[JA01] 行動発達の遺伝的基盤
行動遺伝学的・分子生物学的アプローチ
キーワード:遺伝と環境, 双生児法, 5-HTTLPR
企画趣旨
人間の行動的・心理的形質の個人差の要因には,家庭・教育・社会などの環境要因のみならず遺伝要因も大きくかかわっていることが行動遺伝学で示されている。遺伝要因の影響を明らかにすることによって,遺伝要因を統制しない研究法以上に敏感かつ詳細に,環境の影響について明らかにすることが可能である。このシンポジウムでは利他行動・問題行動・体力・気質などの心理的・行動的形質の発達と形成に遺伝要因と環境要因がどのような影響を及ぼしているかを,双生児法による行動遺伝学的手法で明らかにしようとする研究とともに,特定の遺伝子多型の分子生物学的情報との関連を明らかにしようとする研究を紹介し,教育心理学における遺伝研究の可能性を考える。
利他行動の遺伝的基盤
安藤寿康
利他行動とは他者の利益を自己の利益より優先する行動,あるいはその行動で相手が得る利益のほうが自己の得る利益より大きい行動である。
利他行動は一般に自己の遺伝子をもつ家族を多少とする場合(血縁淘汰(Hamilton, 1964),見返りを期待しやすい友人や知人に対する場合(直接互恵性),見知らぬ他人を助けるなど利他行動の対象者から直接の見返りは期待できないが社会的評判を得ることによって恩恵をこうむる可能性が高まる場合(間接互恵性(Novak & Sigmund, 1998)がある。
これら三種類の異なる対象に向けられた利他行動の頻度にはそれぞれ個人差があるが,それらが生ずる社会的文脈は異なり,その個人差の要因も異なる遺伝と環境の構造を持つことが予想される。
本報告ではこのような対象別利他行動の個人差を測る尺度(小田ら, 2012)の遺伝環境構造を491組の成人双生児(平均年齢29.0, SD=5.2)(一卵性女性287組,一卵性男性66組,二卵性女性76組,二卵性男性19組,二卵性異性43組)に実施し,行動遺伝学的分析を行った。
その結果,血縁淘汰と間接互恵性には40~50%の遺伝要因があり,残りは非共有環境で説明されるが,直接互恵性には遺伝要因は関わらず共有環境と非共有環境が個人差を説明することがわかった。対象別利他行動の間には共通する遺伝要因があり,環境が対象別の差異を調整していることがうかがわれた。こうした結果の進化的根拠などを考察する。
就学前後での子どものADHD傾向の変化―適応的な就学を支える支援のあり方とは―
藤澤啓子
子ども達が不安なく小学校へ進み,学校生活に適応できるようになるために,幼保小の連携の一環として,施設レベルでの連携のみならず,子どもの特性を含む情報の共有など,子ども個人のレベルも見る細やかな連携が目指されている。しかし,就学前の子どもの特性の状況が,就学という大きな環境変化を受けてどのように変化するか,そしてその変化の個人差はどのような要因によってもたらされるのかという視点での検討はまだ十分とは言えない。
本報告では,適応的な就学に関連する要因の一つとして指摘される,子どものADHD傾向に着目し,慶應義塾大学ふたご行動発達研究センターで収集された,双生児を対象とした就学前期(年長12月)と就学後期(小学1年生12月)の二時点の調査データの分析結果を紹介する。就学という環境変化が,子どものADHD傾向の変動(増加または減少)に影響するかという点を検討し,就学前後でのADHD傾向の変化の個人差に寄与する遺伝要因と環境要因を定量的に示す。さらに,ADHD傾向と学校適応との関連に,どのような環境要因が関連しているのかを検討することで,望ましい幼保小の連携のあり方についての議論につなげたい。
学齢期の子どもの問題行動・精神障害傾向における遺伝と環境
菅原ますみ
