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[S23-04] 関東地震の地震テクトニクスにおける相模湾西部・初島の1923年地震隆起の重要性
●1923年関東地震の際,相模湾(正式には相模灘)西部の初島(熱海市;周囲約4km)は,島全体が約1.8m隆起した(池田, 1925).その北方約11kmにある相模湾西岸の真鶴岬も東端が約3m隆起し,約2km西方の付け根も隆起して岬全体が西に傾動した.伊豆半島東岸の熱海・網代・伊東なども若干隆起した(例えば, 田中館, 1926).しかし,1923年関東地震の震源断層モデルのほとんどは,初島・真鶴の地震隆起を考慮しておらず,この顕著な事実を説明できていない.最近のNakadai et al.(2023)のモデルでも初島の隆起量は数cmであり,彼らは初島付近の高角断層がslow slipかaseismic slipを起こしたのではないかと述べている.だが初島では,地盤がよいのに全43戸中全潰16戸(全潰率37%)であった(池田, 1925).
●関東巨大地震は,フィリピン海プレート最北端部の南部フォッサマグナ(SFM;甲府盆地より南, 三浦・房総南部〜駿河湾北西岸)のプレート収束運動の劇的な表れにほかならない.したがって,1923年地震の震源断層モデルも,SFMの変動史を考慮しなければ真実に迫れない.その象徴的現象の一つが初島の隆起であり,本発表でその重要性をレビュー的に強調したい.
●初島の1923年地震時隆起が,この地域のネオテクトニクス(即ち, 関東地震の地震テクトニクス)にとって第一義的に重要であることが,変動地形調査によって示唆される.杉原(1980)によれば,島の南東部の最高所の狭い平坦面(I面, 47〜50m a.s.l.)は約8万年前に形成された小原台面に対比され,その下の高度25〜40m a.s.l.の広い平坦面(II面)は,約6万年前に形成された三崎面に対比される.また,石橋・他(1982)が掘削調査なども併用して明らかにしたところによれば,3段の完新世海成段丘(IIIa〜IIIc)が発達しており,最高位のIIIa面は貝化石の14C年代が6,730±190 yrsBPで,海成層上限高度は+10mであった.これらにもとづく平均隆起速度は,最近8万年間で0.7〜0.8m/1,000年,最近6万年間で0.75〜0.9m/1,000年,最近6千年間で1.2m/1,000年となり,最近約10万年間,やや速度を増す傾向で隆起を続けているといえる.これは三浦半島南部に匹敵するものである.もう一つ注目すべきは,田中館(1926)の現地聴き取り調査結果をIshibashi (1985) がまとめたところによれば,真鶴岬付近〜伊東付近の伊豆半島東岸が1923年以前の数10年間,年間1cm前後の速さで沈降していたことである.また,初島東方沖には相模トラフ最北部の西縁を画する比高1,000mの顕著な急崖が南北に走っている.そして,初島は全体的に北西に傾動している.
●石橋(1988a, b)は,貝塚(1984)の示唆を考慮し,SFMのプレート収束史を考察して,それまでの「西相模湾断層」説(Ishibashi, 1985)を改め,「西相模湾断裂」の考えを提唱した.これは,過去数百万年以上にわたるプレート収束において,浮揚性沈み込みと多重衝突をくり返した火山性伊豆内弧と,関東地方の下に沈み込んでいく非火山性伊豆外弧の間に必然的に鋏状のプレート内断裂が生じ,それが現在も初島沖〜箱根東麓直下で活動的で,1923年にプレート境界主断層面と一緒にずれ動いたというものである.Ishibashi (2004) はその考えにもとづく1923年関東地震の静的断層モデルをフォワードモデルで示したが,田淵・他(2007)は真鶴・初島を含む上下・水平変動データを用いたインバージョンをおこない,初島の地殻変動をよく説明する静的断層モデルを得ている.このモデルを批判的に発展させることが重要であろう.
