[JB07] 居場所で過ごす青少年たち
キーワード:居場所, 青少年, 実践研究
〈企画趣旨〉
文部省が提唱した「こころの居場所」の必要性や文部科学省の「地域教育再生プラン(子どもの居場所づくり新プラン)」の実施など,近年青少年の居場所の必要性が重視されている。居場所について,教育学,心理学,建築学など多岐の分野で理論,実践ともに研究され,その有用性が指摘されてきた(例えば北山,2003;住田,2003;鈴木・中野,2000など)。先行研究の多くは,学校などの既存の居場所における「居場所感」に焦点を当てた研究であり,「居場所」にかかわって,実践的な観点から取り上げられた研究は少ない。
本シンポジウムでは,居場所で過ごす青少年たちを具体的に取り上げ,その過程を多様なフィールドから検討することで,「居場所」の様態,そして,それが青少年たちにどのように影響しているのか,について,議論を深めたい。
〈話題提供要旨〉
「子ども時代の居場所への中高生のまなざし」
山下 智也(西日本短期大学)
筆者が「地域での遊び・居場所」をテーマに,2004年7月に子どもの遊び場「きんしゃいきゃんぱす」を商店街に開設してから,気付けば10年が経過した。平日の放課後に2時間程度開放されているこの場所は,いつしか地域に根付いた子どもたちの溜まり場となり,それぞれが思い思いに過ごす場所となっていった。当然,年齢層も次第に幅広くなっていく。今では,小学生はもちろんのこと,乳幼児や中高生,あるいは大学生や社会人までもがふらっと立ち寄り,共に居る場となってきた。
本シンポジウムでは,その中でも,小学校時代にこの遊び場を居場所とし(自覚の有無に関係なく),遊び回っていた子どもたちが,中高生になってふらっと立ち寄った時に,ぽろっとこぼした「思い」に焦点を当ててみたい。
久々にやってきたときのいつもと違うアクセスの仕方,小学生が自由気ままに声を張り上げて遊ぶ姿を見ての心からのつぶやき,久しぶりに会うスタッフへの丁寧語交じりの気遣いの言葉など,そこには興味深いエッセンスがたくさん散りばめられているのである。もう一方で,中高生になってからもいまだに遊び場の常連である子どももいれば,中高生になってから足を運ぶようになった子どももいる。そのような中高生とのコントラストも意識しながら,話題提供を行う。
ちなみに,今回は形式的なインタビュー等の手法は敢えて用いず,日常の会話の中でこぼれてくる言葉を拾い集めることで,その本質に迫ることに試みた。
「あの頃とホントに変わらないね」とつぶやく子どもたち。かつて,この遊び場を居場所にしていた。中高生には,この場がどのように“見え”ているのか。その視線に想いを重ねながら,居場所の本質をつかむ際の一助としたいと考えている。
「個々の異なるニーズが満たされる居場所」
中村 孝(広島大学大学院)
筆者が経営する塾の卒業後も塾に来る二人を事例にあげ,同じ場所だが異なるニーズを満たすために塾という居場所が活用されうるという可能性について話題提供を行う。
A男は2013年3月に中学校を卒業。入塾当初は学校では学力不振・無気力・素行が目立つ生徒であり,母親と不仲であった。高校ならどこでも入れればいいという親の主訴でスタートしたが,本児は進学動機はなし。塾内でも,後輩を馬鹿にし,大声で話し,脱線・立ち歩きが目立った。しかし,社会性に優れた特性を生かし,塾内での相互支援や協同学習に取り組む中で,行動が改善し,学力がやや向上し,高校にも進学を果たす。
高校入学後,A男が「塾に来てもいいですか?」とボランティアを志願する。塾では,これまで以上に先輩として,受容・共感的な関わり方で学習支援を行う。その理由を,塾後の振り返り時にA男に尋ねると,「塾で先生たちに教わっていたから」と話す。
B子は2014年3月に中学校を卒業。病気がちなために,一定期間は不登校傾向があり,学力も平均以下からのスタート。寡黙で対人スキルが低いため,A男とは対照的に,受動的である。しかし,他児の言動には興味を示すことから,積極的に交流を促し,協同学習を行った。進学希望の学校が決まり,学習にも力を入れるが,B子としては,協同学習を希望する。高校入学後,何も言わず,自然と塾に来ている。後輩への支援を積極的にするわけではないが,塾後の振り返りで後輩についてコメントを求めると的確なアセスメントや支援策を提案することができる。その理由を尋ねると「いや,別に」と答える。
以上の二人の事例から,タイプの異なる二人にとって,塾という同じ場所で,それぞれ異なるニーズが満たされたことがうかがえた。居場所感の構成要素として1「自己有用感」2「本来感」3「被受容感」4「精神的安定感」などがこれまでの研究(石本2010,杉本・庄司2006,岸・諸井2011,参考)から述べられているが,A男においては1,2,3が,B子においては,2,3,4が満たされていることが推察された。
