[III-EL03-02] カテーテルインターベンションの昔を振り返って
「カテーテル治療の温故知新」とのセッションで教育講演の機会を頂きました。住友直方会長および会員の皆様に御礼申し上げます。
私がカテーテルインターベンション(CI)と出会ったのは、今から30年以上前の1986年にカナダトロント小児病院へ留学したのが始まりです。当時私が留学する前の本邦における小児循環器領域でのCI報告は皆無でした。ところがトロント小児病院では、USAのボストン小児病院と肩を並べ、既に先進的な取り組みをしていました。毎朝7:30からの症例検討会で、PVS,AVS,PPS,CoA、PDAなどの数多くのCI症例が議論されていました。Rashkind Cath.によるPDA閉鎖術なども既に行っていた様に記憶しています。私と同じ時期に、2年間フェローとして一緒に生活を共にしていた小池一行先生(故埼玉医大小児心臓科教授)と、毎晩、帰国したらCIの研究会を作って日本でも広めたいですねなどとお酒を飲みながら語り明かしたものでした。
1988年に帰国し、小池・越後・熊手・佐地諸先生等と新たな研究会の立ち上げの相談などしながら、1991年1月に第1回日本小児インターベンション研究会(JPIC)が国立循環器病センターの神谷哲郎会長の元で開催するまでに至ったのではないでしょうか。それをきっかけに我が国の小児におけるCIが全国的に普及したと思っています。第1回の演題数は31題でした。現在では250題?と大変大きな学会となり、驚くばかりです。
今回の教育講演は会員の皆様の勉強にはならないかも知れませんが、昔を振り返って当時活躍し、今はご逝去されている先生などを思い出しながら話をする程度でお許し願いたいと思います。
私がカテーテルインターベンション(CI)と出会ったのは、今から30年以上前の1986年にカナダトロント小児病院へ留学したのが始まりです。当時私が留学する前の本邦における小児循環器領域でのCI報告は皆無でした。ところがトロント小児病院では、USAのボストン小児病院と肩を並べ、既に先進的な取り組みをしていました。毎朝7:30からの症例検討会で、PVS,AVS,PPS,CoA、PDAなどの数多くのCI症例が議論されていました。Rashkind Cath.によるPDA閉鎖術なども既に行っていた様に記憶しています。私と同じ時期に、2年間フェローとして一緒に生活を共にしていた小池一行先生(故埼玉医大小児心臓科教授)と、毎晩、帰国したらCIの研究会を作って日本でも広めたいですねなどとお酒を飲みながら語り明かしたものでした。
1988年に帰国し、小池・越後・熊手・佐地諸先生等と新たな研究会の立ち上げの相談などしながら、1991年1月に第1回日本小児インターベンション研究会(JPIC)が国立循環器病センターの神谷哲郎会長の元で開催するまでに至ったのではないでしょうか。それをきっかけに我が国の小児におけるCIが全国的に普及したと思っています。第1回の演題数は31題でした。現在では250題?と大変大きな学会となり、驚くばかりです。
今回の教育講演は会員の皆様の勉強にはならないかも知れませんが、昔を振り返って当時活躍し、今はご逝去されている先生などを思い出しながら話をする程度でお許し願いたいと思います。