[研企シ] 新学習指導要領に教育心理学はどう活かされたか
中央教育審議会の議論を追って
キーワード:新学習指導要領, 中央教育審議会
―昨年(2016年)12月に中央教育審議会からの答申が発表され,新学習指導要領が公示された。中央教育審議会には,教育心理学会のメンバーが多くかかわっており,中央教育審議会(企画特別部会)の論点整理(2015年)や最終答申には,「メタ認知の育成」が明記されるなど,多くの心理学的視点が含まれている。また,中央教育審議会の最終答申と同時期に出され,指導要領改訂も視野に入っていると思われる「小中一貫した教育課程の編成・実施に関する手引」には,小中9年間を見越して培うべき教科を横断する学習指導スキルとして「学習方略」という言葉が挙げられている。さらに,それらを高めるような具体的な実践も紹介されている(教育心理学会において「教育心理学は教育において不毛である」というシンポ(不毛性シンポ)を知っている世代からみると隔世の感があるだろう)。
こうした流れは,OECDによるキー・コンピテンシーという概念の提案や,21世紀型スキルといった考え方の台頭が直接の契機とはいえ,教育心理学者が積極的に教育改革に関わっていった結果と思われる。教育心理学会では,新教育課程に関するシンポジウムは必ずしも多くないが,教育心理学研究者が,今後,現場の実践的研究にかかわっていける可能性ともつながるため,(特に若い研究者が)新学習指導要領に生きる教育心理学の視点を知ることは重要であろう。
中央教育審議会にかかわった教育心理学者の3人の先生をお招きし,新教育課程に生きる教育心理学の発想をご紹介いただくとともに,教育心理学における今後の課題を議論していただく。
学習指導要領の考え方は教育心理学から作られた
無藤 隆
2017年3月に改訂された学習指導要領は中央教育審議会の下の特別部会やそのための準備の協力者会議などで,指導要領の骨格をなす考えが提起された。その中心には教育心理学(認知科学や学習科学や発達科学などを含む)の理論的概念枠組みが大きく影響を与えている。
そのことは「資質・能力」,「主体的・対話的で深い学び」,「教科等の見方・考え方」などの概念規定から分かる。とりわけ,知識と思考,知的面と社会・情動面,内容(コンテンツ)と汎用的能力(コンピタンス),短期の学びと長期の育ち,教師による指導と自己学習,さらに基本的な能力とスキルなどの統合をカリキュラムとして実現することが目指された。どちらかだけに寄るのではなく,どちらの面も必要であり,そのつながりこそが学校教育の核なのである。
資質・能力とは知識・技能,思考力・判断力・表現力等,学びに向かう力・人間性等,である。それぞれに教育心理学の概念が組み込まれている。①知識を中核的な知識を中心とした構造的なものとした。バラバラのものを知識とするのではなく,さらに知識の習熟と思考のサイクルを強調する。②思考と表現の密接なつながりと循環を強調した。③学びに向かう力とは意欲や意思やメタ認知などを複合したものであり,情動面,社会性,自己抑制やメタ的把握などを含めている。
アクティブな学びの指導上の具体化である主体的・対話的で深い学びにおいて。①主体的とは特に振り返り,見通しを立てて学ぶことを指している。学習主体が何をどう学ぶかを自覚して学んでいくという点でメタ認知や自己学習の考え方が反映されている。②自分の考えを多様に表現し共有し,それを巡って他者と対話する。考えは表現することを通して対象化され,それを共有し深めることが対話なのである。さらにその表現は言語的な表現を中心としながらも,映像その他の表現を含める。③学びを深めるために中核的な概念を中心とした構造化を進める。これが教科等の体系性や独自性の背景へと進み,それが課題解決の道具として使われるようになる。これを見方・考え方と呼ぶ。
全体として,スキルと道具という捉え方が従来にない近年の心理学の研究を元にしている。スキルとは具体的な場面で使えるやり方であり,概念や社会的仕組みやものなどを道具として使って,課題解決を行うのである。そこには,自己学習の考え方が反映されているとともに,学習科学などの学習環境デザインの考え方が使われている。また教師の指導性や授業実践研究などの指摘は教師の熟達研究が背景にあると言える。
教育心理学がリードしたバランスと統合
市川伸一
