[JH05] アドラー心理学とクラス会議で子どもの市民性を育てる
Keywords:アドラー心理学, クラス会議, 市民性教育
1. 企画の趣旨(向後千春)
児童・生徒へのキャラクター・エデュケーション(品格教育・市民性教育)の重要性が注目されつつある。また,アドラー心理学の学校教育における実践としてのクラス会議の効果も実証されつつある。この自主企画シンポジウムでは,子どもを良い市民として育てるために,学校教育の中でどのような実践ができるのか,またその理論的背景について,議論したい。具体的には,次の3つのトピックについての話題提供を受けた上で,初等・中等教育におけるアドラー心理学の適用について議論したい。
(1) 欧米での市民性教育の進展と日本における状況とこれから
(2) アドラー心理学の教育実践のひとつとしての「クラス会議」の効果
(3) アドラー心理学の考え方を学校教育に導入することの可能性と配慮
Jane Nelsenはアドラー心理学を元にして,有能な人になるための3つの感覚と4つのスキルを次のようにまとめている。(1) 私には能力があるという感覚 (2) 私は意味のある方法で貢献できるという感覚 (3) 自分に起こることを決められるという感覚 (4) 自分の感情を理解し,それを自己統制に使える自己内スキル (5) ほかの人と協力し友情を作れる対人関係スキル (6) 日常生活の限界と結果に応える全体的スキル (7) 状況を評価する知恵を使う判断スキル。
学校におけるクラスは,時間と場所に依存して偶然に形成される共同体である。その中で,クラス会議という活動を継続的に行うことによって,アドラー心理学のいう「共同体感覚」を実質的に身につけることが期待できる。共同体感覚は,「所属,信頼,貢献,自己受容」の下位概念からなっている。クラス会議活動によって,クラスに自分の居場所がある(所属),クラスには多様な考え方があることを尊重する(信頼),クラスのみんなと意見を交わすことで解決策を見つけられる(貢献),クラスの中でありのままの自分でいられる(自己受容)といったことを実感しながら,共同体感覚を身につけていくことによって,その成果として子どものキャラクターを育てることが可能になるだろう。
2. 品格教育における市民性の育成(青木多寿子)
品格教育とは,respect, reasonability等の徳(virtue)を,人生の羅針盤として明示し,子ども達がそれらを使って自分の人生の主人公となって生きてゆく態度の形成を支援する教育である。その際,よい行為の習慣(character)を培うことを重視する。習慣は繰り返せば繰り返すほど強固になる。そこで,繰り返す機会を増やすため,学校だけでなく,家庭や地域と連携して関わってゆく。
誰もみな,親切で暖かい,責任感ある品性(character)の高い市民が住む地域に住みたいと願っている。そうだとすると,未来の市民である子ども達が,親切で暖かい,責任感ある市民になるように教育すればよいことになる。こうして家庭,学校,地域の教育目標は一つになる。それはよい市民を育てること,つまり,子ども達の品性を高めることである(CEP, 2007)。
Berkowitzは品格教育の中で重要なものとして,「関係性」と「プロセス」をあげている(青木他,2013)。例えば貧困層が通う地域では,児童・生徒は,仲間だけでなく親や親族にも薬物を使う人がいる,宿題や進学のストレス等,日々プレッシャーにさらされている。保護者や周囲の大人の中には,過保護,干渉等の支配的な統制パターンを示す人も少なくない。そのような中で子どもが健全に成長するには,罰を与えるのではなく,ポジティブな関係性を築くのが一番有効だと考えている。
「プロセス」に関しては,いい学校を作るには,教員や生徒,みんなの頭脳を使うこと,つまり互いに尊敬すること,協力することが大切だという。児童・生徒だけでなく教師も,自分の意見が聞いてもらえたと思うと参加するようになる。そして周囲をみんな自分の仲間だと感じるようになる。この自分の意見を聞いてもらえたという経験は,どの子にとっても健全に成長するための大切な経験となる。こうして彼は,品格教育の研修の一つにクラス会議の仕方を加えている。
考えてみれば,民主主義社会とは,全員がプロセスに参加する社会形態とも言える。子どもの頃から,全体の取り決めに,自ら進んで参加し,よい学校づくりに自らの力を貸す練習をしていれば,そのような練習を積んでいない人よりも,きっとよい市民になれるに違いない。プロセスを踏む練習を積むことはとても時間がかかる。しかし,よい市民を育成するには,学校や周囲の大人が取り組むべき問題ではなかろうか。
