2:15 PM - 2:30 PM
[S10-04] Mean displacement rate and age of the last event of northern part of the Nara-bonchi-toen faults, central Japan
はじめに 奈良盆地東縁断層帯は,大阪層群の変位量分布と運動開始時期の違いから2つに分けられる.演者は北部セグメントの活動性評価を目的として踏査,ボーリング調査,遺跡資料検討などを行ってきた.
更新世段丘の変位量(速度)分布 断層帯北部周辺には高位2面(中期更新世間氷期)と中位1面(最終間氷期前期:MIS 5e)の2つの段丘が広く分布する.その変位から,本断層帯は宇治川付近で約1.3m/千年,その他で0.3m/千年以上の変位速度をもつと考えられる.
大宅地区ボーリング調査結果 京都市山科区大宅地区には,小野-醍醐断層(黄檗断層群の一部)によって撓曲変位した4面の段丘面と変位していない谷底面および断層低下側の沖積面が分布する.谷底面で掘削された2-1孔の深度1.2m以浅の乱されていない粘性土層(栽培植物の珪酸体をほとんど含まない)から1330±30,1540±30yBPの未補正14C年代値が,この下位の砂礫層からは18620±50,20700±70yBPの年代値が得られた.谷底低地西端付近の3-1孔で,①深度1.7m以浅の礫混じり土(下部では栽培植物の珪酸体をほとんど含まない)から3540±30,3750±30yBPの年代値,②深度1.7~3.2mでは特徴的な土石流堆積物(べんがら礫層),③深度3.2~4.7mでは逆グレーデイング砂層を含む礫~シルト互層,④4.7m以深では層状に砂~シルト薄層を挟む砂礫層,が得られた.この孔でボアホールカメラを用いて孔壁の地質構造を観察し,④の砂礫層が40~50°西傾斜する一方,②のべんがら礫層は水平に堆積していることが観察された.断層西側の2-3孔でべんがら礫層下位より12090±40yBPの年代値が得られている.
断層近傍の遺跡における遺物出土状況と新期地形面の変位 小野-醍醐断層の撓曲肩部の大宅廃寺遺跡調査では,紀元前5世紀前後(北白川Ⅴ式の時代)の甕棺が破壊されていない産状で出土した(京都市埋蔵文化財研究所,1988).同断層近傍の醍醐古墳群では,7世紀前半の古墳から直立した状態で高坏などが出土している(京都市埋蔵文化財研究所,1986).また、宇治傾動帯中の寺界道遺跡では段丘面下でK-Ahテフラが確認されている(宇治市教育委員会,2001).この段丘面は西に傾動し,沖積面と交差する.
奈良盆地東縁断層帯北部の活動時期 当セグメントが同時活動したと仮定するなら,これはK-Ah降下(約7200年前)以降,西暦6世紀以前に活動したと考えられる.特に最新活動の上限年代は,べんがら礫層堆積前(紀元前18世紀以前)まで遡る可能性がある.後者は,大宅廃寺遺跡で破壊されていない甕棺が出土したことと矛盾しない.
この研究は文科省研究開発局が京都大学に委託した「奈良盆地東縁断層帯における重点的な調査観測」の一環として同志社大学と共同で行ったものである.地元および研究関係者に厚く感謝申し上げます.
文献 京都市埋蔵文化財研究所,1986,醍醐寺古墳群発掘調査概報,28pp. 京都市埋蔵文化財研究所,1988,昭和60年度京都市埋蔵文化財調査要,178pp. 宇治市教育委員会,2001,宇治市埋蔵文化財発掘調査概報第51集,37pp.
更新世段丘の変位量(速度)分布 断層帯北部周辺には高位2面(中期更新世間氷期)と中位1面(最終間氷期前期:MIS 5e)の2つの段丘が広く分布する.その変位から,本断層帯は宇治川付近で約1.3m/千年,その他で0.3m/千年以上の変位速度をもつと考えられる.
大宅地区ボーリング調査結果 京都市山科区大宅地区には,小野-醍醐断層(黄檗断層群の一部)によって撓曲変位した4面の段丘面と変位していない谷底面および断層低下側の沖積面が分布する.谷底面で掘削された2-1孔の深度1.2m以浅の乱されていない粘性土層(栽培植物の珪酸体をほとんど含まない)から1330±30,1540±30yBPの未補正14C年代値が,この下位の砂礫層からは18620±50,20700±70yBPの年代値が得られた.谷底低地西端付近の3-1孔で,①深度1.7m以浅の礫混じり土(下部では栽培植物の珪酸体をほとんど含まない)から3540±30,3750±30yBPの年代値,②深度1.7~3.2mでは特徴的な土石流堆積物(べんがら礫層),③深度3.2~4.7mでは逆グレーデイング砂層を含む礫~シルト互層,④4.7m以深では層状に砂~シルト薄層を挟む砂礫層,が得られた.この孔でボアホールカメラを用いて孔壁の地質構造を観察し,④の砂礫層が40~50°西傾斜する一方,②のべんがら礫層は水平に堆積していることが観察された.断層西側の2-3孔でべんがら礫層下位より12090±40yBPの年代値が得られている.
断層近傍の遺跡における遺物出土状況と新期地形面の変位 小野-醍醐断層の撓曲肩部の大宅廃寺遺跡調査では,紀元前5世紀前後(北白川Ⅴ式の時代)の甕棺が破壊されていない産状で出土した(京都市埋蔵文化財研究所,1988).同断層近傍の醍醐古墳群では,7世紀前半の古墳から直立した状態で高坏などが出土している(京都市埋蔵文化財研究所,1986).また、宇治傾動帯中の寺界道遺跡では段丘面下でK-Ahテフラが確認されている(宇治市教育委員会,2001).この段丘面は西に傾動し,沖積面と交差する.
奈良盆地東縁断層帯北部の活動時期 当セグメントが同時活動したと仮定するなら,これはK-Ah降下(約7200年前)以降,西暦6世紀以前に活動したと考えられる.特に最新活動の上限年代は,べんがら礫層堆積前(紀元前18世紀以前)まで遡る可能性がある.後者は,大宅廃寺遺跡で破壊されていない甕棺が出土したことと矛盾しない.
この研究は文科省研究開発局が京都大学に委託した「奈良盆地東縁断層帯における重点的な調査観測」の一環として同志社大学と共同で行ったものである.地元および研究関係者に厚く感謝申し上げます.
文献 京都市埋蔵文化財研究所,1986,醍醐寺古墳群発掘調査概報,28pp. 京都市埋蔵文化財研究所,1988,昭和60年度京都市埋蔵文化財調査要,178pp. 宇治市教育委員会,2001,宇治市埋蔵文化財発掘調査概報第51集,37pp.