「中高生年代を居場所で過ごした青年」
枝廣 和憲(岡山大学)
中高生年代を対象とする児童館とNPOの共同で運営された居場所=「ヨルのジドウカン」で,筆者は約6年間活動してきた。そのなかで,出会った,青少年時代を居場所=「ヨルのジドウカン」で5年間過ごした,現在社会人の女性Yさんに今回インタビューを実施した。半構造化面接を行い,複線径路・等至性モデル(Trajectory Equifinality Model: 以下,TEM)の手法を用いながら,面接協力者の体験を一つのTEM図にまとめた。TEMとは,データの分析及び記述に関する方法であり,時間を捨象することなく,多様な経験の径路を提示するという理念を基盤とする,質的研究法の一つである(サトウ,2009)。
Yさんへのインタビューから得た情報をもとに,必須通過点と分岐点の特定を行い,ナナメの関係を青年期中期に経験し,現在に至るまでのプロセスのモデル化を行った。
Yさんは,まず青年期中期に生徒会に入るなど,「優等生」である自分に少なからず違和感を覚えていた。その後,居場所におけるナナメの関係とのかかわりの中で,「紆余曲折してる人」と出会い,「優等生」としての自分との違和感を実感していき,「ふざけてもいい」「それでもいいんや」と思うようになった。他の高校生と同じく,留学せずにそのまま卒業することもできたが,敢えて,「留年してもいい」という覚悟の上,留学を決意する。その後,大学への進路選択に関して,ナナメの関係の人々の職業に多かった小学校教員養成課程へと進学する。大学4年生時に一旦教員採用試験を受けずに,企業の契約職員となる。「紆余曲折して」現在の小学校の教員となった。現在の自分について,「高校生の時に憧れてた人たちに近づけた気がする。」と語った。
Yさんは,青年期中期に自分が「優等生」であるか否かの自我の揺らぎを経験している。そこに,ナナメの関係に位置する大学生スタッフの「ふざけてもいい」「紆余曲折して」もいいといった,「「優等生」でなければならない」という縛りから解放され,自分の自我の揺らぎを安定させていったと推察される。その後の進路選択や職業選択に対しても,ナナメの関係といった具体的な未来に対する時間的展望をモデルとして取り入れ,確立していったものと解釈できる。以上から,ナナメの関係を持つことが自我発達にポジティブな影響を及ぼしていると推察された。
「在宅化した学習障害青年の足がかりとしての居場所」
日高 茂暢(作新学院大学)
筆者は北海道において発達障害のある子どもや青年の支援を行ってきた。特別支援教育が始まった2007年以前,通常学級の中での発達障害に対する合理的な配慮は十分とはいえない状況であった。その時代の中で,援助してきた子どもたちにとって,筆者が関わってきた学習支援は,次第に「居場所」としての性質をもつものになってきた。本シンポジウムでは,長く関係してきた青年について話題提供を行う。
Aくんは,学習障害の疑いで大学につながったケースである。IQとしては平均の水準があるものの,読み書きに深刻な課題があったため,いじめや不登校といった不適応状態が続いていた。その後,中学校での教員に対する不信感から登校拒否,在宅化していった。そのため,次第に大学でのフォローも難しくなった。保護者と連絡をとりながら「細く長く」,緊急対応を取れるようにつながっていくことしかできなかった時期が続いた。その後Aくんの方から高校進学についての相談が入り,再び継続的なフォローが始まった。Aくんは筆者との話し合いを通じ,「他の子を見ていて自分このままでいいのかな」と思ったことを話す。Aくんの興味関心を活かしながら,読み書きやパソコンの使い方の練習を通して,専門学校に入学した。学校でAくんは信頼する大人を見つけることができたが,様々な壁にあたりながら,自己効力感を著しく低下させ退学の決意をした。
現在,同じような困難をもつ青年たちの「居場所」に継続的に通っている。在宅化傾向はあるものの,自分の関心のある範囲で外出し,また居場所に通う青年を誘いカラオケや映画に誘う場面も増えてきた。また他の青年に影響され,アルバイトなどの自己将来に関する話題にも参加する場面が見られるようになってきた。同じ悩みをもつ青年や理解者である大人が存在する「居場所」の中で,自分に対する現実検討が促されているのかもしれない。Aくんの読み書きに関する特性は,家族から学校,社会へとコミュニティの移る際の大きなバリアとなると考えられる。発達障害のある青年の「居場所」とは,バリアが顕在化した際に,仲間がいる基地に立ち返って自分の課題を見直すことができる性質を内包していると推察される。
