11:30 AM - 11:45 AM
[S23-07] Geometry of the top of Philippine Sea plate beneath the Kanto region, Japan: revealed by seismic profiling
はじめに: 関東地域では、1923年関東地震をはじめとする大規模なプレート境界地震が繰り返し発生してきた。2001年以降、大規模大震災軽減化プロジェクトや、首都直下地震防災・減災特別プロジェクト、神縄・国府津-松田断層帯の重点的調査観測プロジェクト等の中で、制御震源による大規模な地殻構造調査や自然地震の稠密アレイ観測が実施され、フィリピン海プレート(PHS)上面の形状が明らかになってきた。ここではPHS上面の形状とそれらの構造を生み出したテクトニックな要因、さらに1923年関東地震への影響について述べる。
フィリピン海プレートの上面形状: 通常プレート境界面は固着しており、地震活動のみでプレート境界を推定することは難しい。このため、深部反射法地震探査や稠密自然地震観測によるレシーバー関数解析などの解析方法を取り入れて、9測線においてPHSプレート上面のイメージングにつとめた。多数の測線においてフィリピン海プレート上面からの反射面が捉えられ、従来の推定よりもかなり浅い深度に位置することが明らかになった[1, 2, 3] (Fig. 1)。
伊豆衝突帯における地殻構造の特徴: 伊豆衝突帯北部、関東山地から甲府盆地に至る地域では、NW-SE, NS, ENE-WSW方向の互いに交差する測線で構造探査を行い、PHS上面はNNW-SSE方向のリッジ状の形状をなすことが明らかになった。東翼は緩傾斜であるが、西翼では傾斜を増大させ、甲府盆地の曽根丘陵下では、PHSからの反射面群が深さ40 kmまで追跡される[2]。このリッジ状のPHSの変形は、湾曲した形状の沈み込み境界への下降運動によるスラブの変形[4]と調和的である。背斜軸跡の方向は、古いフィリピン海プレートの運動方向[5]とほぼ一致することから、15 Ma以降継続したPHSの浮揚性沈み込みと一連のプロセスで形成されたと推定される。この東翼緩傾斜のリッジ状の形状は、1923年関東地震のすべり分布も規制している。新しいプレート境界形状に基づく1923年関東地震時の地殻変動や地震波形を用いて求められた地震時のすべり量分布は[1]、すべり領域の西縁がリッジ状形状の東翼部と一致することを示している。甲府盆地で確認されたPHS上面は、浮揚性沈み込みにより地殻上部が剥ぎ取られた本州側に付加した伊豆-小笠原弧の中部地殻に相当する。沈み込んでいるスラブ内の地震活動は、反射面群によって示唆される深部延長では消失しており、非地震性のスラブとなっている。伊豆衝突帯の北西部では、沈み込みに沿った地震活動の欠損により、スラブの存在そのものが不明確であったが、反射法地震探査によってその存在が明らかになった。甲府盆地下でのPHS上面深度は南アルプス下で推定されるものより有意に深く、とくに西方への連続性については更なる研究が必要である。
三浦・房総半島下の地殻構造の特徴: 関東平野の堆積盆地は、フィリピン海プレートの沈み込みに伴う葉山-嶺岡隆起帯の背後に形成され、最大層厚は川崎沖の東京湾で6 kmに及んでいる。葉山-嶺岡隆起帯下のP波速度構造は、関東平野下の先新第三系の岩石に比べて低下し、付加体としての形成プロセスを反映してP波速度4〜5 km/s程度の厚い一様な速度構造を示す。三浦半島下の関東地震のアスペリティ領域では、プレート境界面周辺でのP波速度は6 km/s程度まで上昇している。
関東地域南部のテクトニクス: 15 Ma以降、伊豆衝突帯ではPHSの北北西進に伴い浮揚性沈み込みが進行し、伊豆-小笠原弧の地殻上部が付加した。この間、国府津-松田断層などプレート境界に平行する分岐断層が形成された。1 Ma以降、PHSの西北西方向への運動方向の変化によって[6]、伊豆衝突帯西側での上盤プレート地殻の短縮量の増大や駿河トラフにおけるPHSスラブの傾斜角の増加、三浦・房総半島における分岐断層の右横ずれ運動が生じた。1923年関東地震は、こうした伊豆衝突帯東方の低角度の沈み込み境界の横ずれ運動によって発生した。
文献 [1]Sato, H. et al., Science, 309 (5737), 462-464, 2005. [2]佐藤比呂志,首都直下地震防災・減災特別 プロジェクト 総括成果報告書, 15-24, 2012. [3] Arai et al., G-cubed, 15, 1977–1990, doi:10.1002/2014GC005321, 2014. [4]Niitsuma, N., The Island Arc, 8, 441-458, 1999. [4]Ide, S. Nature, 466, 356–359, 2010. [5] Hashima, A. et al., Tectonophys., 679, 1-14, doi: 10.1016/j.tecto.2016.04.005, 2016.
