15:45 〜 16:00
[MZZ41-08] 江戸から明治にかけての石材使用の変遷~東京湾横須賀市沿岸施設を例に~
キーワード:石材、灯台、砲台、火山岩、凝灰岩
江戸時代からの政治の中心地にある東京湾は、海運また航空機が軍事上重要になる前までは国防上重要視された場所であり、石材を使用した様々な歴史的施設が沿岸部に造られた。沿岸部は潮を含んだ強風が吹き付ける関係上、一部の石材は塩類風化が進行しているが、樹木の繁茂は抑えられ、根の張り出しによる破壊は少ない。また砲台群は国史跡東京湾要塞として整備が進められ、公開されるようになり、石材の観察もしやすくなっている。 本発表は抜粋的であるが、各時期の代表的な施設の石材使用を比較し、その変遷を論じる。
・江戸時代(詳細不明):浦賀灯明堂の土台石垣(横須賀市史跡)
江戸城石垣とよく似た火山岩の切込み接ぎで、隅石は算木積みとなっている。火山岩は神奈川県真鶴岬溶岩のように見えるが色調に統一感は無い。高さ1.8mの小型建造物であるが、扇の勾配とも呼ばれる反りがある。具体的な竣工年は不明だが、石材の塩類風化にばらつきがある事から、地震等による修復を重ねていると思われる。なお、明治に入り洋式の灯台が建設されるが、現存する最古の官設灯台(明治3年竣工)(文化庁HPより)である神子元島灯台の基部を見ると、セメントを用いた四~六角形の白浜層群の凝灰岩の練石積みであるが、反りは残っている。
・明治17(1884)年:猿島砲台の石垣(国指定史跡)
ブラフ積みの凝灰岩の石垣で、若干の反りがある。レンガは使用されているが、ブラフ積みは空石積みである。ブラフ積みは千葉県鋸山産の房州石の使用例が多いが、複数の岩相があり、明らかに房州石とは異なる岩相の石材が使われている。石段や窓部の要石には火山岩が使用されている。明治30年に造られた部分のブラフ積みには反りは無く垂直である。
・明治19(1886)年:走水砲台の石垣
砲座周辺はイギリス積みの凝灰岩の石垣で、セメントを使用した垂直な練石積みである。凝灰岩は岩相的には1種類に見え、房州石の可能性が高い。石段には火山岩が使用されている。海岸部の外周護岸は火山岩の部分と凝灰岩の部分がある。凝灰岩には三崎層のスコリア質凝灰岩に似た石材が使用されている。
・明治19(1886)年:神奈川県横須賀市、千代ヶ崎砲台の石垣(国指定史跡)
ブラフ積みの凝灰岩の石垣で、セメントを使用した垂直な練り石積みである。真鶴町史(真鶴町,1995)に、真鶴岩村の土屋大次郎が房州石を納入した記録がある。石段や窓部には火山岩が使用されているが、真鶴の海岸部の大正関東地震で隆起した採石跡から真鶴岬溶岩の可能性が高い(笠間,2024)。また路面に花こう岩が使用されている点が注目される。前述の土屋大次郎は、真鶴周辺の火山岩から茨城県稲田の花こう岩へと商売の拠点を移している。
以上の流れをみると、現場で面合わせの火山岩から定型の凝灰岩を大量に使用するようになり、産地も千葉県産の房州石に集約されていく、また、はじめは石垣に反りがあったが、垂直になっていく傾向が読み取れる。
文化庁HP https://www.bunka.go.jp/kindai/todai/069/index.html
笠間友博,2024:文化サイト番場浦海岸採石場跡と大正関東地震による海岸隆起との関係.日本地質学会2024大会,T4-O-2.
・江戸時代(詳細不明):浦賀灯明堂の土台石垣(横須賀市史跡)
江戸城石垣とよく似た火山岩の切込み接ぎで、隅石は算木積みとなっている。火山岩は神奈川県真鶴岬溶岩のように見えるが色調に統一感は無い。高さ1.8mの小型建造物であるが、扇の勾配とも呼ばれる反りがある。具体的な竣工年は不明だが、石材の塩類風化にばらつきがある事から、地震等による修復を重ねていると思われる。なお、明治に入り洋式の灯台が建設されるが、現存する最古の官設灯台(明治3年竣工)(文化庁HPより)である神子元島灯台の基部を見ると、セメントを用いた四~六角形の白浜層群の凝灰岩の練石積みであるが、反りは残っている。
・明治17(1884)年:猿島砲台の石垣(国指定史跡)
ブラフ積みの凝灰岩の石垣で、若干の反りがある。レンガは使用されているが、ブラフ積みは空石積みである。ブラフ積みは千葉県鋸山産の房州石の使用例が多いが、複数の岩相があり、明らかに房州石とは異なる岩相の石材が使われている。石段や窓部の要石には火山岩が使用されている。明治30年に造られた部分のブラフ積みには反りは無く垂直である。
・明治19(1886)年:走水砲台の石垣
砲座周辺はイギリス積みの凝灰岩の石垣で、セメントを使用した垂直な練石積みである。凝灰岩は岩相的には1種類に見え、房州石の可能性が高い。石段には火山岩が使用されている。海岸部の外周護岸は火山岩の部分と凝灰岩の部分がある。凝灰岩には三崎層のスコリア質凝灰岩に似た石材が使用されている。
・明治19(1886)年:神奈川県横須賀市、千代ヶ崎砲台の石垣(国指定史跡)
ブラフ積みの凝灰岩の石垣で、セメントを使用した垂直な練り石積みである。真鶴町史(真鶴町,1995)に、真鶴岩村の土屋大次郎が房州石を納入した記録がある。石段や窓部には火山岩が使用されているが、真鶴の海岸部の大正関東地震で隆起した採石跡から真鶴岬溶岩の可能性が高い(笠間,2024)。また路面に花こう岩が使用されている点が注目される。前述の土屋大次郎は、真鶴周辺の火山岩から茨城県稲田の花こう岩へと商売の拠点を移している。
以上の流れをみると、現場で面合わせの火山岩から定型の凝灰岩を大量に使用するようになり、産地も千葉県産の房州石に集約されていく、また、はじめは石垣に反りがあったが、垂直になっていく傾向が読み取れる。
文化庁HP https://www.bunka.go.jp/kindai/todai/069/index.html
笠間友博,2024:文化サイト番場浦海岸採石場跡と大正関東地震による海岸隆起との関係.日本地質学会2024大会,T4-O-2.