[PF10] 個人はいかに文化を取り込みパーソナリティを形成していくのか
一事例を通しての考察
Keywords:大学での異文化体験, 文化の取り込み, パーソナリティ形成
はじめに
人間は,その時代,その社会の提供する意味体系の中で生きており,子どもは生育環境の文化の影響を受けながら,自分の心を形成していく(箕浦,1990)。意味体系の取込に関する先行研究では,自他国の両文化を経験している留学生等が主な研究対象であるが,国内にも地域間の文化差は存在する。大学は全国から学生が集まる異文化接触の場であり,大学生活は学生の心の形成に影響すると思われる。本発表では,地元と2つの大学という3つの文化に接し,アイデンティティ拡散危機を経て,各々の文化を取込み自己を形成していった学生の事例を報告し,人が文化を取込み心を形成していく過程について考察する。発表者は,本例が留年2年生時4月~卒業までの間,学生相談で継続的に関わり今回の分析に繋がった。なお,本発表は対象者から書面にて同意を得ている。
事例の概要
対象者:A,男性,B大学所属。
学生相談期間:1年生時10月~4年生時3月。
初回面談時の問題:1年生時9月に母親と死別 後,やる気のなさが続き留年の危機にある。
生育歴等:工場町の職人家系の生まれ育ちで同胞は無い。親戚内で大卒者はAの父親のみであり,周囲の人々の多くが高卒で就職する中,Aは大学進学した。母親の急逝により上記問題が出現した。スポーツと音楽が好きで,友人関係は良好である。精神科既往歴は無い。
事例の経過:
①大学入学~留年決定。B大学入学当初は「同級生が大きな存在」であり,その文化を取込むことで適応を図った。1年生時9月に母親が急逝し,10月から学生相談機関にて喪の作業に取り組むが停滞した。2年生時3月に留年が決定し,同級生の輪から脱落した。
②異文化接触~アイデンティティ拡散危機。留年2年生時4月,「留年して追い込まれた」ことを契機に,別のC大学のサークルにて活動を開始した。当初は「色々な考え方を学べ,それぞれの場に関われることはプラス」と述べていたが,12月頃から両大学の仲間に対して否定的感情が芽生えた。3年生時5月,「B大とC大の両極端な文化の中で,チャンネルの切替がうまくいかず疲れる」と述べ,動悸や疲労等悪化し心療内科を受診した。
③文化差への気づき~自己再統合へ。3年生時10月,「地元はガテン系,B大学は穏やかでC大学は気取っている感じ。自分らしさに悩んだが,どれもありだと思い楽になった」と述べた。3月から就職活動を開始した。4年生時6月,「力が同じでもスタート地点が違えば差は広がり追いつかない」と社会的格差への気づきと怒りを表明し,身近な大人への失望とそれを反面教師に生きる決意を語った。同年時10月に就職内定し,翌月から地元文化に近い環境でのバイトを開始した。「自分はB大やC大の人たちと一緒にいる方が今は心地よい」と述べた。1月,「地元の友だちとの違いに気づいたばかりの時はどうしたらいいかわからなかったが,今は違いを自覚し,それなりに楽しめている」と語った。
④異文化経験による成長と独立。4年生時3月,「自分の力ではどうしようもないことを以前は受け入れられなかったが,できなくてもよしと思えるようになってきた」「今まで“持っている人”を羨ましく思っていたが,自分にはその人たちにはない強みもある」「社会に出る直前でようやく他者と同じスタート地点に立てたと思う。最後は自分の生活はこういうものだと肯定するしかない」等語られた。卒業に伴い終結した。
まとめと考察
国内の地域差は,自国という同質性の陰に隠れ,その影響に気づきにくい。本例は,喪の作業中という事例性はあるものの,学生の語りから,大学での異文化体験と各文化の取込みによる心の形成過程の一例が示された。地域や大学文化の多様性の理解と異文化感受性の必要性が示唆された。
文 献
箕浦康子.文化のなかの子ども,東京大学出版会;東京:1990.