フィリピン海プレートの上面形状: 通常プレート境界面は固着しており、地震活動のみでプレート境界を推定することは難しい。このため、深部反射法地震探査や稠密自然地震観測によるレシーバー関数解析などの解析方法を取り入れて、9測線においてPHSプレート上面のイメージングにつとめた。多数の測線においてフィリピン海プレート上面からの反射面が捉えられ、従来の推定よりもかなり浅い深度に位置することが明らかになった[1, 2, 3] (Fig. 1)。
伊豆衝突帯における地殻構造の特徴: 伊豆衝突帯北部、関東山地から甲府盆地に至る地域では、NW-SE, NS, ENE-WSW方向の互いに交差する測線で構造探査を行い、PHS上面はNNW-SSE方向のリッジ状の形状をなすことが明らかになった。東翼は緩傾斜であるが、西翼では傾斜を増大させ、甲府盆地の曽根丘陵下では、PHSからの反射面群が深さ40 kmまで追跡される[2]。このリッジ状のPHSの変形は、湾曲した形状の沈み込み境界への下降運動によるスラブの変形[4]と調和的である。背斜軸跡の方向は、古いフィリピン海プレートの運動方向[5]とほぼ一致することから、15 Ma以降継続したPHSの浮揚性沈み込みと一連のプロセスで形成されたと推定される。この東翼緩傾斜のリッジ状の形状は、1923年関東地震のすべり分布も規制している。新しいプレート境界形状に基づく1923年関東地震時の地殻変動や地震波形を用いて求められた地震時のすべり量分布は[1]、すべり領域の西縁がリッジ状形状の東翼部と一致することを示している。甲府盆地で確認されたPHS上面は、浮揚性沈み込みにより地殻上部が剥ぎ取られた本州側に付加した伊豆-小笠原弧の中部地殻に相当する。沈み込んでいるスラブ内の地震活動は、反射面群によって示唆される深部延長では消失しており、非地震性のスラブとなっている。伊豆衝突帯の北西部では、沈み込みに沿った地震活動の欠損により、スラブの存在そのものが不明確であったが、反射法地震探査によってその存在が明らかになった。甲府盆地下でのPHS上面深度は南アルプス下で推定されるものより有意に深く、とくに西方への連続性については更なる研究が必要である。
三浦・房総半島下の地殻構造の特徴: 関東平野の堆積盆地は、フィリピン海プレートの沈み込みに伴う葉山-嶺岡隆起帯の背後に形成され、最大層厚は川崎沖の東京湾で6 kmに及んでいる。葉山-嶺岡隆起帯下のP波速度構造は、関東平野下の先新第三系の岩石に比べて低下し、付加体としての形成プロセスを反映してP波速度4〜5 km/s程度の厚い一様な速度構造を示す。三浦半島下の関東地震のアスペリティ領域では、プレート境界面周辺でのP波速度は6 km/s程度まで上昇している。
関東地域南部のテクトニクス: 15 Ma以降、伊豆衝突帯ではPHSの北北西進に伴い浮揚性沈み込みが進行し、伊豆-小笠原弧の地殻上部が付加した。この間、国府津-松田断層などプレート境界に平行する分岐断層が形成された。1 Ma以降、PHSの西北西方向への運動方向の変化によって[6]、伊豆衝突帯西側での上盤プレート地殻の短縮量の増大や駿河トラフにおけるPHSスラブの傾斜角の増加、三浦・房総半島における分岐断層の右横ずれ運動が生じた。1923年関東地震は、こうした伊豆衝突帯東方の低角度の沈み込み境界の横ずれ運動によって発生した。
文献 [1]Sato, H. et al., Science, 309 (5737), 462-464, 2005. [2]佐藤比呂志,首都直下地震防災・減災特別 プロジェクト 総括成果報告書, 15-24, 2012. [3] Arai et al., G-cubed, 15, 1977–1990, doi:10.1002/2014GC005321, 2014. [4]Niitsuma, N., The Island Arc, 8, 441-458, 1999. [4]Ide, S. Nature, 466, 356–359, 2010. [5] Hashima, A. et al., Tectonophys., 679, 1-14, doi: 10.1016/j.tecto.2016.04.005, 2016.