文部省が提唱した「こころの居場所」の必要性や文部科学省の「地域教育再生プラン(子どもの居場所づくり新プラン)」の実施など,近年青少年の居場所の必要性が重視されている。居場所について,教育学,心理学,建築学など多岐の分野で理論,実践ともに研究され,その有用性が指摘されてきた(例えば北山,2003;住田,2003;鈴木・中野,2000など)。先行研究の多くは,学校などの既存の居場所における「居場所感」に焦点を当てた研究であり,「居場所」にかかわって,実践的な観点から取り上げられた研究は少ない。
本シンポジウムでは,居場所で過ごす青少年たちを具体的に取り上げ,その過程を多様なフィールドから検討することで,「居場所」の様態,そして,それが青少年たちにどのように影響しているのか,について,議論を深めたい。
〈話題提供要旨〉
「子ども時代の居場所への中高生のまなざし」
山下 智也(西日本短期大学)
筆者が「地域での遊び・居場所」をテーマに,2004年7月に子どもの遊び場「きんしゃいきゃんぱす」を商店街に開設してから,気付けば10年が経過した。平日の放課後に2時間程度開放されているこの場所は,いつしか地域に根付いた子どもたちの溜まり場となり,それぞれが思い思いに過ごす場所となっていった。当然,年齢層も次第に幅広くなっていく。今では,小学生はもちろんのこと,乳幼児や中高生,あるいは大学生や社会人までもがふらっと立ち寄り,共に居る場となってきた。
本シンポジウムでは,その中でも,小学校時代にこの遊び場を居場所とし(自覚の有無に関係なく),遊び回っていた子どもたちが,中高生になってふらっと立ち寄った時に,ぽろっとこぼした「思い」に焦点を当ててみたい。
久々にやってきたときのいつもと違うアクセスの仕方,小学生が自由気ままに声を張り上げて遊ぶ姿を見ての心からのつぶやき,久しぶりに会うスタッフへの丁寧語交じりの気遣いの言葉など,そこには興味深いエッセンスがたくさん散りばめられているのである。もう一方で,中高生になってからもいまだに遊び場の常連である子どももいれば,中高生になってから足を運ぶようになった子どももいる。そのような中高生とのコントラストも意識しながら,話題提供を行う。
ちなみに,今回は形式的なインタビュー等の手法は敢えて用いず,日常の会話の中でこぼれてくる言葉を拾い集めることで,その本質に迫ることに試みた。
「あの頃とホントに変わらないね」とつぶやく子どもたち。かつて,この遊び場を居場所にしていた。中高生には,この場がどのように“見え”ているのか。その視線に想いを重ねながら,居場所の本質をつかむ際の一助としたいと考えている。
「個々の異なるニーズが満たされる居場所」
中村 孝(広島大学大学院)
筆者が経営する塾の卒業後も塾に来る二人を事例にあげ,同じ場所だが異なるニーズを満たすために塾という居場所が活用されうるという可能性について話題提供を行う。
A男は2013年3月に中学校を卒業。入塾当初は学校では学力不振・無気力・素行が目立つ生徒であり,母親と不仲であった。高校ならどこでも入れればいいという親の主訴でスタートしたが,本児は進学動機はなし。塾内でも,後輩を馬鹿にし,大声で話し,脱線・立ち歩きが目立った。しかし,社会性に優れた特性を生かし,塾内での相互支援や協同学習に取り組む中で,行動が改善し,学力がやや向上し,高校にも進学を果たす。
高校入学後,A男が「塾に来てもいいですか?」とボランティアを志願する。塾では,これまで以上に先輩として,受容・共感的な関わり方で学習支援を行う。その理由を,塾後の振り返り時にA男に尋ねると,「塾で先生たちに教わっていたから」と話す。
B子は2014年3月に中学校を卒業。病気がちなために,一定期間は不登校傾向があり,学力も平均以下からのスタート。寡黙で対人スキルが低いため,A男とは対照的に,受動的である。しかし,他児の言動には興味を示すことから,積極的に交流を促し,協同学習を行った。進学希望の学校が決まり,学習にも力を入れるが,B子としては,協同学習を希望する。高校入学後,何も言わず,自然と塾に来ている。後輩への支援を積極的にするわけではないが,塾後の振り返りで後輩についてコメントを求めると的確なアセスメントや支援策を提案することができる。その理由を尋ねると「いや,別に」と答える。
以上の二人の事例から,タイプの異なる二人にとって,塾という同じ場所で,それぞれ異なるニーズが満たされたことがうかがえた。居場所感の構成要素として1「自己有用感」2「本来感」3「被受容感」4「精神的安定感」などがこれまでの研究(石本2010,杉本・庄司2006,岸・諸井2011,参考)から述べられているが,A男においては1,2,3が,B子においては,2,3,4が満たされていることが推察された。