人間は,その時代,その社会の提供する意味体系の中で生きており,子どもは生育環境の文化の影響を受けながら,自分の心を形成していく(箕浦,1990)。意味体系の取込に関する先行研究では,自他国の両文化を経験している留学生等が主な研究対象であるが,国内にも地域間の文化差は存在する。大学は全国から学生が集まる異文化接触の場であり,大学生活は学生の心の形成に影響すると思われる。本発表では,地元と2つの大学という3つの文化に接し,アイデンティティ拡散危機を経て,各々の文化を取込み自己を形成していった学生の事例を報告し,人が文化を取込み心を形成していく過程について考察する。発表者は,本例が留年2年生時4月~卒業までの間,学生相談で継続的に関わり今回の分析に繋がった。なお,本発表は対象者から書面にて同意を得ている。
事例の概要
対象者:A,男性,B大学所属。
学生相談期間:1年生時10月~4年生時3月。
初回面談時の問題:1年生時9月に母親と死別 後,やる気のなさが続き留年の危機にある。
生育歴等:工場町の職人家系の生まれ育ちで同胞は無い。親戚内で大卒者はAの父親のみであり,周囲の人々の多くが高卒で就職する中,Aは大学進学した。母親の急逝により上記問題が出現した。スポーツと音楽が好きで,友人関係は良好である。精神科既往歴は無い。
事例の経過:
①大学入学~留年決定。B大学入学当初は「同級生が大きな存在」であり,その文化を取込むことで適応を図った。1年生時9月に母親が急逝し,10月から学生相談機関にて喪の作業に取り組むが停滞した。2年生時3月に留年が決定し,同級生の輪から脱落した。
②異文化接触~アイデンティティ拡散危機。留年2年生時4月,「留年して追い込まれた」ことを契機に,別のC大学のサークルにて活動を開始した。当初は「色々な考え方を学べ,それぞれの場に関われることはプラス」と述べていたが,12月頃から両大学の仲間に対して否定的感情が芽生えた。3年生時5月,「B大とC大の両極端な文化の中で,チャンネルの切替がうまくいかず疲れる」と述べ,動悸や疲労等悪化し心療内科を受診した。
③文化差への気づき~自己再統合へ。3年生時10月,「地元はガテン系,B大学は穏やかでC大学は気取っている感じ。自分らしさに悩んだが,どれもありだと思い楽になった」と述べた。3月から就職活動を開始した。4年生時6月,「力が同じでもスタート地点が違えば差は広がり追いつかない」と社会的格差への気づきと怒りを表明し,身近な大人への失望とそれを反面教師に生きる決意を語った。同年時10月に就職内定し,翌月から地元文化に近い環境でのバイトを開始した。「自分はB大やC大の人たちと一緒にいる方が今は心地よい」と述べた。1月,「地元の友だちとの違いに気づいたばかりの時はどうしたらいいかわからなかったが,今は違いを自覚し,それなりに楽しめている」と語った。
④異文化経験による成長と独立。4年生時3月,「自分の力ではどうしようもないことを以前は受け入れられなかったが,できなくてもよしと思えるようになってきた」「今まで“持っている人”を羨ましく思っていたが,自分にはその人たちにはない強みもある」「社会に出る直前でようやく他者と同じスタート地点に立てたと思う。最後は自分の生活はこういうものだと肯定するしかない」等語られた。卒業に伴い終結した。
まとめと考察
国内の地域差は,自国という同質性の陰に隠れ,その影響に気づきにくい。本例は,喪の作業中という事例性はあるものの,学生の語りから,大学での異文化体験と各文化の取込みによる心の形成過程の一例が示された。地域や大学文化の多様性の理解と異文化感受性の必要性が示唆された。
文 献
箕浦康子.文化のなかの子ども,東京大学出版会;東京:1990.