文献: 池田徹郎, 1925, 震災豫防調査會報告, 100号乙, 97-112; Ishibashi, K., 1985, Earthq. Predict. Res., 3, 319-344; 石橋克彦, 1988a, b, 科学, 58, 537-547, 771-780; Ishibashi, K., 2004, Earth Planets Space, 56, 843-858; 石橋克彦・太田陽子・松田時彦, 1982, 地震ii, 35, 195-212; 貝塚爽平, 1984, 第四紀研究, 23, 55-70; Nakadai, Y., Y. Tanioka, Y. Yamanaka, and T. Nakagaki, 2023, Bull. Seismol. Soc, Am., XX, 1-11; 杉原重夫, 1980, 明治大学人文科学研究所紀要, 19, 1-25; 田淵裕司・石橋克彦・吉岡祥一, 2007, 月刊地球, 号外57, 154-164; 田中館秀三, 1926, 地学雑誌, 38, 374-390.
●関東巨大地震は,フィリピン海プレート最北端部の南部フォッサマグナ(SFM;甲府盆地より南, 三浦・房総南部〜駿河湾北西岸)のプレート収束運動の劇的な表れにほかならない.したがって,1923年地震の震源断層モデルも,SFMの変動史を考慮しなければ真実に迫れない.その象徴的現象の一つが初島の隆起であり,本発表でその重要性をレビュー的に強調したい.
●初島の1923年地震時隆起が,この地域のネオテクトニクス(即ち, 関東地震の地震テクトニクス)にとって第一義的に重要であることが,変動地形調査によって示唆される.杉原(1980)によれば,島の南東部の最高所の狭い平坦面(I面, 47〜50m a.s.l.)は約8万年前に形成された小原台面に対比され,その下の高度25〜40m a.s.l.の広い平坦面(II面)は,約6万年前に形成された三崎面に対比される.また,石橋・他(1982)が掘削調査なども併用して明らかにしたところによれば,3段の完新世海成段丘(IIIa〜IIIc)が発達しており,最高位のIIIa面は貝化石の14C年代が6,730±190 yrsBPで,海成層上限高度は+10mであった.これらにもとづく平均隆起速度は,最近8万年間で0.7〜0.8m/1,000年,最近6万年間で0.75〜0.9m/1,000年,最近6千年間で1.2m/1,000年となり,最近約10万年間,やや速度を増す傾向で隆起を続けているといえる.これは三浦半島南部に匹敵するものである.もう一つ注目すべきは,田中館(1926)の現地聴き取り調査結果をIshibashi (1985) がまとめたところによれば,真鶴岬付近〜伊東付近の伊豆半島東岸が1923年以前の数10年間,年間1cm前後の速さで沈降していたことである.また,初島東方沖には相模トラフ最北部の西縁を画する比高1,000mの顕著な急崖が南北に走っている.そして,初島は全体的に北西に傾動している.
●石橋(1988a, b)は,貝塚(1984)の示唆を考慮し,SFMのプレート収束史を考察して,それまでの「西相模湾断層」説(Ishibashi, 1985)を改め,「西相模湾断裂」の考えを提唱した.これは,過去数百万年以上にわたるプレート収束において,浮揚性沈み込みと多重衝突をくり返した火山性伊豆内弧と,関東地方の下に沈み込んでいく非火山性伊豆外弧の間に必然的に鋏状のプレート内断裂が生じ,それが現在も初島沖〜箱根東麓直下で活動的で,1923年にプレート境界主断層面と一緒にずれ動いたというものである.Ishibashi (2004) はその考えにもとづく1923年関東地震の静的断層モデルをフォワードモデルで示したが,田淵・他(2007)は真鶴・初島を含む上下・水平変動データを用いたインバージョンをおこない,初島の地殻変動をよく説明する静的断層モデルを得ている.このモデルを批判的に発展させることが重要であろう.
文献: 池田徹郎, 1925, 震災豫防調査會報告, 100号乙, 97-112; Ishibashi, K., 1985, Earthq. Predict. Res., 3, 319-344; 石橋克彦, 1988a, b, 科学, 58, 537-547, 771-780; Ishibashi, K., 2004, Earth Planets Space, 56, 843-858; 石橋克彦・太田陽子・松田時彦, 1982, 地震ii, 35, 195-212; 貝塚爽平, 1984, 第四紀研究, 23, 55-70; Nakadai, Y., Y. Tanioka, Y. Yamanaka, and T. Nakagaki, 2023, Bull. Seismol. Soc, Am., XX, 1-11; 杉原重夫, 1980, 明治大学人文科学研究所紀要, 19, 1-25; 田淵裕司・石橋克彦・吉岡祥一, 2007, 月刊地球, 号外57, 154-164; 田中館秀三, 1926, 地学雑誌, 38, 374-390.