[PA76] 小中一貫校における教師の子どもをとらえる視点の変容
発達的視点の拡張と実践の創出との関連に着目して
Keywords:小中一貫校, 教師の学習, 語り
問題と目的
小学校と中学校とが組織として一体化を図り9カ年で子どもの発達に応じたカリキュラムや学習環境の創出を目指す小中一貫校の設置が,義務教育学校制度の施行を背景に全国的に進行している。小中一貫校の教師を対象とした縦断研究からは,小中一貫校での経験が教師の学習の契機となる可能性が示されている(藤江,2013; 2014; 2015)。本研究では,そのなかでも,小中一貫校における教師の学習として大きな意味をもつといえる子どもをとらえる視点の変容とその背景を検討する。教師は従来であれば6学年あるいは3学年の子どものみを観察し当該の校種内でのみ子どもをとらえる視点を形成する。対して,小中一貫校においては7歳から15歳までの子どもを観察することが可能となり,発達的視点に基づく新たな視点を獲得する可能性があるためである。
方 法
対象:小中一貫校として開校し5年目となる関西地方の施設一体型小中一貫校。9学年が同一校舎で生活している。小中の教師は職員室を共有し,校務分掌や職員会議など学校運営には常に合同で取り組む。7年生以上の全教科,3年生以上の一部教科で教科担任制を導入。調査:教師(各年度30名程度)に対する面談と授業の参与観察。分析:開校3年目までの音声記録のうち,子どもについての語りを中心として解釈的に分析する。
結果と考察
子どもについて語りの変容について検討する。開校1年目には,異年齢が同じ校舎で過ごすことによる〔子どもの変容〕について,年少児への思いが中学生のストレスマネジメントにつながっている(中養護),年少児と関わることで中学生の自尊心が高まる(中)など,特に中学生の変化が肯定的に語られた。他方で,小中合同の行事や自治的活動が設定されることで中学生の力強さが感じられなくなった(中),6年生の小学校最高学年としての自覚が弱くなった(小)など,小中間の節目をなくしたことによる変化は否定的にとらえられている。2年目においては,さらに〔異校種の子どもへの理解深化〕がみられた。ある小学校教諭は教え子の8年生が掃除時間に2年生と交流する姿から小学校時代と「印象が変わった」,「柔らかい顔になった」と変化を語った。また中学校教諭は授業における小学生の様子をつぶさに観察し「分からんかったらふにゃっとなったり,分かったら非常にうれしそうな表情をしたり」と具体的な子どもの姿を語った。1年目が小中一貫校における子ども一般の傾向についての語りであったのに対し,2年目は事例に基づく子どもの具体的な姿の語りに変化していた。3年目においては,〔偶発的な出来事への着目〕として教師の意図を超えて生じた異年齢間の交流が語られた。学校生活の中でたまたま生じた9年生と1年生との交流については小中の教諭から語られた。また,小学校教諭からは9年生の卒業を悲しむ小学生の姿が語られた。このような子どもの姿に対し「教師が意図的に出会わせるのではなく,一貫校となったときにすでに必然であった」(小)と一貫校においては生じうることとの意味づけがなされた。
このような過程は,子どもをめぐる具体的な経験にのみ基づいているわけではない。1年目においては「全校集会で話題や話し方の焦点を設定しづらい」(小・中)「小中一緒にすることで時間がかかり内容が薄れたり集中できない」(中)など,教師としての違和感とともに語られた。2年目においては「この子らを中学校でまた教えるつもりで教えている」(中)と自身の学習指導上の必要性とともに語られた。子どもについての語りは,教師自身が小中一貫校において求められる実践上の課題と連動している。教師として小中一貫校に適応し実践を創出する過程で,小学校から中学校にいたる子どもを観察しとらえる視点が形成されているのではないか。また,子どもをとらえる視点の変容に伴い「発達」という観点にたつ学級経営や子どもの活動,教科指導の構想や実践がみられる。さらに,経験に基づく子ども像とは異なる姿に直面し,それまでの子ども観が覆る経験を教師たちはしている。これらを通して,小中一貫校の子どもをとらえる新たな視点を獲得した。この視点は,子ども理解の枠組みの拡張と深化につながりうる。
以上から,教師の子どもをとらえる視点の変容は,教師自身の小中一貫校への適応の過程における子ども理解のありようと連動するとともに,視点の変容に伴う実践の創出を経て,新たな実践の創出やそれを越えた意図せぬ子どもの姿との遭遇による実践の再創出につながる。この過程を繰り返すことを通して子どもをとらえる視点の拡張と実践の再創出が進行する可能性が示唆される。
本研究は,科学研究費補助金(基盤研究(C))「小中連携,一貫の実践における教師の学習過程の分析と支援システムの開発」(代表:藤江康彦)(研究課題番号:24530994)の助成を受けた。
