第97回日本医療機器学会大会

講演情報

特別講演

特別講演1 メディカルとエンジニアリングの戦いの中から医工連携は生まれる

2022年6月3日(金) 11:00 〜 12:00 第1会場 (アネックスホール F201+F202)

座長:住谷 昌彦(東京大学)

11:00 〜 12:00

[特別講演1] メディカルとエンジニアリングの戦いの中から医工連携は生まれる

小野 稔1,2 (1.東京大学医学部附属病院心臓外科、医工連携部, 2.東京大学臨床医工学連携研究機構)

東京大学医学部附属病院に医工連携部が発足したのは2002年である。豊かな臨床経験と注意深い臨床現場での観察の中から生まれた新たな発想に基づいた医療機器を臨床現場に是非とも応用したいという医師の強いニーズはこれより以前からあった。特に医療機器に関しては、機器を扱う機会の多い外科からの要望が主流を占めていた。東大は同じキャンパス内に病院と工学研究科が徒歩圏内の距離にあるにも関わらず、目には見えないとてつもなく巨大な壁が存在していた。当時は、外科医がアイデアを思いついてもその足は工学研究科に向かわずに、キャンパスの外の医療機器製造企業に向けられた。東大病院における医工連携の動きは1人の外科医と1人の工学研究者の思いに端を発した。その後、思いを同じくした医師と工学研究者が少なからずいることがわかり、点から線へ、さらに巨大な壁に風穴を開けて活路を見出そうと意気投合した。これが、おそらく国内では初めての病院の附属研究機関として医工連携部の誕生につながった。医工連携部草創期の14プロジェクトは強い情熱をもった臨床家と工学者のグループでアグレッシブに開発が進められた。皆、必死であった。この中から製品として世に出るものが複数あった。発足から12年が経ち、私が3代目の医工連携部長を引き継いだ。外科に加え、侵襲的な検査や処置を行う循環器内科や消化器内科の医師たちが医工連携業務に携わるようになっていた。しかしながら、パイオニアたちが退官するにつれて、当初14あったプロジェクトの開発意欲は大きくバラついていった。
米国留学中、私は臨床業務の傍らで新規開発医療機器の前臨床研究にも携わる機会を得ることができた。帰国後には、発足したての医工連携の枠組みの中で日本発の手術支援ロボットなどの開発事業に参画する機会を得ることができた。このプロジェクトを推進する中で、医師とエンジニアの発想の根本的な違いを感じる機会を数多く経験した。互いに同じ言葉を口にしているにも関わらず、頭に描かれているイメージが両者では全く異なることが少なくないことに気が付いた。これでは別々の土俵で互いに必死に独り相撲を取っているに過ぎず、当然ながらベストの開発はできない。それどころか、不信感が生まれてしまうとプロジェクトの中止にもなりかねない。これ以降、本当の医工連携はメディカルとエンジニアの戦いであるとの思いで臨むようにしている。戦いというと相手を論破する、打ち負かせて優越感に浸ると誤解してはいけない。戦うというのは、それぞれが自分との戦いでもあり、メディカルとエンジニアが同じ土俵に乗って、かつ同じ方向を向いて、同じイメージを描くように妥協をしないことである。私自身の医療機器開発の経験に触れながら、医工連携のあり方を考えていきたい。