筆者は,2008年と2017年の学習指導要領改訂に教育課程部会委員として審議に加わってきた。認知心理学,教育心理学的な発想として,多少変形の上ではあるが,実際に次のようなことが取り入れられてきたと思っている。
・習得・活用・探究の学習
・教授と活動のバランス
・教科横断的な資質・能力の育成
・社会に開かれた教育課程
これらは,今回改訂における「主体的・対話的で深い学び」にも直接関わるものであり,とくに,「深い理解」「深い学び」のイメージづくりには,教育心理学が関与している。我々が率先したわけではないが,今回の審議の中では,メタ認知や批判的思考といった教育心理学用語もかなり飛び交っていた。
なぜ,これらが「教育心理学的」と言えるのか。第一に,個別の教科だけでは出てきにくい「教科横断的」,かつ,社会的な学習の中でも現れる共通の概念だからである。第二に,学習内容(コンテンツ)よりもその学習プロセスや,内的メカニズムに関わる概念であることだ。そして,第三に,これらが対立する諸概念を統合したものであるという点に注目したい。
とくに,第三の点に関連して,教育心理学というのが,それ自体,いろいろな立場を含む領域で,極論に振り回されずに議論を展開できたことは大きいと筆者は感じている。
・外発的動機づけと内発的動機づけ
・受容学習と発見学習
・知識と思考(推論,問題解決,創造性)
・領域固有性と領域普遍性
・相対評価と絶対評価(到達度評価)
といった対立概念は,教育心理学で論争が繰り返されてきただけに,現実の教育でどう統合するかというときに,立場を相対化して長所・短所を語ることができる。ところが教育学や社会一般では素朴な二者択一論が多く,どちらか一方が善にされたり,悪にされたりする。今でこそ,「ゆとりか詰め込みかといった二者択一を越えたもの」として中教審答申や学習指導要領が意義づけられているが,かつては,教育学者,教育行政,マスコミがいっしょになって極論をゆれ動く「振り子現象」が起こっていたのである。
教育界にはまだまだその名残が残っており,それをどう科学的・実証的で,かつバランスのとれたものにするかは,今後の課題である。それには,教育心理学者も,実験や調査という方法論に立った理論的研究だけでなく,現実の教育実践や教育行政とも関わりながら研究していく姿勢が求められるに違いない。
教育心理学にできること,できないこと
奈須正裕
学習指導要領とはNational Curriculum Standard,国家レベルで定めるカリキュラムの基準である。それは少なくとも1958年以降,学校で子どもたちに「何を教えるか」,つまり教育内容(content)の選択と,それをどのような領域区分(スコープ)と時間的な流れ(シーケンス)の中に配列するかという課題を中心に推移してきた。
そこでは自ずと,各教科を支える「親学問」の内部論理と,価値に関する規範学的な議論とが主軸となり,事実学である教育心理学の出番はシーケンスを基礎づける発達研究に限定されがちであった。もちろん,定められた内容を実際の教室でどのように教えるかを巡っては,教授=学習研究,個人差や対人関係に関する基礎的・臨床的研究など,貢献の機会は多い。しかし,それは個々の授業や単元,年間指導計画の水準であって,学習指導要領本体に対する直接的貢献とは言い難い。
これに対し近年,資質・能力(competencies)を基盤にカリキュラムを編み出そうとの動きが国際的に活況を呈しており,今回の学習指導要領改訂もこの原理に沿って進められた。資質・能力論はWhite(1959)のcompetence概念をMcClelland(1973)などが発展ないしは矮小化・世俗化させたものと解釈しうるが,そこでは教育を巡る基本的な問いが「何を知っているか」から「何ができるか」,より詳細には「どのような問題解決を現に成し遂げるか」へと大きく転換する。
もはやカリキュラムは,「親学問」の内部論理と規範学的な議論のみで決着が着く教育内容の静的なリストではありえない。問題解決と熟達化を中心とした「学び」と「育ち」に関する複雑な事実関係の動的把握とメカニズムの統合的理解に基づく社会システムの構築であり,教育心理学を始めとする事実学はその理論的な基盤を提供する。