小学校と中学校とが組織として一体化を図り9カ年で子どもの発達に応じたカリキュラムや学習環境の創出を目指す小中一貫校の設置が,義務教育学校制度の施行を背景に全国的に進行している。小中一貫校の教師を対象とした縦断研究からは,小中一貫校での経験が教師の学習の契機となる可能性が示されている(藤江,2013; 2014; 2015)。本研究では,そのなかでも,小中一貫校における教師の学習として大きな意味をもつといえる子どもをとらえる視点の変容とその背景を検討する。教師は従来であれば6学年あるいは3学年の子どものみを観察し当該の校種内でのみ子どもをとらえる視点を形成する。対して,小中一貫校においては7歳から15歳までの子どもを観察することが可能となり,発達的視点に基づく新たな視点を獲得する可能性があるためである。
方 法
対象:小中一貫校として開校し5年目となる関西地方の施設一体型小中一貫校。9学年が同一校舎で生活している。小中の教師は職員室を共有し,校務分掌や職員会議など学校運営には常に合同で取り組む。7年生以上の全教科,3年生以上の一部教科で教科担任制を導入。調査:教師(各年度30名程度)に対する面談と授業の参与観察。分析:開校3年目までの音声記録のうち,子どもについての語りを中心として解釈的に分析する。
結果と考察
子どもについて語りの変容について検討する。開校1年目には,異年齢が同じ校舎で過ごすことによる〔子どもの変容〕について,年少児への思いが中学生のストレスマネジメントにつながっている(中養護),年少児と関わることで中学生の自尊心が高まる(中)など,特に中学生の変化が肯定的に語られた。他方で,小中合同の行事や自治的活動が設定されることで中学生の力強さが感じられなくなった(中),6年生の小学校最高学年としての自覚が弱くなった(小)など,小中間の節目をなくしたことによる変化は否定的にとらえられている。2年目においては,さらに〔異校種の子どもへの理解深化〕がみられた。ある小学校教諭は教え子の8年生が掃除時間に2年生と交流する姿から小学校時代と「印象が変わった」,「柔らかい顔になった」と変化を語った。また中学校教諭は授業における小学生の様子をつぶさに観察し「分からんかったらふにゃっとなったり,分かったら非常にうれしそうな表情をしたり」と具体的な子どもの姿を語った。1年目が小中一貫校における子ども一般の傾向についての語りであったのに対し,2年目は事例に基づく子どもの具体的な姿の語りに変化していた。3年目においては,〔偶発的な出来事への着目〕として教師の意図を超えて生じた異年齢間の交流が語られた。学校生活の中でたまたま生じた9年生と1年生との交流については小中の教諭から語られた。また,小学校教諭からは9年生の卒業を悲しむ小学生の姿が語られた。このような子どもの姿に対し「教師が意図的に出会わせるのではなく,一貫校となったときにすでに必然であった」(小)と一貫校においては生じうることとの意味づけがなされた。
このような過程は,子どもをめぐる具体的な経験にのみ基づいているわけではない。1年目においては「全校集会で話題や話し方の焦点を設定しづらい」(小・中)「小中一緒にすることで時間がかかり内容が薄れたり集中できない」(中)など,教師としての違和感とともに語られた。2年目においては「この子らを中学校でまた教えるつもりで教えている」(中)と自身の学習指導上の必要性とともに語られた。子どもについての語りは,教師自身が小中一貫校において求められる実践上の課題と連動している。教師として小中一貫校に適応し実践を創出する過程で,小学校から中学校にいたる子どもを観察しとらえる視点が形成されているのではないか。また,子どもをとらえる視点の変容に伴い「発達」という観点にたつ学級経営や子どもの活動,教科指導の構想や実践がみられる。さらに,経験に基づく子ども像とは異なる姿に直面し,それまでの子ども観が覆る経験を教師たちはしている。これらを通して,小中一貫校の子どもをとらえる新たな視点を獲得した。この視点は,子ども理解の枠組みの拡張と深化につながりうる。
以上から,教師の子どもをとらえる視点の変容は,教師自身の小中一貫校への適応の過程における子ども理解のありようと連動するとともに,視点の変容に伴う実践の創出を経て,新たな実践の創出やそれを越えた意図せぬ子どもの姿との遭遇による実践の再創出につながる。この過程を繰り返すことを通して子どもをとらえる視点の拡張と実践の再創出が進行する可能性が示唆される。
本研究は,科学研究費補助金(基盤研究(C))「小中連携,一貫の実践における教師の学習過程の分析と支援システムの開発」(代表:藤江康彦)(研究課題番号:24530994)の助成を受けた。