人間行動遺伝学では,子どもに見られる問題行動や精神障害傾向の発達にどのように遺伝と環境が影響しているかが重要な課題のひとつとして検討されてきている。例えば,3,7,10,12歳時点の双生児の縦断データによる問題行動の安定性と変化に関わる遺伝と環境の影響を検討した海外の研究(Bartels, van den Oord, Hudziak, Rietveld, van Beijsterveldt, & Boomsma, 2004) では,外在化問題(攻撃的・反社会的行動傾向など)と内在化問題(過度の不安や抑うつなど)ともに各時点で安定して遺伝の影響が確認されているが(外在化問題で60%, 内在化問題で43%),環境要因に関しては,共有環境要因(双生児ペアの類似性を増加させる共通の体験)の影響が非共有環境(双生児ペアの類似性を低下させる別々の異なる体験)の影響より大きいことが報告されている(共有環境要因: 外在化問題で34%, 内在化問題で47%; 非共有環境要因: 外在化問題で6%, 内在化問題で10%)。報告者らの日本の2歳~7歳時の双生児を対象とした研究でも,幼児期の問題行動においては各時点で持続的な共有環境要因の影響が認められている(Tanaka & Sugawara, 2016)。本報告では,さらに年長の小学生期~高校生期にある一般人口中の双生児を対象とした解析から,注意欠如・多動傾向,抑うつ傾向, 攻撃的・反社会的行動傾向等に関する遺伝と環境の影響性についてパーソナリティ特性との関連を含めて検討した結果について報告し,学齢期の不適応的な行動をどのように理解すべきか検討する。
青年期の健康関連体力の発達に寄与する遺伝と環境
川本哲也
健康関連体力とは,習慣的な身体活動に影響される健康状態に関連した体力を指す。青年期の健康関連体力は,身体的・心理的・社会的アウトカムに影響する重要な要因である。体力テストのパフォーマンスは健康関連体力の簡易的指標として知られ,例えば50m走や持久走のタイムはそれぞれ敏捷性や心肺持久力の指標となる。青年期におけるその発達軌跡は既に数多く検討されているが(e.g., 川本・遠藤, 2016; 文部科学省, 2015),その背後にある遺伝要因と環境要因の寄与についてはいまだ検討されていない点が多い。そこで本研究では,青年期の健康関連体力に関する双生児縦断データを用い,健康関連体力の発達に寄与する遺伝・環境要因について検討した。具体的には,東京大学教育学部附属中等教育学校で収集・アーカイブ化された双生児337組(MZ=282; same-sex DZ=55)の体力テスト(50m走・持久走)の縦断データを用いた遺伝分析を行った。その結果,50m走と持久走のパフォーマンスの遺伝率は約60%となった。また,体力の変化については環境要因が相対的に大きな影響を与えているが,新たな遺伝的要因の出現も確認された。発表ではこの結果をもとに,青年期の身体発達について議論を深めていきたい。
BIS/BAS形成要因―乳児期アタッチメント・5-HTTLPR多型との関連性―
斎藤 晃
行動抑制システム(BIS)/行動賦活システム(BAS)(Grayら,2000)と乳児期アタッチメント,セロトニン輸送体関連遺伝子5-HTTLPR多型との関連性を検討する。
協力者39名(男子18名)が1歳時点でアタッチメントのストレンジ状況法(SSP)を行った。彼らが8~15歳の時点で,BIS/BAS尺度(Carver and White,2000;上出・大坊訳,2005)の記入,唾液採取(Orageneにて保存)を依頼した。唾液よりDNA抽出後,5-HTTLPRの多型解析を行った。
SSPの第5,8エピソードにおける接近・接触行動(PS5,PS8),接触維持行動(CM5,CM8),抵抗行動(R5,R8),回避行動(A5,A8),BIS/BAS項目,5-HTTLPRのs/s,s/l(l/lは存在せず)を対象として因子分析,最尤法・バリマックス回転を行い,2因子を抽出した。第1因子はR5,R8,CM5,CM8,第2因子はPS5,PS8,A5,A8で構成された。前者を両面価値,後者を接近回避と命名し,共分散構造分析による多母集団の同時分析を行った。その結果,1)両面価値-BAS間のパスにおいてs/sは正,s/lは負を示し,接近回避-BAS間のパスにおいてs/sは負,s/lは正のパスを示し,s/s・s/l間で逆の結果となった。2)s/s,s/l共に両面価値-BIS間のパスにおいて正,接近回避-BIS間のパスにおいて負を示した。本結果は,5-HTTLPR多型はBISと関連し,BASとは関連しないという報告(Whisman et al., 2011;Drabe et al., 2017)と異なり,さらなる検討が必要である。
付 記
本研究は発表者所属機関倫理審査委員会の許可を得て行った。BIS/BAS測定と唾液採取に際して,協力者のうち15歳以上は同意書,15歳未満は賛意書,そして母親から同意書を得た。
