日本地震学会2023年度秋季大会

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D会場

一般セッション » S18. 地震教育・地震学史

[S18] AM-2

2023年11月2日(木) 10:45 〜 11:45 D会場 (F204)

座長:加納 靖之(東京大学地震研究所)、林 能成(関西大学社会安全学部)

11:30 〜 11:45

[S18-09] 水ノ子灯台の地震記録の資料的意義について

*松島 文子1 (1. 豊州戦史研究会)

【はじめに】  気象庁が公開している地震の震度データベースは1919(大正8)年以降のものである。地震学史において地震の記録は少なくとも江戸時代にさかのぼるが、地震という現象をどのように解釈してきたかという観点では自然科学というよりは社会学的、民俗学的、思想的であり、scienceとしての地震学の資料とするには不十分である。   日本地震学会は横浜地震をきっかけに1880(明治13)年に創立された。東京気象台は1884(明治17)年に全国の府県庁郡区役所有志等600か所に地震報告を求め、報告の書式などを送った。これは有感地震のみの報告となるが、体感した場所と時間、地震の持続時間、振動方向、振動の強弱(4段階)を記載するものであった。 【灯台の地震観測資料】  明治以降、日本各地に灯台の建設がすすめられたが、灯台では気象観測が行われており、「気象広報」として中央気象台に報告されていた。そのうち1877(明治10)年から1948(昭和23)年の分までは気象庁のマイクロフィルム化されているという。また1882(明治15)年6月以降は体感地震について時刻や揺れの様子を記録している。津村の報告では1882(明治15年)6月から1887(明治20)年5月までの間に約40か所の灯台が地震の報告を寄せており、延べ報告数は1054という。地震報告の多い灯台は納沙布崎(123)弁天島(31)金華山(201)犬吠崎(55)野島崎(17)品川(57)羽田(32)試験灯台(横浜、78)観音崎(70)城ケ島(56)御前崎(46)鍋島(22)。  気象観測は1日8回行われており、天気や風の向き変化を記載しているが地震記録もその一環であり、津村は「測候所」と同等としている。 【水ノ子島灯台地震報告綴】 1907(明治40)年から1930(昭和5)年までの灯台看守による地震記録である。筆者らはこれを大分県佐伯市鶴見下梶寄にある水の子島海事資料館でたまたま目にする機会を得た。報告数は35である。 全国的な地震調査が始まったのが1884(明治17年)であり、灯台の気象観測の一環として体感地震を記録することが定着していたとしても気象庁が公開している震度データベースがカバーしているのは1919(大正8)年以降であり、同灯台が記載した1907(明治40)年から1918(大正7年)までの27の有感地震の報告は貴重な一次資料といえるだろう。 【記録の事例】 以下は古いものから5回分の記録である。 順に記録者、発生日、時刻、持続時間、揺れの方向、性状、メモを紹介する。 行木武雄 明治40年5月25日 午後11時40分 15秒 南より北 水平動 微にして弱 燈器建物その他無異 行木武雄 明治40年8月7日 午前11時48分 15秒 北より南 水平同緩にして急 燈器建物等異状なし 飯田稲美 明治40年11月28日 午後8時4分40秒 3秒 南より北 水平動 微にして急 燈器および建物その他無異 飯田稲美 明治41年11月9日 午前零時24分30秒 25秒 不明 上下動 急にして強 ●軸機械水銀槽の油●●飛散せんとし他の異状なし 飯田稲美 明治41年12月12日 午後5時43分 16秒 北より南 水平動 微にして弱 置物等総て異状なし 【参考文献】 [講演要旨]明治時代の灯台の地震観測資料について 財団法人地震予知総合研究振興会 津村建四朗 日本の地震学の歩み 宇佐美 龍夫 大分県有感地震表(大分地方気象台所蔵)