3:15 PM - 3:30 PM
[S10-07] Seismic Activity in Southern Miyagi Prefecture in the 18th Century Based on the Microfilmed Records of the Takano Family
本研究では,「高野家記録」をもとに,18世紀の宮城県南部の地震活動について分析する.高野家は仙台藩伊達家の家臣で,領地を蔵王町平沢に持ち,江戸時代250年に渡ってこの地を治めた.「高野家記録」は元禄九年~天明二年(1696年~1782年)に高野家の代々の当主によって記された日記記録である.特に高野家19代当主の高野倫兼による記録が大半を占め,主に仙台や蔵王町平沢での日々の生活や天候,地震の記録が細かく記載されている.日記記録を用いた歴史地震研究としては,例えば,八戸・盛岡・弘前の日記に書かれた地震記録の震度の下限を推定し,千島海溝で発生した地震の割合について推定した佐竹(2002)や盛岡・余目町(山形県)での日記に記録された地震について,記録された揺れの大きさと震度の関係について検討した宇佐美・他(2002)等がある.日記史料からは地震計の無い過去の地震活動を調査できる可能性がある.しかし,まだ検討されていない地点や日記史料が存在することもあり,「高野家記録」もその1つである.
「高野家記録」が記録された地点は主に現在の仙台市青葉区と蔵王町平沢である.それらの宮城県南部で有感となる地震を大きく分けると,日本海溝沿いで発生する地震と内陸で発生する地震に分けられる.日本海溝沿いで発生する地震の場合,宮城県沖以外にも茨城県沖~青森県沖までの太平洋沖合での地震でも宮城県南部で被害が生じることがある.内陸の地震は,長町-利府線断層帯や福島盆地西縁断層帯等の活断層に起因するものや,栗駒山や蔵王山の周辺で発生する群発地震も知られている.
「高野家記録」は既刊の史料集である『日本の歴史地震史料拾遺5ノ上』に地震記事の抜粋が収録されている.東北大学大学院文学研究科・文学部図書室には原本をマイクロフィルムに撮影したものが所蔵されており,漆原・他(2022)ではこれを約10年分調査した.その結果,『日本の歴史地震史料拾遺5ノ上』では約180日分の有感記録が収録されていたのに対して,マイクロフィルムからは約340日分の有感記録がみつかった.また,地震記録は主に十九代当主倫兼・二十代当主博兼の日記に書かれていることがわかった.特に,明和三年正月一日(1766年2月9日)~明和七年七月廿五日(1770年9月14日)の期間は倫兼・博兼それぞれの日記が存在しており,同一日に2つの記録がある.
「高野家記録」では,地震の被害に関する記述もいくつか存在する.明和四年四月七日(1767年5月4日)と明和四年九月三十日(1767年10月22日)には仙台・平沢両地点で被害記録が存在し,安永元年五月三日(1772年6月3日)には仙台での被害記録が存在する.明和四年の2つの地震について地震後の有感記録数を比較した.四月の地震後は有感記録が少なく,九月の地震後は有感記録が多いという特徴がみられた.被害と余震数の影響を考慮すると,四月の地震は渡辺(1991)が余震数の少ない宮城県沖地震として「金華山沖タイプ」と呼んでいる地震に似ていると考えることができる.また,この地震は松浦・中村(2021)では「陸中下PAC内の深さ120km,M6.3の地震」としているが,平沢での被害を考慮すると,震源はもう少し南になるか規模が大きくなる可能性がある.九月の地震は,『日本被害地震総覧』[宇佐美・他(2013)]や松浦・中村(2021)で福島県沖の群発地震のようなものとされている.1938年の福島県沖地震は仙台で有感となった地震数は多かった.逆に2021,2022年に発生した福島県沖の地震は仙台で有感となる地震は少なかった.「高野家記録」の有感記録数からみても,九月の地震は1938年の福島県沖地震のような群発地震と似た地震だと考えられる.
「高野家記録」が記録された地点は主に現在の仙台市青葉区と蔵王町平沢である.それらの宮城県南部で有感となる地震を大きく分けると,日本海溝沿いで発生する地震と内陸で発生する地震に分けられる.日本海溝沿いで発生する地震の場合,宮城県沖以外にも茨城県沖~青森県沖までの太平洋沖合での地震でも宮城県南部で被害が生じることがある.内陸の地震は,長町-利府線断層帯や福島盆地西縁断層帯等の活断層に起因するものや,栗駒山や蔵王山の周辺で発生する群発地震も知られている.
「高野家記録」は既刊の史料集である『日本の歴史地震史料拾遺5ノ上』に地震記事の抜粋が収録されている.東北大学大学院文学研究科・文学部図書室には原本をマイクロフィルムに撮影したものが所蔵されており,漆原・他(2022)ではこれを約10年分調査した.その結果,『日本の歴史地震史料拾遺5ノ上』では約180日分の有感記録が収録されていたのに対して,マイクロフィルムからは約340日分の有感記録がみつかった.また,地震記録は主に十九代当主倫兼・二十代当主博兼の日記に書かれていることがわかった.特に,明和三年正月一日(1766年2月9日)~明和七年七月廿五日(1770年9月14日)の期間は倫兼・博兼それぞれの日記が存在しており,同一日に2つの記録がある.
「高野家記録」では,地震の被害に関する記述もいくつか存在する.明和四年四月七日(1767年5月4日)と明和四年九月三十日(1767年10月22日)には仙台・平沢両地点で被害記録が存在し,安永元年五月三日(1772年6月3日)には仙台での被害記録が存在する.明和四年の2つの地震について地震後の有感記録数を比較した.四月の地震後は有感記録が少なく,九月の地震後は有感記録が多いという特徴がみられた.被害と余震数の影響を考慮すると,四月の地震は渡辺(1991)が余震数の少ない宮城県沖地震として「金華山沖タイプ」と呼んでいる地震に似ていると考えることができる.また,この地震は松浦・中村(2021)では「陸中下PAC内の深さ120km,M6.3の地震」としているが,平沢での被害を考慮すると,震源はもう少し南になるか規模が大きくなる可能性がある.九月の地震は,『日本被害地震総覧』[宇佐美・他(2013)]や松浦・中村(2021)で福島県沖の群発地震のようなものとされている.1938年の福島県沖地震は仙台で有感となった地震数は多かった.逆に2021,2022年に発生した福島県沖の地震は仙台で有感となる地震は少なかった.「高野家記録」の有感記録数からみても,九月の地震は1938年の福島県沖地震のような群発地震と似た地震だと考えられる.