本研究はJSPS科研費JP26590152の助成を受けた。
人間の行動的・心理的形質の個人差の要因には,家庭・教育・社会などの環境要因のみならず遺伝要因も大きくかかわっていることが行動遺伝学で示されている。遺伝要因の影響を明らかにすることによって,遺伝要因を統制しない研究法以上に敏感かつ詳細に,環境の影響について明らかにすることが可能である。このシンポジウムでは利他行動・問題行動・体力・気質などの心理的・行動的形質の発達と形成に遺伝要因と環境要因がどのような影響を及ぼしているかを,双生児法による行動遺伝学的手法で明らかにしようとする研究とともに,特定の遺伝子多型の分子生物学的情報との関連を明らかにしようとする研究を紹介し,教育心理学における遺伝研究の可能性を考える。
利他行動の遺伝的基盤
安藤寿康
利他行動とは他者の利益を自己の利益より優先する行動,あるいはその行動で相手が得る利益のほうが自己の得る利益より大きい行動である。
利他行動は一般に自己の遺伝子をもつ家族を多少とする場合(血縁淘汰(Hamilton, 1964),見返りを期待しやすい友人や知人に対する場合(直接互恵性),見知らぬ他人を助けるなど利他行動の対象者から直接の見返りは期待できないが社会的評判を得ることによって恩恵をこうむる可能性が高まる場合(間接互恵性(Novak & Sigmund, 1998)がある。
これら三種類の異なる対象に向けられた利他行動の頻度にはそれぞれ個人差があるが,それらが生ずる社会的文脈は異なり,その個人差の要因も異なる遺伝と環境の構造を持つことが予想される。
本報告ではこのような対象別利他行動の個人差を測る尺度(小田ら, 2012)の遺伝環境構造を491組の成人双生児(平均年齢29.0, SD=5.2)(一卵性女性287組,一卵性男性66組,二卵性女性76組,二卵性男性19組,二卵性異性43組)に実施し,行動遺伝学的分析を行った。
その結果,血縁淘汰と間接互恵性には40~50%の遺伝要因があり,残りは非共有環境で説明されるが,直接互恵性には遺伝要因は関わらず共有環境と非共有環境が個人差を説明することがわかった。対象別利他行動の間には共通する遺伝要因があり,環境が対象別の差異を調整していることがうかがわれた。こうした結果の進化的根拠などを考察する。
就学前後での子どものADHD傾向の変化―適応的な就学を支える支援のあり方とは―
藤澤啓子
子ども達が不安なく小学校へ進み,学校生活に適応できるようになるために,幼保小の連携の一環として,施設レベルでの連携のみならず,子どもの特性を含む情報の共有など,子ども個人のレベルも見る細やかな連携が目指されている。しかし,就学前の子どもの特性の状況が,就学という大きな環境変化を受けてどのように変化するか,そしてその変化の個人差はどのような要因によってもたらされるのかという視点での検討はまだ十分とは言えない。
本報告では,適応的な就学に関連する要因の一つとして指摘される,子どものADHD傾向に着目し,慶應義塾大学ふたご行動発達研究センターで収集された,双生児を対象とした就学前期(年長12月)と就学後期(小学1年生12月)の二時点の調査データの分析結果を紹介する。就学という環境変化が,子どものADHD傾向の変動(増加または減少)に影響するかという点を検討し,就学前後でのADHD傾向の変化の個人差に寄与する遺伝要因と環境要因を定量的に示す。さらに,ADHD傾向と学校適応との関連に,どのような環境要因が関連しているのかを検討することで,望ましい幼保小の連携のあり方についての議論につなげたい。
学齢期の子どもの問題行動・精神障害傾向における遺伝と環境
菅原ますみ
人間行動遺伝学では,子どもに見られる問題行動や精神障害傾向の発達にどのように遺伝と環境が影響しているかが重要な課題のひとつとして検討されてきている。例えば,3,7,10,12歳時点の双生児の縦断データによる問題行動の安定性と変化に関わる遺伝と環境の影響を検討した海外の研究(Bartels, van den Oord, Hudziak, Rietveld, van Beijsterveldt, & Boomsma, 2004) では,外在化問題(攻撃的・反社会的行動傾向など)と内在化問題(過度の不安や抑うつなど)ともに各時点で安定して遺伝の影響が確認されているが(外在化問題で60%, 内在化問題で43%),環境要因に関しては,共有環境要因(双生児ペアの類似性を増加させる共通の体験)の影響が非共有環境(双生児ペアの類似性を低下させる別々の異なる体験)の影響より大きいことが報告されている(共有環境要因: 外在化問題で34%, 内在化問題で47%; 非共有環境要因: 外在化問題で6%, 内在化問題で10%)。