日本教育心理学会第60回総会

講演情報

自主企画シンポジウム

[JF05] 自主企画シンポジウム 5
対話的異文化理解授業実践のあり方を考える

国際理解教育とのコラボレーション

2018年9月16日(日) 16:00 〜 18:00 D310 (独立館 3階)

企画・司会:渡辺忠温(東京理科大学)
企画・司会:山本登志哉((財)発達支援研究所)
話題提供:呉宣児(共愛学園前橋国際大学)
話題提供:崔順子#(韓国国際児童発達教育院)
話題提供:榊原知美(東京学芸大学)
話題提供:片成男#(中国政法大学)
話題提供:田島充士(東京外国語大学)
話題提供:姜英敏#(北京師範大学)
指定討論:釜田聡#(上越教育大学)

[JF05] 対話的異文化理解授業実践のあり方を考える

国際理解教育とのコラボレーション

渡辺忠温1, 山本登志哉2, 呉宣児3, 崔順子#4, 榊原知美5, 片成男#6, 田島充士7, 姜英敏#8, 釜田聡#9 (1.東京理科大学, 2.(財)発達支援研究所, 3.共愛学園前橋国際大学, 4.韓国国際児童発達教育院, 5.東京学芸大学, 6.中国政法大学, 7.東京外国語大学, 8.北京師範大学, 9.上越教育大学)

キーワード:文化, 国際理解, 対話

企画主旨
 グローバル化の進展に伴い,文化的背景を異にする他者との対話的な相互理解の重要性が高まっており,多文化的な文脈に適応的な人材を育てることを目標として,対話的な異文化理解教育実践も盛んに実施されるようになってきた。一方で,実践的にも研究上も,そうした異文化間での対話及びその教育が行われる,或いは,背景として持つ文脈は一律なものではない。異なる学問領域において,異なるフィールドを対象に,異なる方法論や理論などに基づいて,研究者たちは研究・実践を展開しているのであり,必要なのは,そうした研究者たちの間での,越境的な対話および協働である。本シンポジウムでは,主に心理学にバックグラウンドを置く研究者が実施した日韓・日中の大学間での異文化理解授業実践について報告するとともに,初等教育の現場で国際理解教育を行ってきた教育学の研究者を指定討論者に迎え,異なる学問領域間・異フィールド間の対話を試みる。

日韓の大学間交流授業からみる「自分たち-他者たち」への理解と認識の変化―太平洋戦争,靖国神社,慰安婦等を素材にする映画を用いて―
呉 宣児・崔 順子
 日本の授業担当者呉と韓国の授業担当者崔は,2010年度から日韓の交流授業をしてきた。交流授業の素材として,日韓共同ドキュメンタリー「あんにょん・サヨナラ」(キム=テイル・加藤久美子監督,2006年)を用いた。この授業の目的は史実の真意を追求するのではなく,映画を見てそれぞれの「感じ方の差」を互いに知ることであった。ドキュメンタリーの内容は,次のとおりである。韓国人李ヒジャ氏の父親は,日本兵として太平洋戦争に参加し戦病死し靖国神社に祀られている。李ヒジャ氏は父親の靖国神社合祀の取り消しのための活動をし日本人の支援者たちが付き添っている。このようなストーリーのなかに,戦争や靖国神社をめぐる多様な視点のインタビュー・語り・報道等が用いられている。
 2010年の交流授業(以下,交流Ⅰ)では,(1)日韓それぞれの授業で映画を視聴し短い感想文を書く,(2)相手国に送りお互いに相手国の大学生たちの感想文を読む,(3)相手国の感想文を読んだ二次感想文を書いて送る,(4)相手国大学生の二次感想文を読み,また短い感想文を書く,というプロセスの中で「自分達―他者達」への理解の変化を検討した。感想文交換は日本人大学生6人分,韓国人大学生5人分であった。
 交流Ⅰの検討結果,日韓の大学生が体験する感情・葛藤の変化に共通性が見られた。(1)まずは,日韓学生とも自分たちの傷をみる,(2)相手の感想文を見て相手の傷を意識するようになる,(3)相手が自分達を見てくれていると感じると,共生への視点が出てくるが,その反対の場合は防御の視点が出てくる,ということであった。「顔の見えない関係」での感想文交換という間接的対話ではあるが,「自分を中心に見る」から「相手を見る」という変化が示唆することは大きいと考える(呉・崔・山本, 2014; Oh, 2017)。
 2016年~2017年にかけて,「顔の見える関係」の中で交流授業(以下,交流Ⅱ)を行った。2016年の9月,日本人学生5人が韓国を訪れ,韓国人学生4人と,互いに生活文化の紹介を行ったり,一緒にソウル市内を歩いたりしながら二日間楽しく過ごし,「知り合い・友達」になって日本へ戻った。10月から同じ映画「あんにょん・サヨナラ」を見て,交流Ⅰと同じように,映画への感想文と相手国大学生の感想に対する感想文交換を行った。交流Ⅱを検討した結果,交流Ⅰではあまり見られなかった点として,(1)「私」と「わたしたちの国」を分離する傾向や,(2)相手(国)の非を語る場合は,自分・自国の非もセットにして語り,(3)非を語るとき,国を一括して語ることを避け,部分に分けて語る傾向が見られた。これらの結果は,「関わりのない他者」と「関わりのある他者」という違いから,「関係の断絶と持続」という軸が揺れ動いていると思われる。その詳細や異文化理解,他者理解のための方法としての効果等についてさらなる検討を進めていく。

