第50回日本理学療法学術大会

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分科学会 シンポジウム

日本小児理学療法学会 分科学会 シンポジウム5

我が国の小児理学療法の歩み

Fri. Jun 5, 2015 6:10 PM - 8:00 PM 第4会場 (ホールB7(2))

座長:中徹(群馬パース大学 保健科学部 理学療法学科)

[S-05-1] 療育と小児理学療法

井上保 (神奈川県立総合療育相談センター福祉医療部機能訓練科)

1972年に肢体不自由児施設である神奈川県立ゆうかり園に入職し,入園療育部門・通園療育部門・(超)早期療育部門・地域療育支援部門で療育チームの一員として理学療法に携わってきた。1970~80年代にかけて肢体不自由児施設は,①脳性まひ化・重度化・低年齢化の流れを一層加速し,②早期診断に引き続く早期治療に理学療法士による早期介入が精力的に展開されるようになった(いわゆる超早期療育)。一方,③脳性まひ児療育における多職種によるチームアプローチの重要性が提唱され,職種間の相互理解や連携のあり方が盛んに議論された。さらに,④入園(入所)療育から在宅療育・通所療育を主体とする地域療育体制へとその軸足が転換されていった時期でもあった。
幸いにもこのような時期に,在宅地域療育支援の視点から連携システム構築の過程に関与することができたことは貴重な経験となり,小児理学療法の幅を広げその基盤を作ってくれた。
1996年にゆうかり園は中央児童相談所・障害者更生相談所と併合され総合療育相談センターとなり,ますます児童福祉・障害福祉からの視点が尊重されるようになった。
1998年に突然,異動になった。入所者180人の殆どが脳性まひ者,平均年齢57歳,私と同い年(当時48歳)の脳性まひ者が数人もいるという肢体不自由者療護施設で,これまで経験してきた在宅地域療育を推進し支援していく小児理学療法の世界とは全く異なる施設を終の棲家とする肢体不自由者の生活の場であった。小児の世界には二度と戻ってこないであろうと一大決心しての異動であったが,5年後に元の職場に呼び戻された。与えられた仕事はシステム作りから参画して中心的に推進してきた早期療育外来ではなく,新規に開始される県立養護学校と県立知的障害者施設への支援事業であった。
このような私の拙い経験を通して,療育の中で理学療法が担った役割について述べ,小児理学療法の理念についてお伝えできれば幸いである。