「中高生年代を居場所で過ごした青年」
枝廣 和憲(岡山大学)
中高生年代を対象とする児童館とNPOの共同で運営された居場所=「ヨルのジドウカン」で,筆者は約6年間活動してきた。そのなかで,出会った,青少年時代を居場所=「ヨルのジドウカン」で5年間過ごした,現在社会人の女性Yさんに今回インタビューを実施した。半構造化面接を行い,複線径路・等至性モデル(Trajectory Equifinality Model: 以下,TEM)の手法を用いながら,面接協力者の体験を一つのTEM図にまとめた。TEMとは,データの分析及び記述に関する方法であり,時間を捨象することなく,多様な経験の径路を提示するという理念を基盤とする,質的研究法の一つである(サトウ,2009)。
Yさんへのインタビューから得た情報をもとに,必須通過点と分岐点の特定を行い,ナナメの関係を青年期中期に経験し,現在に至るまでのプロセスのモデル化を行った。
Yさんは,まず青年期中期に生徒会に入るなど,「優等生」である自分に少なからず違和感を覚えていた。その後,居場所におけるナナメの関係とのかかわりの中で,「紆余曲折してる人」と出会い,「優等生」としての自分との違和感を実感していき,「ふざけてもいい」「それでもいいんや」と思うようになった。他の高校生と同じく,留学せずにそのまま卒業することもできたが,敢えて,「留年してもいい」という覚悟の上,留学を決意する。その後,大学への進路選択に関して,ナナメの関係の人々の職業に多かった小学校教員養成課程へと進学する。大学4年生時に一旦教員採用試験を受けずに,企業の契約職員となる。「紆余曲折して」現在の小学校の教員となった。現在の自分について,「高校生の時に憧れてた人たちに近づけた気がする。」と語った。
Yさんは,青年期中期に自分が「優等生」であるか否かの自我の揺らぎを経験している。そこに,ナナメの関係に位置する大学生スタッフの「ふざけてもいい」「紆余曲折して」もいいといった,「「優等生」でなければならない」という縛りから解放され,自分の自我の揺らぎを安定させていったと推察される。その後の進路選択や職業選択に対しても,ナナメの関係といった具体的な未来に対する時間的展望をモデルとして取り入れ,確立していったものと解釈できる。以上から,ナナメの関係を持つことが自我発達にポジティブな影響を及ぼしていると推察された。
「在宅化した学習障害青年の足がかりとしての居場所」
日高 茂暢(作新学院大学)
筆者は北海道において発達障害のある子どもや青年の支援を行ってきた。特別支援教育が始まった2007年以前,通常学級の中での発達障害に対する合理的な配慮は十分とはいえない状況であった。その時代の中で,援助してきた子どもたちにとって,筆者が関わってきた学習支援は,次第に「居場所」としての性質をもつものになってきた。本シンポジウムでは,長く関係してきた青年について話題提供を行う。
Aくんは,学習障害の疑いで大学につながったケースである。IQとしては平均の水準があるものの,読み書きに深刻な課題があったため,いじめや不登校といった不適応状態が続いていた。その後,中学校での教員に対する不信感から登校拒否,在宅化していった。そのため,次第に大学でのフォローも難しくなった。保護者と連絡をとりながら「細く長く」,緊急対応を取れるようにつながっていくことしかできなかった時期が続いた。その後Aくんの方から高校進学についての相談が入り,再び継続的なフォローが始まった。Aくんは筆者との話し合いを通じ,「他の子を見ていて自分このままでいいのかな」と思ったことを話す。Aくんの興味関心を活かしながら,読み書きやパソコンの使い方の練習を通して,専門学校に入学した。学校でAくんは信頼する大人を見つけることができたが,様々な壁にあたりながら,自己効力感を著しく低下させ退学の決意をした。
現在,同じような困難をもつ青年たちの「居場所」に継続的に通っている。在宅化傾向はあるものの,自分の関心のある範囲で外出し,また居場所に通う青年を誘いカラオケや映画に誘う場面も増えてきた。また他の青年に影響され,アルバイトなどの自己将来に関する話題にも参加する場面が見られるようになってきた。同じ悩みをもつ青年や理解者である大人が存在する「居場所」の中で,自分に対する現実検討が促されているのかもしれない。Aくんの読み書きに関する特性は,家族から学校,社会へとコミュニティの移る際の大きなバリアとなると考えられる。発達障害のある青年の「居場所」とは,バリアが顕在化した際に,仲間がいる基地に立ち返って自分の課題を見直すことができる性質を内包していると推察される。