3. 学級改善におけるクラス会議の効果(赤坂真二)
アドラー心理学における教育や治療の目的は,共同体感覚の育成である。共同体感覚は,決まった定義が見い出しにくいとされながらも,共感性や社会に対する関心と近い概念として説明される。共同体感覚を説明することが難しいだけに,それを育成する方法論も多様であるが,なかでも最も有効なものとして挙げられているがクラス会議である。クラス会議とは,集団にかかわることや個人的な葛藤などの生活上の諸問題を,支持的で受容的な雰囲気の中で,民主的手続きを経て解決する話し合い活動のことである。Jane Nelsenらは「人生のあらゆる領域―学校,職場,家庭,社会―で成功を収めるために必要不可欠なスキルと態度を教える」と,その重要性を指摘する。
近年,国内でもクラス会議の教育効果に注目する主張が見られるようになった。諸富,古庄,会沢・岩井などが,クラス会議に対する期待やその意味を伝える一方で,森重ら,赤坂などは,クラス会議を実践するための具体的方法を紹介している。こうした動きの中で,クラス会議を学級集団づくりに取り入れる動きが始まっている。まだ少数ではあるが,学級の枠を超え,学校全体の改善の中核的な方法論として位置づけられ,学校ぐるみで取り組まれる例も見られるようになった。
しかし,クラス会議の教育現場への適用には様々な課題も指摘される。実践している教師たちからは,子どもたちが「積極的になった」,「あたかい雰囲気になった」,「協力的になった」などの学級集団の肯定的な変容が報告されている。しかし,それらは実践者の主観的な判断によるものが多く,客観的なものとは言い難い。つまり,実践的エビデンスは豊富にありながらも,実証的エビデンスが乏しいことが指摘できる。
また,以前よりも方法論に関する情報が入手しやすくなったとはいえ,誰でもできるというわけではない。実施することが難しい実践であることは否定できない。さらに,実践上の最大の障壁は,時間の確保が難しいことである。時間が設定ができずに,継続性が担保されずに明確な効果を実感する前にやめてしまう事例も少なくない。このような実践上の課題を克服するにはどうしたらいいのだろうか。具体例を挙げながら考察したい。
4. アドラー心理学による教育実践(古庄 高)
アドラー心理学は,多様なかたちで今日の学校教育に活用することができるのではないかと思われる。今回はそれを次の4つの視点から提起し考察してみたい。
まずアドラー心理学は,我々が人間(子ども)と向き合う際の心構えや視座となる人間観を提供する。すなわち,アドラー心理学には基本的前提とされるいくつかの理論的な仮説があり,これらの仮説のうえにその理論が構築されているが,これらの基本的前提は,自己や他者を理解するうえで,非常に有効だと思われる。人間理解の明確な糸口や枠組みを示すからである。それらは全体論,目的論,認知論,対人関係論,主体性などといった諸前提である。教育的な実践の場面においても,ダイナミックな活用が可能であり,有効性を有する前提であろう。
第2に,アドラーによれば人間形成の過程や人間の諸活動の背後には,「優越性の追求」と「共同体感覚」という2つの力学が働いている。「今よりも優れた者になろう」とする優越性の追求は,教育の可能性の根拠を示すものであり,人間を向上へと促す原動力である。また「私は人間社会の一員だ」という感覚は「共同体感覚」と呼ばれる。それは子どもには所属感や信頼感や貢献感といった感情として表われ,教育の進むべき方向を指し示している。優越性の追求を健全な方向に導いて,共同体感覚を豊かに育むことが教育の目的である。
第3に,アドラー心理学の考えでは,子どもの好ましくない行動は,子どもが誤った目的を追求しようとするところに起因する。誤った目的は,注目をひく,主導権争い,復讐,無能力の誇示という4つ目的である。これら4つの誤った目的を知れば,子どもの好ましくない行動に対して適切に対応することができる。
第4に,「クラス会議」の活動が挙げられる。クラス会議を行うことは,よい学級づくりに大いに貢献するだろう。生徒たちはクラスの様々な問題や計画を自分たちで話し合い,その話し合いを通じて自分たちの力で建設的に解決する。全員が話し合いに平等に参加し,ものごとの決定に等しく責任を負うことで,相互尊敬と協同にもとづく民主的なクラス共同体が形成され,学習集団としての質の向上も期待できるように思われる。