その一方で,資質・能力論はその事実学的でプラグマティックな性格のゆえに,社会効率主義(social efficiency)に陥る危険性をはらむ。新学習指導要領でいう「社会に開かれた教育課程」も,教育と社会の関係をどうとらえるかを巡って,慎重な議論が必要であろう。
教育心理学はこのような問題にどう立ち向かうのか。あるいは,学問的性格から直接的には困難であっても,教育心理学者はこのような問題にも関心と見識を持ち,積極的に関与すべきなのか。カリキュラム政策を基礎づける原理が変化し,貢献の可能性が著しく拡大する中,教育心理学並びに教育心理学者の在り方が問われている。
こうした流れは,OECDによるキー・コンピテンシーという概念の提案や,21世紀型スキルといった考え方の台頭が直接の契機とはいえ,教育心理学者が積極的に教育改革に関わっていった結果と思われる。教育心理学会では,新教育課程に関するシンポジウムは必ずしも多くないが,教育心理学研究者が,今後,現場の実践的研究にかかわっていける可能性ともつながるため,(特に若い研究者が)新学習指導要領に生きる教育心理学の視点を知ることは重要であろう。
中央教育審議会にかかわった教育心理学者の3人の先生をお招きし,新教育課程に生きる教育心理学の発想をご紹介いただくとともに,教育心理学における今後の課題を議論していただく。
学習指導要領の考え方は教育心理学から作られた
無藤 隆
2017年3月に改訂された学習指導要領は中央教育審議会の下の特別部会やそのための準備の協力者会議などで,指導要領の骨格をなす考えが提起された。その中心には教育心理学(認知科学や学習科学や発達科学などを含む)の理論的概念枠組みが大きく影響を与えている。
そのことは「資質・能力」,「主体的・対話的で深い学び」,「教科等の見方・考え方」などの概念規定から分かる。とりわけ,知識と思考,知的面と社会・情動面,内容(コンテンツ)と汎用的能力(コンピタンス),短期の学びと長期の育ち,教師による指導と自己学習,さらに基本的な能力とスキルなどの統合をカリキュラムとして実現することが目指された。どちらかだけに寄るのではなく,どちらの面も必要であり,そのつながりこそが学校教育の核なのである。
資質・能力とは知識・技能,思考力・判断力・表現力等,学びに向かう力・人間性等,である。それぞれに教育心理学の概念が組み込まれている。①知識を中核的な知識を中心とした構造的なものとした。バラバラのものを知識とするのではなく,さらに知識の習熟と思考のサイクルを強調する。②思考と表現の密接なつながりと循環を強調した。③学びに向かう力とは意欲や意思やメタ認知などを複合したものであり,情動面,社会性,自己抑制やメタ的把握などを含めている。
アクティブな学びの指導上の具体化である主体的・対話的で深い学びにおいて。①主体的とは特に振り返り,見通しを立てて学ぶことを指している。学習主体が何をどう学ぶかを自覚して学んでいくという点でメタ認知や自己学習の考え方が反映されている。②自分の考えを多様に表現し共有し,それを巡って他者と対話する。考えは表現することを通して対象化され,それを共有し深めることが対話なのである。さらにその表現は言語的な表現を中心としながらも,映像その他の表現を含める。③学びを深めるために中核的な概念を中心とした構造化を進める。これが教科等の体系性や独自性の背景へと進み,それが課題解決の道具として使われるようになる。これを見方・考え方と呼ぶ。
全体として,スキルと道具という捉え方が従来にない近年の心理学の研究を元にしている。スキルとは具体的な場面で使えるやり方であり,概念や社会的仕組みやものなどを道具として使って,課題解決を行うのである。そこには,自己学習の考え方が反映されているとともに,学習科学などの学習環境デザインの考え方が使われている。また教師の指導性や授業実践研究などの指摘は教師の熟達研究が背景にあると言える。
教育心理学がリードしたバランスと統合
市川伸一
筆者は,2008年と2017年の学習指導要領改訂に教育課程部会委員として審議に加わってきた。認知心理学,教育心理学的な発想として,多少変形の上ではあるが,実際に次のようなことが取り入れられてきたと思っている。
・習得・活用・探究の学習
・教授と活動のバランス
・教科横断的な資質・能力の育成
・社会に開かれた教育課程
