[PC053] 視覚認知の観点からみた,視覚援助の位置づけと視覚支援の妥当性とアセスメントの位置づけ
発達障害を含む多様な視覚支援のプロセスの分析と妥当性
Keywords:視覚障害教育, 視覚支援, アセスメント
(はじめに)
視覚障害の観点で児童生徒の効果的な介入,指導を考えるとき,個々の児童生徒の現状把握は基礎となる情報である。見え方,視覚情報の活用の仕方がどのようになされているか,あるいはどのような視覚認知上の問題があるのかは,日々の観察によるところが多く日常的に児童生徒に接している人たちの見方,見識が問われることになる。視覚障害以外に他の障害を併せ持つ重複障害児童生徒の対処のしかたについて,特別支援教育のベースのもとでは,基本的な方法論を共有しつつ,児童生徒の学習の場の違いを越えて,基本的な見え方の把握,検査等が共有されていく必要がある。例えば,弱視の児童生徒には,視覚支援学校(盲学校)に在学しているか否かではなく,現状において必要な見ること,支援器具の活用,自己の見え方を活用できる訓練の機会が保証されることが必要である。知的障害教育の領域では,作業能力などを重視し,見え方などを重視しない傾向も一部にあり,適切な指導のないままに指導が進められることもある。従来からの指導の状況を勘案しつつ,多様性のない取り組みに対して,より基本的な社会的自立への方向性を目指すためには,視覚的な処理に障害のある児童生徒の補完的な処理の能力も高めることで,有効な視覚的援助に基づいた,エビデンスに裏打ちされた行動支援の方向性を考えたい。
(考察・検証)
弱視児童生徒に関する指導において,視覚障害教育において十分な手立ての行われる点の一つに,見え方を十分に把握し,文字の見え方をはじめ,日常生活の中で活用できる個々の児童生徒の見え方を保証する点がある。これは広く他の障害種の特別支援学校でも同様の扱いがされているわけでなく,特に進路面で,就労に関して重きを置いている多くの知的特別支援学校では,作業やそれに関連した能力の向上を目指し,見え方についての,細かな観察の見方がされにくい。ダウン症等では,斜視や眼球運動の不活発な状況など,見え方に問題があるケースが観察される。例えば,細かな鎖やビーズなど光を反射して光るものを見つめたり,動かして見続けたりするケースがあるが,それを個々の生徒の遊び捉え,十分な目の使い方ができていないことに手立てが及ばなかったり,弱視児に関して見え方のアセスメントなしに,漢字,ひらがな等の書き写しによって習得させようと試みたりする例があるが,これらは適切な「見え方」のアセスメントがあれば,適切な教材の選定や,早期からの視機能訓練等によってより早期に多くの手立てがとられたと考えられるものである。それにも拘わらず,十分な手立てがとられないのは,知的障害教育の領域に,視覚障害児童生徒に対する適切な手立てをとることの重要性の認識を高めていくとともに,システムとしての視覚障害教育の見方を,特別支援教育の場全体で活用できる方法論を形成していく必要性があると考えるべきであろう。
(おわりに)
「見え方」が認識面で多様な影響を及ぼすことを,多様な特別支援学校の間で共有するためには,基本的な情報や方法論が共有されるべきである。適切に指導,援助していくうえで個々の実態を明確に把握するなど考慮すべきである。見え方を確実に把握するために,どのような見方,方法が必要かを発達障害児童・生徒含めて,明確で合理的な事実の認識に基づいて,適切な支援を検討することは重要である。視覚障害の児童生徒は視覚的な情報の欠如,欠損の状況にある。「見えている」からといって,視覚的援助が多用される発達障害等の児童生徒へも有効な手立てとして応用されていくべきである。
視覚障害の観点で児童生徒の効果的な介入,指導を考えるとき,個々の児童生徒の現状把握は基礎となる情報である。見え方,視覚情報の活用の仕方がどのようになされているか,あるいはどのような視覚認知上の問題があるのかは,日々の観察によるところが多く日常的に児童生徒に接している人たちの見方,見識が問われることになる。視覚障害以外に他の障害を併せ持つ重複障害児童生徒の対処のしかたについて,特別支援教育のベースのもとでは,基本的な方法論を共有しつつ,児童生徒の学習の場の違いを越えて,基本的な見え方の把握,検査等が共有されていく必要がある。例えば,弱視の児童生徒には,視覚支援学校(盲学校)に在学しているか否かではなく,現状において必要な見ること,支援器具の活用,自己の見え方を活用できる訓練の機会が保証されることが必要である。知的障害教育の領域では,作業能力などを重視し,見え方などを重視しない傾向も一部にあり,適切な指導のないままに指導が進められることもある。従来からの指導の状況を勘案しつつ,多様性のない取り組みに対して,より基本的な社会的自立への方向性を目指すためには,視覚的な処理に障害のある児童生徒の補完的な処理の能力も高めることで,有効な視覚的援助に基づいた,エビデンスに裏打ちされた行動支援の方向性を考えたい。
(考察・検証)
弱視児童生徒に関する指導において,視覚障害教育において十分な手立ての行われる点の一つに,見え方を十分に把握し,文字の見え方をはじめ,日常生活の中で活用できる個々の児童生徒の見え方を保証する点がある。これは広く他の障害種の特別支援学校でも同様の扱いがされているわけでなく,特に進路面で,就労に関して重きを置いている多くの知的特別支援学校では,作業やそれに関連した能力の向上を目指し,見え方についての,細かな観察の見方がされにくい。ダウン症等では,斜視や眼球運動の不活発な状況など,見え方に問題があるケースが観察される。例えば,細かな鎖やビーズなど光を反射して光るものを見つめたり,動かして見続けたりするケースがあるが,それを個々の生徒の遊び捉え,十分な目の使い方ができていないことに手立てが及ばなかったり,弱視児に関して見え方のアセスメントなしに,漢字,ひらがな等の書き写しによって習得させようと試みたりする例があるが,これらは適切な「見え方」のアセスメントがあれば,適切な教材の選定や,早期からの視機能訓練等によってより早期に多くの手立てがとられたと考えられるものである。それにも拘わらず,十分な手立てがとられないのは,知的障害教育の領域に,視覚障害児童生徒に対する適切な手立てをとることの重要性の認識を高めていくとともに,システムとしての視覚障害教育の見方を,特別支援教育の場全体で活用できる方法論を形成していく必要性があると考えるべきであろう。
(おわりに)
「見え方」が認識面で多様な影響を及ぼすことを,多様な特別支援学校の間で共有するためには,基本的な情報や方法論が共有されるべきである。適切に指導,援助していくうえで個々の実態を明確に把握するなど考慮すべきである。見え方を確実に把握するために,どのような見方,方法が必要かを発達障害児童・生徒含めて,明確で合理的な事実の認識に基づいて,適切な支援を検討することは重要である。視覚障害の児童生徒は視覚的な情報の欠如,欠損の状況にある。「見えている」からといって,視覚的援助が多用される発達障害等の児童生徒へも有効な手立てとして応用されていくべきである。