報告者らの日本の2歳~7歳時の双生児を対象とした研究でも,幼児期の問題行動においては各時点で持続的な共有環境要因の影響が認められている(Tanaka & Sugawara, 2016)。本報告では,さらに年長の小学生期~高校生期にある一般人口中の双生児を対象とした解析から,注意欠如・多動傾向,抑うつ傾向, 攻撃的・反社会的行動傾向等に関する遺伝と環境の影響性についてパーソナリティ特性との関連を含めて検討した結果について報告し,学齢期の不適応的な行動をどのように理解すべきか検討する。
青年期の健康関連体力の発達に寄与する遺伝と環境
川本哲也
健康関連体力とは,習慣的な身体活動に影響される健康状態に関連した体力を指す。青年期の健康関連体力は,身体的・心理的・社会的アウトカムに影響する重要な要因である。体力テストのパフォーマンスは健康関連体力の簡易的指標として知られ,例えば50m走や持久走のタイムはそれぞれ敏捷性や心肺持久力の指標となる。青年期におけるその発達軌跡は既に数多く検討されているが(e.g., 川本・遠藤, 2016; 文部科学省, 2015),その背後にある遺伝要因と環境要因の寄与についてはいまだ検討されていない点が多い。そこで本研究では,青年期の健康関連体力に関する双生児縦断データを用い,健康関連体力の発達に寄与する遺伝・環境要因について検討した。具体的には,東京大学教育学部附属中等教育学校で収集・アーカイブ化された双生児337組(MZ=282; same-sex DZ=55)の体力テスト(50m走・持久走)の縦断データを用いた遺伝分析を行った。その結果,50m走と持久走のパフォーマンスの遺伝率は約60%となった。また,体力の変化については環境要因が相対的に大きな影響を与えているが,新たな遺伝的要因の出現も確認された。発表ではこの結果をもとに,青年期の身体発達について議論を深めていきたい。
BIS/BAS形成要因―乳児期アタッチメント・5-HTTLPR多型との関連性―
斎藤 晃
行動抑制システム(BIS)/行動賦活システム(BAS)(Grayら,2000)と乳児期アタッチメント,セロトニン輸送体関連遺伝子5-HTTLPR多型との関連性を検討する。
協力者39名(男子18名)が1歳時点でアタッチメントのストレンジ状況法(SSP)を行った。彼らが8~15歳の時点で,BIS/BAS尺度(Carver and White,2000;上出・大坊訳,2005)の記入,唾液採取(Orageneにて保存)を依頼した。唾液よりDNA抽出後,5-HTTLPRの多型解析を行った。
SSPの第5,8エピソードにおける接近・接触行動(PS5,PS8),接触維持行動(CM5,CM8),抵抗行動(R5,R8),回避行動(A5,A8),BIS/BAS項目,5-HTTLPRのs/s,s/l(l/lは存在せず)を対象として因子分析,最尤法・バリマックス回転を行い,2因子を抽出した。第1因子はR5,R8,CM5,CM8,第2因子はPS5,PS8,A5,A8で構成された。前者を両面価値,後者を接近回避と命名し,共分散構造分析による多母集団の同時分析を行った。その結果,1)両面価値-BAS間のパスにおいてs/sは正,s/lは負を示し,接近回避-BAS間のパスにおいてs/sは負,s/lは正のパスを示し,s/s・s/l間で逆の結果となった。2)s/s,s/l共に両面価値-BIS間のパスにおいて正,接近回避-BIS間のパスにおいて負を示した。本結果は,5-HTTLPR多型はBISと関連し,BASとは関連しないという報告(Whisman et al., 2011;Drabe et al., 2017)と異なり,さらなる検討が必要である。
付 記
本研究は発表者所属機関倫理審査委員会の許可を得て行った。BIS/BAS測定と唾液採取に際して,協力者のうち15歳以上は同意書,15歳未満は賛意書,そして母親から同意書を得た。
本研究はJSPS科研費JP26590152の助成を受けた。