これらは,今回改訂における「主体的・対話的で深い学び」にも直接関わるものであり,とくに,「深い理解」「深い学び」のイメージづくりには,教育心理学が関与している。我々が率先したわけではないが,今回の審議の中では,メタ認知や批判的思考といった教育心理学用語もかなり飛び交っていた。
なぜ,これらが「教育心理学的」と言えるのか。第一に,個別の教科だけでは出てきにくい「教科横断的」,かつ,社会的な学習の中でも現れる共通の概念だからである。第二に,学習内容(コンテンツ)よりもその学習プロセスや,内的メカニズムに関わる概念であることだ。そして,第三に,これらが対立する諸概念を統合したものであるという点に注目したい。
とくに,第三の点に関連して,教育心理学というのが,それ自体,いろいろな立場を含む領域で,極論に振り回されずに議論を展開できたことは大きいと筆者は感じている。
・外発的動機づけと内発的動機づけ
・受容学習と発見学習
・知識と思考(推論,問題解決,創造性)
・領域固有性と領域普遍性
・相対評価と絶対評価(到達度評価)
といった対立概念は,教育心理学で論争が繰り返されてきただけに,現実の教育でどう統合するかというときに,立場を相対化して長所・短所を語ることができる。ところが教育学や社会一般では素朴な二者択一論が多く,どちらか一方が善にされたり,悪にされたりする。今でこそ,「ゆとりか詰め込みかといった二者択一を越えたもの」として中教審答申や学習指導要領が意義づけられているが,かつては,教育学者,教育行政,マスコミがいっしょになって極論をゆれ動く「振り子現象」が起こっていたのである。
教育界にはまだまだその名残が残っており,それをどう科学的・実証的で,かつバランスのとれたものにするかは,今後の課題である。それには,教育心理学者も,実験や調査という方法論に立った理論的研究だけでなく,現実の教育実践や教育行政とも関わりながら研究していく姿勢が求められるに違いない。
教育心理学にできること,できないこと
奈須正裕
学習指導要領とはNational Curriculum Standard,国家レベルで定めるカリキュラムの基準である。それは少なくとも1958年以降,学校で子どもたちに「何を教えるか」,つまり教育内容(content)の選択と,それをどのような領域区分(スコープ)と時間的な流れ(シーケンス)の中に配列するかという課題を中心に推移してきた。
そこでは自ずと,各教科を支える「親学問」の内部論理と,価値に関する規範学的な議論とが主軸となり,事実学である教育心理学の出番はシーケンスを基礎づける発達研究に限定されがちであった。もちろん,定められた内容を実際の教室でどのように教えるかを巡っては,教授=学習研究,個人差や対人関係に関する基礎的・臨床的研究など,貢献の機会は多い。しかし,それは個々の授業や単元,年間指導計画の水準であって,学習指導要領本体に対する直接的貢献とは言い難い。
これに対し近年,資質・能力(competencies)を基盤にカリキュラムを編み出そうとの動きが国際的に活況を呈しており,今回の学習指導要領改訂もこの原理に沿って進められた。資質・能力論はWhite(1959)のcompetence概念をMcClelland(1973)などが発展ないしは矮小化・世俗化させたものと解釈しうるが,そこでは教育を巡る基本的な問いが「何を知っているか」から「何ができるか」,より詳細には「どのような問題解決を現に成し遂げるか」へと大きく転換する。
もはやカリキュラムは,「親学問」の内部論理と規範学的な議論のみで決着が着く教育内容の静的なリストではありえない。問題解決と熟達化を中心とした「学び」と「育ち」に関する複雑な事実関係の動的把握とメカニズムの統合的理解に基づく社会システムの構築であり,教育心理学を始めとする事実学はその理論的な基盤を提供する。
その一方で,資質・能力論はその事実学的でプラグマティックな性格のゆえに,社会効率主義(social efficiency)に陥る危険性をはらむ。新学習指導要領でいう「社会に開かれた教育課程」も,教育と社会の関係をどうとらえるかを巡って,慎重な議論が必要であろう。
教育心理学はこのような問題にどう立ち向かうのか。あるいは,学問的性格から直接的には困難であっても,教育心理学者はこのような問題にも関心と見識を持ち,積極的に関与すべきなのか。カリキュラム政策を基礎づける原理が変化し,貢献の可能性が著しく拡大する中,教育心理学並びに教育心理学者の在り方が問われている。