17:15 〜 19:15
[MZZ45-P03] 福島県の火山災害から御嶽山の災害継承を考える
キーワード:ジオパーク、火山災害、災害継承
1. イントロ
日本は災害大国で、過去に何度となく様々な災害を経験してきた国である。
しかし、災害の経験は時間とともに薄れ、地域内でも忘れ去られていくものである。明治時代の中期に続けて噴火をした磐梯山(1888年)と安達太良山(1900年)の事例をもとに、御嶽山の災害継承を考える。そして、ジオパークがこの継承には有効である。
2. 福島県の火山災害
a.磐梯山
1888年の噴火では水蒸気爆発が引き金となり、小磐梯が山体崩壊をして岩なだれ(火山の専門用語では岩屑なだれと表記するが、ここでは岩なだれと表記)となって、北麓と南東麓に崩れて477人が犠牲となった。これは明治以降では日本で最大の火山災害である。犠牲者のほとんどが地元の人であったため、地域では慰霊祭を毎年開催してきた。しかし、噴火から80年が経過する中で、その継続が難しくなってきた。そこで、地元では噴火した7月15日に合わせて夏祭りを企画し、慰霊祭も同時に実施するようにした。その結果、136年が経過した今でも、慰霊祭は継続されている。
b.安達太良山
1900年の噴火では水蒸気爆発による火砕サージで、沼の平の火口にあった硫黄工場の従業員の約80人が犠牲となった。その多くは出稼ぎ労働者で、地元の人は1割にも満たなかった。そのため、この噴火では翌年に慰霊碑が中ノ沢温泉の温泉神社に作られたが、その後ほとんど慰霊祭は行われなかった。噴火100年の2000年には、さすがに地元猪苗代町長も参加して開催されたが、噴火110年は何も行われなった。このままいくと120年も何も行われないだろうと考えた私は、企画展『安達太良火山 噴火120年から考える』を開催した。地元から多くの来館者があり、「こんな噴火が安達太良山であったことを初めて知った」という多くの声が聞かれた。
c.二つの火山の災害継承の相違
地元住民が多数被害を被った場合と少数の場合では、その災害の継承が異なることがわかった。もし、安達太良山の場合に、犠牲者の多くが地元であれば、現在も災害が継承されていたのかもしれない。2011年に磐梯山地域はジオパークとなり、その継承活動が慰霊祭にとどまらず、学校教育や一般向けの講座など様々な形で継承されている。安達太良山は残念ながら、ジオパークをめざしていない。
4. 御嶽山をジオパークへ
2014年の噴火後に、岐阜県側でも長野県側でも、御嶽山をジオパークしてはどうかという議論がなされたが、実現はしなかった。この2県はいっしょになり、再度ジオパークをめざしてはどうだろうか。磐梯山ジオパークのように、慰霊祭だけでなく、学校教育や地域での大人向け講座も取り組みやすい。地域全体で御嶽山の火山理解が進めば、災害継承も確実なものになっていくのではないか。
日本は災害大国で、過去に何度となく様々な災害を経験してきた国である。
しかし、災害の経験は時間とともに薄れ、地域内でも忘れ去られていくものである。明治時代の中期に続けて噴火をした磐梯山(1888年)と安達太良山(1900年)の事例をもとに、御嶽山の災害継承を考える。そして、ジオパークがこの継承には有効である。
2. 福島県の火山災害
a.磐梯山
1888年の噴火では水蒸気爆発が引き金となり、小磐梯が山体崩壊をして岩なだれ(火山の専門用語では岩屑なだれと表記するが、ここでは岩なだれと表記)となって、北麓と南東麓に崩れて477人が犠牲となった。これは明治以降では日本で最大の火山災害である。犠牲者のほとんどが地元の人であったため、地域では慰霊祭を毎年開催してきた。しかし、噴火から80年が経過する中で、その継続が難しくなってきた。そこで、地元では噴火した7月15日に合わせて夏祭りを企画し、慰霊祭も同時に実施するようにした。その結果、136年が経過した今でも、慰霊祭は継続されている。
b.安達太良山
1900年の噴火では水蒸気爆発による火砕サージで、沼の平の火口にあった硫黄工場の従業員の約80人が犠牲となった。その多くは出稼ぎ労働者で、地元の人は1割にも満たなかった。そのため、この噴火では翌年に慰霊碑が中ノ沢温泉の温泉神社に作られたが、その後ほとんど慰霊祭は行われなかった。噴火100年の2000年には、さすがに地元猪苗代町長も参加して開催されたが、噴火110年は何も行われなった。このままいくと120年も何も行われないだろうと考えた私は、企画展『安達太良火山 噴火120年から考える』を開催した。地元から多くの来館者があり、「こんな噴火が安達太良山であったことを初めて知った」という多くの声が聞かれた。
c.二つの火山の災害継承の相違
地元住民が多数被害を被った場合と少数の場合では、その災害の継承が異なることがわかった。もし、安達太良山の場合に、犠牲者の多くが地元であれば、現在も災害が継承されていたのかもしれない。2011年に磐梯山地域はジオパークとなり、その継承活動が慰霊祭にとどまらず、学校教育や一般向けの講座など様々な形で継承されている。安達太良山は残念ながら、ジオパークをめざしていない。
4. 御嶽山をジオパークへ
2014年の噴火後に、岐阜県側でも長野県側でも、御嶽山をジオパークしてはどうかという議論がなされたが、実現はしなかった。この2県はいっしょになり、再度ジオパークをめざしてはどうだろうか。磐梯山ジオパークのように、慰霊祭だけでなく、学校教育や地域での大人向け講座も取り組みやすい。地域全体で御嶽山の火山理解が進めば、災害継承も確実なものになっていくのではないか。