第97回日本産業衛生学会

セッション情報

メインシンポジウム

メインシンポジウム 1 関東大震災から100年、過去事例を踏まえた未来志向の災害時の産業保健のあり方

2024年5月23日(木) 09:00 〜 11:00 第1会場 (広島国際会議場 B1F フェニックスホール)

座長: 森 晃爾(産業医科大学産業生態科学研究所産業保健経営学研究室), 久保 達彦(広島大学大学院医系科学研究科 公衆衛生学)

 我が国の三大震災は、関東大震災(1923年)、阪神・淡路大震災(1995年)、東日本大震災(2011年)と言われる。この100年で、我が国の災害対応体制は確かな進歩を遂げてきている。
 医療分野では、阪神・淡路大震災によって、”災害医療の夜明け”がもたらされた。同震災における死因の8割は圧死であり、そのなかには適時に、適切な医療を提供できていれば“防ぎえた死(prevendable death)”があった。その教訓が、その後の災害拠点病院、DMAT、救急医療情報システム、広域医療搬送計画等の整備に結実していった。特に指揮系統と機動力を備えるDMATの発足(2005年)は災害医療のあり様を一変させた。DMATは今や養成隊員数1.6万人を超える、国行政が整備する災害医療チームとしては恐らく世界最大の巨大チームとなり、我が国の健康危機対応をリードする存在となている。なお、同震災では正月休み直後の3連休明け早朝に発災したため自宅での被災が多く、職域対応への注目や教訓化は限定的であった。
 公衆衛生分野では、東日本大震災がその取り組みを加速させた。超高齢化社会を背景とする被災地において、また冬季に発生した津波災害であったこともあり、同震災の防ぎえた死として、避難所や長距離避難等における高齢障害者の死亡が注目されたことが、我が国に”災害公衆衛生の夜明け”をもたらした。その取り組みは行政保健職によるDHEATの発足等につなげられていった。DHEATは西日本豪雨(2018年)以降の大規模災害で実動し、着実に力をつけてきている。また、体制強化にあたっては、DMATが蓄積してきた知見が大いに参考にされ、教育研修等でも活かされてきている。
 産業保健分野では、東日本大震災に伴う東京電力福島第一原子力発電所事故がその出発点にある。求められたのは、現場作業者を対象とした組織的な健康管理体制の有効かつ迅速な構築、すなわち産業保健であった。そして当時の産業保健関係者の取り組みが“災害産業保健の夜明け”をもたらした。
 ここで、ひとつの疑問に行き当たる。なぜ、100年前に災害医療、災害公衆衛生、災害産業保健の夜明けは訪れなかったのであろうか。先達が何もしなかったということは考えにくい。仮説として、学術の欠如が原因の一つにあったのではないか。例えば指揮系統という重要な運用知見について、第二次世界大戦後の日本軍の解体を含む政治行政体制の刷新によって、教訓化の機会が失われてしまった可能性があるのではないか。もしそうだとすれば、学術体制の構築によって、我が国は政治体制がかわっても知見を伝承できていたのかもしれない。
 そこで今回、日本産業衛生学会が100年周年に向けたカウントダウン企画として、各分野第一級の専門家に参集いただき、我が国の100年の対応を振り返り、南海トラフ巨大地震等を迎え撃つ今後の災害産業保健体制の具体を学術の役割を含めて考察する機会を設けることとした。