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[02社-口-07] 三宅雪嶺の東洋的な身体感に基づく宇宙有機体説を構成理論とする嘉納柔道思想「精力善用・自他共栄」の形成過程から、武道としての柔道とは自然体の姿勢によるつくりとかけの柔道であることを論証する
三宅の宇宙有機体説を東洋的なエスノサイエンス身体に基づく「力」とそれに伴う「意志」という視点から、嘉納柔道思想「精力善用・自他共栄」をエスノサイエンス身体及びサイエンス身体という視点から分析する
嘉納治五郎は柔術を母体に「自然体」の姿勢を基本とする柔道を創始したが、その「技」を通して体得される「道」・「精力善用・自他共栄」の形成に三宅雪嶺の日常生活で「良知」を磨く儒教・良知心学(陽明学)におけるエスノサイエンス身体に基づく心身相関関係をベースとした現象即実在論・宇宙有機体説が応用され、さらに、グローバル・スタンダードが意識され、「運動法則 国際道徳」という形で、「精力善用 自他共栄」として理論展開していく。そして、「心と体を一体としてとらえ」という目標が掲げられた平成元(1989)年の学習指導要領の改訂で、「格技」は「武道」と改められ、再登場してくるるが、「武道としての柔道」とは何か?それは「精力善用・自他共栄」とどのような関係にあるのかは分かっていない。このことと関連して、三宅は『我観小景』で「力の発する所、進んで窮らず、人のなすあらんとするは意志に基づく意志なるものはじつに勢力の要素なり、力と意志とは析津辺からず」と述べているが、嘉納の理想とした「武道としての柔道」/「精力善用の柔道」とは「(相手の立場に立って)自然体の姿勢でのつくりとかけの柔道であり、それにより、人格の完成による「自他一如」の認識を前提として、「善」への意志に基づいて、相手をも納得(満足)するように最小限の力で倒す柔道であり、この時、「精力善用自他共栄」とは何か?「精力善用の投げ方で相手を倒すことが自分自身にとっても幸せだ。」との認識を通して理解される。これを「最も大なる自利は利他と伴って始めて得らるるのである。」と述べたと考えられる。この時、「心身の力を最も有効に使用」していることになる。今回の発表では嘉納や三宅の思想を「エスノサイエンス身体」「サイエンス身体」というという視点から分析し、「武道としての柔道」の実践教育方法につなげていきたい。