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[O08-P33] 令和6年能登半島地震の各種データから読み解ける教訓の対話的な探求
キーワード:能登半島地震、ポスター見学者との対話、データから読み取れる教訓
令和6年1月1日16時10分に能登半島地震が発生した。気象庁によると石川県能登地方を震源とする地震で規模を示すマグニチュードは7.6である。また、石川県志賀町では震度7が記録された。
本研究では能登半島地震について、地震の発生過程・地震による揺れと建物被害・津波・流言・復旧に向けての動きに関して、気象庁・内閣府・石川県のHPや各種報道機関の公表しているインターネット上の様々なデータや情報の中から、信頼度の高いものを精選しまとめた。また日本海でこれまでに発生した1900年以降の主な被害地震の記録も同時に集約した。それらの集約結果を基に、各種データや情報に秘められている教訓を考えた。
ここでは、津波を例に挙げる。表1は、気象庁による能登半島地震で発生した津波の到達時刻を示したものである。ここから読み取れる教訓が複数ある。
1.石川県の輪島港(図1)の第一波の到達時刻は16時10分となっている。地震の発生時刻も16時10分であるため、津波はすぐ来るので大切なものを持っていくなどしている時間はなく、自らの身一つで逃げるべきであるという教訓が読み取れる。
2.石川県の七尾港の第一波の到達時刻(16時37分)と富山港の富山港の第一波の到達時刻(16時13分)を比べると震源地からの距離は富山港のほうが遠いが津波は七尾港よりも早く到達していることがわかる。海上保安庁による富山湾の海底地形調査によると、富山湾沖で海底地すべりが起きていることが確認されている。この海底地すべりによって津波が発生し、能登半島地震の震源で発生した津波よりも早く富山港に到達した可能性が示唆される。つまり、津波は震源から離れている地域でも、条件が重なると地震発生後すぐに来る可能性があるということが教訓として読み取れる。
3.青森県の深浦と北海道の瀬棚港の検潮所で観測された最大波の高さを比較すると、深浦は0.3m、瀬棚港は0.6mである。ここで、震源からの直線距離は、瀬棚港のほうが遠いにもかかわらず、津波の高さは瀬棚港のほうが大きい。このことから、津波は震源から距離の離れた地域にも到達し、津波が伝播する経路や到達する湾の地形や水深によっては、震源からの距離が離れた地域の方が振幅の大きな津波になることもあるという教訓を見出せる。
JpGU2024の高校生セッションでの発表当日は、このような形で1つ1つの資料から読み取れる教訓を伝えていく。伝え方に関しては、一方通行で伝えるのではなく、先に図や表にまとめたデータだけを見て頂きそれらから読み取れることを考えて頂くなど、対面通行で発表を進めていく。この研究は、防災や減災のためには、各資料から読み取れる教訓を見学者に印象づけて頭に入れてもらうことが大切だという思いから、対話の形式を取ることを考えた。発表では1つ1つの情報(データ)に対し、ポスターを見て下さる方々との対話を通し、著者らが気づかなかった新たな視点の教訓を見いだせ、見学者との間でお互いの学びを深め合うことをねらいとする。また来場者が見出した教訓を付箋等に書いて頂き、ポスターに貼付する等の工夫をすることで、多くの方々と共有し合い防災・減災への興味を深めて頂く。
著者の一人である徳田は祖父母が能登地方に住んでいるため、令和6年3月30日から4月2日までの間石川県を訪れた。地域としては地震・津波・火災の被害があった珠洲郡能登町の白丸地区(図2)や火災の被害が甚大であった輪島の朝市通りを訪れた。その際に祖父母や親戚に「地震発生直後一番大変だったこと」を聞いた所、皆が「電話が繋がらなかったこと」を挙げた。実際、Wi-Fiが繋がった状態であればLINEや電話が使えたそうだが、地震発生後避難所へ避難したことで親戚や友達の安否確認ができなくとても不便であったそうだ。加えて、防災無線が繋がっていなく、地震の発生時に一番大切な緊急地震速報が鳴っていなく、津波がくる危険性があることもすぐにわからなかったという問題点がわかった。さらに現地で聞いて興味深かったことを挙げる。「これまでにも(令和6年1月1日以前にも)珠洲の方で(揺れの)大きな地震を経験していたが、今回の地震(能登半島地震の本震)は(揺れている時間が)とりわけ長く感じた」とおっしゃっていた。祖父の話では揺れは2分ほど続いていたそうだ。そのため輪島港のあたりでは本震が収まる前に津波が来ていたことがわかる。また、津波の被害が甚大であった白丸地区の津波を高台から見ていた人が、「富山の方向から津波が来たように見えた」と言っていたので、石川県の一部地域で観測された第一波は富山沖で発生した津波の可能性が秘められている。以上、現地を訪れてわかったことや感じたこと、そこから学べる教訓についても、見学者との対話を通して伝えていくことも目的とする。
