[PC018] 教員養成系大学における初年次学生のコミュニケーション観
相互インタビュー報告の記述分析
Keywords:教員養成課程, コミュニケーション能力, 言説分析
1.問題と目的
これからの教員に求められる資質能力の一つに「コミュニケーション力」(中央教育審議会,2012)がある。川島ら(2014)は,平成9年から平成24年までの5つの答申を分析し,一貫して教員にコミュニケーション能力が求められているものの,コミュニケーション能力の明確な意味が示されていないことや,コミュニケーション能力が個人の能力としてとらえられていることを批判している。
教員養成におけるコミュニケーション教育のあり方を検討する上で,コミュニケーション能力を個人の所有する道具とみなすのではなく,コミュニケーションを生み出すと同時にコミュニケーションのあり方を発見するような,「道具と結果(tool and result)」(ホルツマン,2014)アプローチにもとづく授業を開発することは,意味のあることだと考えられる。
本研究では,教員養成系大学において,「安定した自己・他者を想定した『表現』のリテラシーやツールの獲得や『磨き』を目指すものではない」(佐藤,2002)という共通理解のもと,平成12年度より行われてきた表現科目を取り上げ,受講生の表現観(コミュニケーション観)と学びとの関連について探索的に明らかにする。
2.方法
教員養成系大学の1年生を対象として平成26年度後期に実施された「表現・状況的教育方法演習」(必修,2単位)に,授業担当者の一人として参加した。授業内容をビデオで記録するとともに,毎回の授業で課される振り返りのレポートや授業中に記入するワークシートなどの学習成果物を収集した。授業では,外部講師を招き多様な表現を経験したり,クラス単位で身体を用いた表現作品を作って発表するなどの活動が行われた。
本研究では,第15回に行われた相互インタビューの報告書(149名分)を分析の対象とする。この回の授業では,授業全体の振り返りのため,学生がペアになって,授業で考えたことや感じたことを質問しあい,インタビューの相手が何を学んだのかを文章にまとめるという活動が行われた。
記述内容の分析方法は,ウィリッグ(2003)の言説分析の手順を参考にした。学生が「表現」や「コミュニケーション」についてどのように語る(記述している)か,また用いる言説との関係で,教師あるいは教師を目指す学生がどのような立ち位置を取りうるのかに焦点を当てて分析を行った。
3.「表現」に関する解釈レパートリー
学生の記述からは,表現について語る際に用いられる2つの対立する解釈レパートリーが見出された。一つは,発信者が伝えたい内容を適切な方法によって伝えることが表現であり,技術を身につけた人が行う特別な行為とみなす「導管モデル」である。もう一つは,発信者だけでなく受け取る人がいるから表現が成立するのであり,あらゆる行動が表現になりうるし,多様な方法で表現することが可能であると考える「意味生成モデル」である。「導管モデル」は,語り手の学生をコミュニケーション技術が未熟な者という立場に置き,教師として教壇に立ったり子どもと接するときにどうすればよいのか具体的な方法を学ぶという表現科目への関わり方を構成すると考えられる。一方,「意味生成モデル」は,教師と子どもの両方が表現者であり,教師は子どもの表現を受け止めながら工夫して伝えることが大切なのであって,表現に正解はないとの立場を構成するだろう。
4.まとめと今後の課題
本研究では,教員志望の学生たちが,表現に関して2つの解釈レパートリーを用いていることを明らかにした。また,解釈レパートリーが,教師のコミュニケーションのあり方や授業への参加の仕方に関して特定の立場を構成することを示した。
今後は,15回の授業で多様な表現を経験することによって,学生のコミュニケーション観や他者との関わりがどのように変化するのかを,レポートや相互行為の分析から明らかにしていきたい。
これからの教員に求められる資質能力の一つに「コミュニケーション力」(中央教育審議会,2012)がある。川島ら(2014)は,平成9年から平成24年までの5つの答申を分析し,一貫して教員にコミュニケーション能力が求められているものの,コミュニケーション能力の明確な意味が示されていないことや,コミュニケーション能力が個人の能力としてとらえられていることを批判している。
教員養成におけるコミュニケーション教育のあり方を検討する上で,コミュニケーション能力を個人の所有する道具とみなすのではなく,コミュニケーションを生み出すと同時にコミュニケーションのあり方を発見するような,「道具と結果(tool and result)」(ホルツマン,2014)アプローチにもとづく授業を開発することは,意味のあることだと考えられる。
本研究では,教員養成系大学において,「安定した自己・他者を想定した『表現』のリテラシーやツールの獲得や『磨き』を目指すものではない」(佐藤,2002)という共通理解のもと,平成12年度より行われてきた表現科目を取り上げ,受講生の表現観(コミュニケーション観)と学びとの関連について探索的に明らかにする。
2.方法
教員養成系大学の1年生を対象として平成26年度後期に実施された「表現・状況的教育方法演習」(必修,2単位)に,授業担当者の一人として参加した。授業内容をビデオで記録するとともに,毎回の授業で課される振り返りのレポートや授業中に記入するワークシートなどの学習成果物を収集した。授業では,外部講師を招き多様な表現を経験したり,クラス単位で身体を用いた表現作品を作って発表するなどの活動が行われた。
本研究では,第15回に行われた相互インタビューの報告書(149名分)を分析の対象とする。この回の授業では,授業全体の振り返りのため,学生がペアになって,授業で考えたことや感じたことを質問しあい,インタビューの相手が何を学んだのかを文章にまとめるという活動が行われた。
記述内容の分析方法は,ウィリッグ(2003)の言説分析の手順を参考にした。学生が「表現」や「コミュニケーション」についてどのように語る(記述している)か,また用いる言説との関係で,教師あるいは教師を目指す学生がどのような立ち位置を取りうるのかに焦点を当てて分析を行った。
3.「表現」に関する解釈レパートリー
学生の記述からは,表現について語る際に用いられる2つの対立する解釈レパートリーが見出された。一つは,発信者が伝えたい内容を適切な方法によって伝えることが表現であり,技術を身につけた人が行う特別な行為とみなす「導管モデル」である。もう一つは,発信者だけでなく受け取る人がいるから表現が成立するのであり,あらゆる行動が表現になりうるし,多様な方法で表現することが可能であると考える「意味生成モデル」である。「導管モデル」は,語り手の学生をコミュニケーション技術が未熟な者という立場に置き,教師として教壇に立ったり子どもと接するときにどうすればよいのか具体的な方法を学ぶという表現科目への関わり方を構成すると考えられる。一方,「意味生成モデル」は,教師と子どもの両方が表現者であり,教師は子どもの表現を受け止めながら工夫して伝えることが大切なのであって,表現に正解はないとの立場を構成するだろう。
4.まとめと今後の課題
本研究では,教員志望の学生たちが,表現に関して2つの解釈レパートリーを用いていることを明らかにした。また,解釈レパートリーが,教師のコミュニケーションのあり方や授業への参加の仕方に関して特定の立場を構成することを示した。
今後は,15回の授業で多様な表現を経験することによって,学生のコミュニケーション観や他者との関わりがどのように変化するのかを,レポートや相互行為の分析から明らかにしていきたい。