第18回日本クリティカルケア看護学会学術集会

講演情報

シンポジウム

[SY5] クリティカルケア領域における終末期ケアの質

2022年6月11日(土) 14:10 〜 15:40 第10会場 (総合展示場 G展示場)

座長:伊藤 真理(川崎医療福祉大学)
   小島 朗(大原綜合病院)
演者:相楽 章江(山口大学医学部附属病院 看護部)
   三須 侑子(自治医科大学附属病院 看護部)
   森山 美香(島根県立大学看護栄養学部看護学科)
   加藤 茜(信州大学医学部保健学科)

14:10 〜 14:35

[SY5-01] クリティカルケア領域の終末期に患者が抱える苦痛と向き合うケアの質とは

○相楽 章江1 (1. 山口大学医学部附属病院 看護部)

キーワード:患者の苦痛、終末期

クリティカルケア領域において、患者が意識障害を呈した状態から治療が開始されることは少なくない。そして発症・受傷後すぐに治療による救命が見込めない状態を宣告される場合もある。また、治療を開始したとしても、功を奏さずに終末期を迎えることもある。その間も、鎮痛・鎮静下での人工呼吸器管理となり、患者の意図を確認する術はごくわずかである。
このようなクリティカルケア領域の終末期における全人的苦痛は、身体的、心理・社会的、スピリチュアルな苦痛が存在する。これらの苦痛は顕在化していないこともある。
終末期に生じる身体的苦痛は、口渇や呼吸困難感、倦怠感など、比較的捉えやすい。身体的苦痛をスケールなどで評価することは可能な部分もある。そして、患者の身体的苦痛を緩和する介入は、ガイドラインなどの存在もあり積極的に実践している。しかし、不安や恐怖、気がかりなこと、役割喪失、寂しさ、特定の人に会いたいなどの心理・社会的苦痛は計り知れず、引き出すスキルと時間を要する。さらに、スピリチュアルな苦痛は、時間的猶予がなく捉えることが難しい。それは、将来や先を望めないこと、誰にもこの状況はわかってもらえない、自身が誰の役にも立てないというようなものである。治療を始めるか否かを決断することが不可能であったことも患者にとっては、苦痛と感じる可能性がある。患者が心理・社会的、スピリチュアルな苦痛を感じているか否かをさまざまな情報から想像できても、どのような苦痛を感じているか、わからないままに最期を迎えることもある。
私たち看護師は、患者の物語を聞き、その物語を知ることを許されている。私たちが関わることのできる中から最善のものがないか提案し、工夫することはできる。しかし、その提案や工夫が患者にとって満足できるものでなければ〈ケア〉として受け取ってもらえないと考える。患者のニーズを捉え、そのニーズに対する看護を実践し、その実践に対する反応一つ一つが患者からの評価となるかもしれない。それらを総じて終末期のケアの質と考えることはできないだろうか。また、「どのような終末期・最期を迎えたいか」と希望を把握すること、その希望に近づけることは可能であるが、「望んだものであったか否か」の評価は難しい。これらを実現するには、事前に患者が望むものを捉える必要がある。生命や心理的な危機的状況の中で、最期をどのように過ごしたいかを想像・推察すること、可能な限り確認することが望まれる。終末期ケアにおいてこのような過程が存在するか否かが、クリティカルケア領域の終末期ケアの質につながるのではないかと考える。シンポジウムの中で、それらをディスカッションできることを期待したい。