本研究では能登半島地震について、地震の発生過程・地震による揺れと建物被害・津波・流言・復旧に向けての動きに関して、気象庁・内閣府・石川県のHPや各種報道機関の公表しているインターネット上の様々なデータや情報の中から、信頼度の高いものを精選しまとめた。また日本海でこれまでに発生した1900年以降の主な被害地震の記録も同時に集約した。それらの集約結果を基に、各種データや情報に秘められている教訓を考えた。
ここでは、津波を例に挙げる。表1は、気象庁による能登半島地震で発生した津波の到達時刻を示したものである。ここから読み取れる教訓が複数ある。
1.石川県の輪島港(図1)の第一波の到達時刻は16時10分となっている。地震の発生時刻も16時10分であるため、津波はすぐ来るので大切なものを持っていくなどしている時間はなく、自らの身一つで逃げるべきであるという教訓が読み取れる。
2.石川県の七尾港の第一波の到達時刻(16時37分)と富山港の富山港の第一波の到達時刻(16時13分)を比べると震源地からの距離は富山港のほうが遠いが津波は七尾港よりも早く到達していることがわかる。海上保安庁による富山湾の海底地形調査によると、富山湾沖で海底地すべりが起きていることが確認されている。この海底地すべりによって津波が発生し、能登半島地震の震源で発生した津波よりも早く富山港に到達した可能性が示唆される。つまり、津波は震源から離れている地域でも、条件が重なると地震発生後すぐに来る可能性があるということが教訓として読み取れる。
3.青森県の深浦と北海道の瀬棚港の検潮所で観測された最大波の高さを比較すると、深浦は0.3m、瀬棚港は0.6mである。ここで、震源からの直線距離は、瀬棚港のほうが遠いにもかかわらず、津波の高さは瀬棚港のほうが大きい。このことから、津波は震源から距離の離れた地域にも到達し、津波が伝播する経路や到達する湾の地形や水深によっては、震源からの距離が離れた地域の方が振幅の大きな津波になることもあるという教訓を見出せる。
JpGU2024の高校生セッションでの発表当日は、このような形で1つ1つの資料から読み取れる教訓を伝えていく。伝え方に関しては、一方通行で伝えるのではなく、先に図や表にまとめたデータだけを見て頂きそれらから読み取れることを考えて頂くなど、対面通行で発表を進めていく。この研究は、防災や減災のためには、各資料から読み取れる教訓を見学者に印象づけて頭に入れてもらうことが大切だという思いから、対話の形式を取ることを考えた。発表では1つ1つの情報(データ)に対し、ポスターを見て下さる方々との対話を通し、著者らが気づかなかった新たな視点の教訓を見いだせ、見学者との間でお互いの学びを深め合うことをねらいとする。また来場者が見出した教訓を付箋等に書いて頂き、ポスターに貼付する等の工夫をすることで、多くの方々と共有し合い防災・減災への興味を深めて頂く。
著者の一人である徳田は祖父母が能登地方に住んでいるため、令和6年3月30日から4月2日までの間石川県を訪れた。地域としては地震・津波・火災の被害があった珠洲郡能登町の白丸地区(図2)や火災の被害が甚大であった輪島の朝市通りを訪れた。その際に祖父母や親戚に「地震発生直後一番大変だったこと」を聞いた所、皆が「電話が繋がらなかったこと」を挙げた。実際、Wi-Fiが繋がった状態であればLINEや電話が使えたそうだが、地震発生後避難所へ避難したことで親戚や友達の安否確認ができなくとても不便であったそうだ。加えて、防災無線が繋がっていなく、地震の発生時に一番大切な緊急地震速報が鳴っていなく、津波がくる危険性があることもすぐにわからなかったという問題点がわかった。さらに現地で聞いて興味深かったことを挙げる。「これまでにも(令和6年1月1日以前にも)珠洲の方で(揺れの)大きな地震を経験していたが、今回の地震(能登半島地震の本震)は(揺れている時間が)とりわけ長く感じた」とおっしゃっていた。祖父の話では揺れは2分ほど続いていたそうだ。そのため輪島港のあたりでは本震が収まる前に津波が来ていたことがわかる。また、津波の被害が甚大であった白丸地区の津波を高台から見ていた人が、「富山の方向から津波が来たように見えた」と言っていたので、石川県の一部地域で観測された第一波は富山沖で発生した津波の可能性が秘められている。以上、現地を訪れてわかったことや感じたこと、そこから学べる教訓についても、見学者との対話を通して伝えていくことも目的とする。