きた。この場所は群発地震が3年以上続いていた場所である。群発地震が続いた場所でM7地震が起きたのは日本では初めてである。また、プレート内地震でM7.5を超えた地震は初めてである。ここでは、日本海東縁の地震空白域との関係や群発地震が長期に続いていた場所で大地震が起きた原因について検討してみる。
2.群発地震と大地震
一般的に群発地震が起きる場所では、地殻の破砕度が高く、破壊は大きくなりにくいと考えられている。一方、大地震が起きる場所は地殻が比較的均質なため、大きな破壊が起きると考えられてきた。その意味でも能登地震は群発地震が起きている場所でM7地震が起きた希なケースである。また、能登の群発地震は活動期間がとても長く、これほど長期にわたる群発地震は、松代群発地震を除き無い。能登群発地震は、地殻変動から地下深部からの水の浸入によると推定されている(Kato,2023)。同様に地下深部からの水の流入によって群発地震が起きた例は、松代群発地震が知られている(大竹,1976)。両者の違いを群発地震が起きている地域の応力場から考える。まず地下深部から流体が上昇する場合、その地域の主圧縮軸に沿った方向が選ばれる。応力場をみると、地震の発震機構解データから.松代群発地震の地域では東西圧縮の横ズレ型だったため、最小主応力軸の方向が水平方向だった. 一方、能登半島北東部で起きた地震群の応力場は、NW-SE 方向に圧縮軸をもつ逆断層型で、最小主応力軸の方向が鉛直だった。流体が面的に広がるのは、張力軸の方向に垂直な面である。松代群発地震の場合は、張力軸は南北方向であるので、流体の広がる面は鉛直な東西方向の面となる。この場合、地下深部からの流体は鉛直なクラックに侵入し、速やかに地殻上部へ移動することが出来る。そして浅い所に達した流体はその地域のNE-SW走向の活断層に沿って拡散した。松代群発地震では、地震活動の途中から大量の水が地表にあふれ出てきたことが知られている。
一方、能登半島群発地震では、逆断層場で深部からの流体が上がってきている。すると圧縮軸方向は松代地域と同じ水平でも、張力軸が鉛直方向なので、流体が広がる方向は水平方向になってしまう。この応力場では浅い部分に流体が簡単には流れ込めない。従って、深部からの流体を地上に流出できないため、活動期間が長期化してしまっていたと考えられる。松代群発地震と同じように地下深部からの流体上昇によって群発地震が起きたが、能登半島周辺では地殻の応力場が逆断層型だったため、最小主応力軸の方向が鉛直であった。このため、地殻内のクラックが水平方向を向いていて、流体が地表にあふれ出ることが出来ず、水平方向に水が拡散してゆき、地殻内の広域にひずみを蓄積し、大地震を起こしてしまったと考えられる。
3.地震空白域
能登半島地震の余震域を日本海東縁の過去の大地震の震源域と一緒に描画すると新しい地震空白域が見られる。右図に日本海東縁で起きた過去の大地震の震源域と過去に指摘された地震空白域(X,A,A’,B)と新しい地震空白域Sを示した(Ishikawa& Bai,2024)。新しい地震空白域は佐渡西方沖にあたる。また左図は、石川(1994)が示した日本海東縁での地震の活動期と静穏期の繰り返しであるが、富山湾に未破壊域Cがあるとされていた(羽鳥,1984)。ここは1614年の地震で高田に津波被害があったとされ、一時は富山湾の地震とされたが、その後、資料不足のため震源不明とされた。当時は日本海東縁の新生プレート境界から離れているため注目されなかったが、1614年の地震の再検討が望まれる。