日本と中国の大学間における対話的交流授業を通した学生の異文化理解プロセス―学生による物語の作成と分析―
榊原知美・片 成男
 2010年から開発・実施してきた日本と中国の大学間における一連の対話的交流授業では,大学生の異文化理解プロセスや,それを促す交流授業のあり方に関するいくつかの知見が得られている。例えば,手紙を用いた交流授業では,日本の学生が中国との対話を通して,自文化を基点として相手文化を理解しようとする視点から,行為の背景にある文化的信念の相対性を尊重して相手と対話をする視点へと変化したことが示された。また,学生の異文化理解の変化には,拒否的な情動反応が契機として機能することも示唆されている(例えば,Sakakibara, 2017; Pian, 2017)。
 本発表では,はじめにこれまでの交流授業から浮かび上がってきた学生の異文化理解プロセスについて概観した後,一連の交流授業のうち物語の作成,交換,分析を行った交流授業をとりあげ,日中の学生の物語理解を支える自文化の解釈フレームの影響について検討する。物語の作成を用いた交流授業は「交通ルールの捉え方」というテーマで2016~2017年にかけて合計12回(日本6回,中国6回)にわたり実施された。2016年には初回授業において,(1)車が十字路を右折し,横断歩道を渡っていた歩行者と接触しそうになる場面,(2)接触しそうになった車の運転手と歩行者がやり取りをしている場面,(3)通りがかった歩行者が加わり3人でやり取りをしている場面の3つの場面で構成されたイラストを学生に提示し,「日常で普通にあり得る範囲内」でイラストに合わせた物語をグループで作成させた。学生の物語は翻訳のうえ,相手国の学生に配布した。これに対する感想や質問が返送されるという形で日中の対話が進められた。2017年には別の学生を対象とした授業において,2016年に日中の学生が作成した物語を配布し,歩行者,運転手,通りがかりの人が,交通ルールに対してそれぞれどのような認識を持っているかを分析させ,日中で交換,議論した。その結果,日中の学生では交通法規に対する考え方に違いがみられるなど,いくつかの特徴的な解釈フレームの差異がみられ,それが物語の分析や議論に影響を与えている可能性が示唆された。
 本発表では,以上の知見を踏まえ,一連の交流授業からみえてきた学生の異文化理解を促す交流授業の効果的なあり方についても検討する。

葛藤的な価値判断に関する日中学生間の対話教育:対話的ワクチンの視点から
田島充士・姜 英敏
 日本人と中国人が相互交流を行う機会は,近年,増加傾向にある。その一方で,日本人と中国人とでは互いにかなり異なる文化的・歴史的文脈を背景とするため,人間関係の構築に関連する重要な価値判断について多くの葛藤を抱えるリスクが高いことも事実である。このような問題意識をもとに,生産的な異文化交流を展開し得る対話力の向上を目的とした教育プログラムを開発した。本発表においては,日本人と中国人との間で葛藤が生じることの多い価値観に関わる話題に関し,日中の大学生が葛藤の解消を目指し論じあう本プログラムの内容とその効果について紹介する。
 本実践は,北京師範大学において2018年1月に実施した。授業時間は,2日間計8時間だった。日本人と中国人との間で矛盾が生じることの多い価値判断をともなう話題(おごりの問題,トラブルが発生した際の謝罪の問題,知人同士の借金の問題)を用意した。調査協力者は英語を話すことができる,北京師範大学に所属する中国人学部生4名と,留学している日本人学生2名であった。調査協力者は各テーマに関し,日本人と中国人との間で価値判断に矛盾が生じる理由を考察し,その矛盾解消の可能性について英語で論じた(1テーマの所要時間は2時間程度)。その後,各テーマについての日本人と中国人との間での葛藤解消プロセスを,対話形式のレポートにまとめ発表した(およそ2時間)。本発表で分析対象とするのは,日中間の認識の差異が特に際立った,友人同士の借金をテーマにしたセッションである。
 議論当初,中国人の学生からは「親も家などの大きな買い物の際には,知り合いからお金を借りている。親しい間柄ならお金を借りるのは当たり前」など,知人同士のお金の貸し借りへの抵抗感のなさを示す意見表明が多くなされた。これらの意見に対し日本人の学生からは,「私は絶対にお金は貸さない。一緒に銀行に行って,お金を借りる相談を手伝った方が良い」「お金が返ってこなかった時に人間関係が壊れることが恐い」など,借金への強い抵抗感が示された。日本人のこのような反応に対し,中国人の学生らは,「中国では銀行からお金を借りるのはとてもむつかしい。長くて複雑な手続きが必要になるので,友人同士から貸し借りをするのだ」という社会状況が説明され,また「友人を信頼できるということは,こういったお金をやりとりできるということだ」との発言がなされた。その一方で, 両者の視点の違いを知ることで異質な相手の価値判断の理由を理解し,葛藤状況を理知的に解消する方法等が提案されるようになった。
 さらに複数の日中の学生が,本プログラムの対話を通し,普段の日常的な会話の中では気づかない日中間の文化的差異について再認識したことを,驚きを持って報告した。このように他者の異質な視点を知り,その視点から自分たちの価値判断の視点を客観視して調整可能とする対話的経験を持つことは,実際に相手との葛藤状況に陥った際,新たな解決策を講じるきっかけになる可能性が高いと考えられる。本発表ではバフチンの対話理論の視点から,このような経験を「対話的ワクチン」(Tajima, 2017)に該当するものと捉え,本実践の効果および今後の展開可能性について考察する。