資源・素材2024(秋田)

講演情報(2024年8月7日付 確定版)

企画講演

【企画講演】金をめぐる鉱業史 [9/12(木) AM 第7会場]

2024年9月12日(木) 09:00 〜 12:00 第7会場 (秋田大学鉱業博物館) (秋田大学鉱業博物館)

司会:中西 哲也(九州大学)、久間 英樹(九州大学)

●鉱業および関連技術の歴史に関する研究を対象に、世界と日本の前近代から現代にいたる鉱業を幅広く取り扱う。地質学、鉱山工学、冶金学、歴史学、考古学などの研究が含まれる。今回は、秋田県鉱業系博物館・資料館連絡協議会の総会「秋田県鉱山サミット」における市民講演会との共催となる。

<発表:20分中、講演15分、質疑応答5分/1件>

09:25 〜 09:45

[3701-07-02] 白根金山:慶長期の重要金山

○井澤 英二1 (1. 九州大学名誉教授)

司会:中西 哲也(九州大学)

キーワード:白根金山、17世紀、土鉱、地下採鉱

徳川家康が1616年(元和2)に駿府城に残した2トンの金のうち、丹波山、中瀬など産地がわかるものがある。その中で最大量は、100 kgを超える白根金である。また、白根金は金位が高いことが記されている。尾去沢(西道金)などと同様に90%ほどの金位と推測される。このように白根金山は、慶長期の重要金山でありながら実体がよく分かっていない。近代には、1880年(明治13)に小真木山頂で黒鉱鉱体の風化部が発見された。この土鉱を露天採掘してはじまった小真木鉱山は、1978年まで採断続的に操業された。このような風化帯が発達した地域であるので、17世紀の白根金山も鉱脈露頭の風化帯の土鉱(砂金)を掘ったと考えられる。元和期には坑道掘の記録がある。17世紀半ばには衰退したものの、1668年(寛文8)には銅鉱が見つかり、銅山へと変わっていった。ここでは、白根金山を例として、江戸時代初期の産金の特徴を考える。