児童・生徒へのキャラクター・エデュケーション(品格教育・市民性教育)の重要性が注目されつつある。また,アドラー心理学の学校教育における実践としてのクラス会議の効果も実証されつつある。この自主企画シンポジウムでは,子どもを良い市民として育てるために,学校教育の中でどのような実践ができるのか,またその理論的背景について,議論したい。具体的には,次の3つのトピックについての話題提供を受けた上で,初等・中等教育におけるアドラー心理学の適用について議論したい。
(1) 欧米での市民性教育の進展と日本における状況とこれから
(2) アドラー心理学の教育実践のひとつとしての「クラス会議」の効果
(3) アドラー心理学の考え方を学校教育に導入することの可能性と配慮
Jane Nelsenはアドラー心理学を元にして,有能な人になるための3つの感覚と4つのスキルを次のようにまとめている。(1) 私には能力があるという感覚 (2) 私は意味のある方法で貢献できるという感覚 (3) 自分に起こることを決められるという感覚 (4) 自分の感情を理解し,それを自己統制に使える自己内スキル (5) ほかの人と協力し友情を作れる対人関係スキル (6) 日常生活の限界と結果に応える全体的スキル (7) 状況を評価する知恵を使う判断スキル。
学校におけるクラスは,時間と場所に依存して偶然に形成される共同体である。その中で,クラス会議という活動を継続的に行うことによって,アドラー心理学のいう「共同体感覚」を実質的に身につけることが期待できる。共同体感覚は,「所属,信頼,貢献,自己受容」の下位概念からなっている。クラス会議活動によって,クラスに自分の居場所がある(所属),クラスには多様な考え方があることを尊重する(信頼),クラスのみんなと意見を交わすことで解決策を見つけられる(貢献),クラスの中でありのままの自分でいられる(自己受容)といったことを実感しながら,共同体感覚を身につけていくことによって,その成果として子どものキャラクターを育てることが可能になるだろう。
2. 品格教育における市民性の育成(青木多寿子)
品格教育とは,respect, reasonability等の徳(virtue)を,人生の羅針盤として明示し,子ども達がそれらを使って自分の人生の主人公となって生きてゆく態度の形成を支援する教育である。その際,よい行為の習慣(character)を培うことを重視する。習慣は繰り返せば繰り返すほど強固になる。そこで,繰り返す機会を増やすため,学校だけでなく,家庭や地域と連携して関わってゆく。
誰もみな,親切で暖かい,責任感ある品性(character)の高い市民が住む地域に住みたいと願っている。そうだとすると,未来の市民である子ども達が,親切で暖かい,責任感ある市民になるように教育すればよいことになる。こうして家庭,学校,地域の教育目標は一つになる。それはよい市民を育てること,つまり,子ども達の品性を高めることである(CEP, 2007)。
Berkowitzは品格教育の中で重要なものとして,「関係性」と「プロセス」をあげている(青木他,2013)。例えば貧困層が通う地域では,児童・生徒は,仲間だけでなく親や親族にも薬物を使う人がいる,宿題や進学のストレス等,日々プレッシャーにさらされている。保護者や周囲の大人の中には,過保護,干渉等の支配的な統制パターンを示す人も少なくない。そのような中で子どもが健全に成長するには,罰を与えるのではなく,ポジティブな関係性を築くのが一番有効だと考えている。
「プロセス」に関しては,いい学校を作るには,教員や生徒,みんなの頭脳を使うこと,つまり互いに尊敬すること,協力することが大切だという。児童・生徒だけでなく教師も,自分の意見が聞いてもらえたと思うと参加するようになる。そして周囲をみんな自分の仲間だと感じるようになる。この自分の意見を聞いてもらえたという経験は,どの子にとっても健全に成長するための大切な経験となる。こうして彼は,品格教育の研修の一つにクラス会議の仕方を加えている。
考えてみれば,民主主義社会とは,全員がプロセスに参加する社会形態とも言える。子どもの頃から,全体の取り決めに,自ら進んで参加し,よい学校づくりに自らの力を貸す練習をしていれば,そのような練習を積んでいない人よりも,きっとよい市民になれるに違いない。プロセスを踏む練習を積むことはとても時間がかかる。しかし,よい市民を育成するには,学校や周囲の大人が取り組むべき問題ではなかろうか。
3. 学級改善におけるクラス会議の効果(赤坂真二)
アドラー心理学における教育や治療の目的は,共同体感覚の育成である。共同体感覚は,決まった定義が見い出しにくいとされながらも,共感性や社会に対する関心と近い概念として説明される。共同体感覚を説明することが難しいだけに,それを育成する方法論も多様であるが,なかでも最も有効なものとして挙げられているがクラス会議である。クラス会議とは,集団にかかわることや個人的な葛藤などの生活上の諸問題を,支持的で受容的な雰囲気の中で,民主的手続きを経て解決する話し合い活動のことである。Jane Nelsenらは「人生のあらゆる領域―学校,職場,家庭,社会―で成功を収めるために必要不可欠なスキルと態度を教える」と,その重要性を指摘する。
近年,国内でもクラス会議の教育効果に注目する主張が見られるようになった。諸富,古庄,会沢・岩井などが,クラス会議に対する期待やその意味を伝える一方で,森重ら,赤坂などは,クラス会議を実践するための具体的方法を紹介している。こうした動きの中で,クラス会議を学級集団づくりに取り入れる動きが始まっている。まだ少数ではあるが,学級の枠を超え,学校全体の改善の中核的な方法論として位置づけられ,学校ぐるみで取り組まれる例も見られるようになった。
しかし,クラス会議の教育現場への適用には様々な課題も指摘される。実践している教師たちからは,子どもたちが「積極的になった」,「あたかい雰囲気になった」,「協力的になった」などの学級集団の肯定的な変容が報告されている。しかし,それらは実践者の主観的な判断によるものが多く,客観的なものとは言い難い。つまり,実践的エビデンスは豊富にありながらも,実証的エビデンスが乏しいことが指摘できる。
また,以前よりも方法論に関する情報が入手しやすくなったとはいえ,誰でもできるというわけではない。実施することが難しい実践であることは否定できない。さらに,実践上の最大の障壁は,時間の確保が難しいことである。時間が設定ができずに,継続性が担保されずに明確な効果を実感する前にやめてしまう事例も少なくない。このような実践上の課題を克服するにはどうしたらいいのだろうか。具体例を挙げながら考察したい。
4. アドラー心理学による教育実践(古庄 高)
アドラー心理学は,多様なかたちで今日の学校教育に活用することができるのではないかと思われる。今回はそれを次の4つの視点から提起し考察してみたい。
まずアドラー心理学は,我々が人間(子ども)と向き合う際の心構えや視座となる人間観を提供する。すなわち,アドラー心理学には基本的前提とされるいくつかの理論的な仮説があり,これらの仮説のうえにその理論が構築されているが,これらの基本的前提は,自己や他者を理解するうえで,非常に有効だと思われる。人間理解の明確な糸口や枠組みを示すからである。それらは全体論,目的論,認知論,対人関係論,主体性などといった諸前提である。教育的な実践の場面においても,ダイナミックな活用が可能であり,有効性を有する前提であろう。
第2に,アドラーによれば人間形成の過程や人間の諸活動の背後には,「優越性の追求」と「共同体感覚」という2つの力学が働いている。「今よりも優れた者になろう」とする優越性の追求は,教育の可能性の根拠を示すものであり,人間を向上へと促す原動力である。また「私は人間社会の一員だ」という感覚は「共同体感覚」と呼ばれる。それは子どもには所属感や信頼感や貢献感といった感情として表われ,教育の進むべき方向を指し示している。優越性の追求を健全な方向に導いて,共同体感覚を豊かに育むことが教育の目的である。
第3に,アドラー心理学の考えでは,子どもの好ましくない行動は,子どもが誤った目的を追求しようとするところに起因する。誤った目的は,注目をひく,主導権争い,復讐,無能力の誇示という4つ目的である。これら4つの誤った目的を知れば,子どもの好ましくない行動に対して適切に対応することができる。
第4に,「クラス会議」の活動が挙げられる。クラス会議を行うことは,よい学級づくりに大いに貢献するだろう。生徒たちはクラスの様々な問題や計画を自分たちで話し合い,その話し合いを通じて自分たちの力で建設的に解決する。全員が話し合いに平等に参加し,ものごとの決定に等しく責任を負うことで,相互尊敬と協同にもとづく民主的なクラス共同体が形成され,学習集団としての質の向上も期待できるように思われる。