[JH05] マインドフルネス教育の導入
日本の身体文化との接点
キーワード:マインドフルネス, 身体教育, 文化
企画趣旨
マインドフルネス(mindfulness)とは,パーリ語の「サティ(sati; 念,記憶,注意深さ)」に当てられた英訳であり(井上, 2012),後年,仏教瞑想が西洋で普及するにつれ,その基本的側面に過ぎない「ありのままの注意(bare attention)」が,マインドフルネスの主たる意味と同義で用いられることが多くなった(Gethin, 2011)。こうした流れを受け,近年でも,「意図的に,現在の瞬間に,評価も判断もせずに,注意を向けること」とマインドフルネスを定義することが多く,観想的な実践(contemplative practice)を通じてそのような注意を涵養することが,「今この瞬間の現実に対する,より深い気づき,明晰さ,受容」をもたらすとされている(Kabat-Zinn, 1994/2005)。
近年の対人援助領域では,マインドフルネスが,有益な介入技法として着目されている。例えば,臨床心理領域においては,マインドフルネス認知療法(mindfulness-based cognitive therapy: MBCT),弁証法的行動療法(dialectical behavior therapy: DBT),アクセプタンス・コミットメント・セラピー(acceptance commitment therapy: ACT)といった,いわゆる「認知行動療法の第三世代」と呼ばれる潮流が生じ,精神疾患の治療や,心身の健康維持をもたらす取り組みとして注目を集めている。
また,教育領域に目を転じれば,ホリスティック/インテグラル教育(holistic/integral education)では,早期よりその有用性が指摘されてきたが,近年の科学的研究の興隆を受け,児童や青年(レビューとしてGreenberg & Harris, 2012),親や教師(Ancona & Mendelson, 2014; Roser, Skinner, Beers, & Jennings, 2012)を対象とした多くの介入・基礎研究が蓄積され,“Mindful schools”といった団体も組織されるなど,活発な動きを見せている。さらに,マインドフルネスや慈悲(compassion)の実践が,適応上有益なスキルや特性の獲得にもたらす可能性を学際的に追及する,「発達観想科学(developmental contemplative science: DCS)」と呼ばれる学術領域も生起している(Roser & Pinela, 2014)
我が国においても,日本マインドフルネス学会の設立,『精神療法』での特集(2016)をはじめとする学術界の興隆や,大手企業の研修や各種マスメディアで取り上げられたことで,その関心度は日に日に高まっている。こうした現状にあって,教育界でも,マインドフルネスを導入する動きが加速することが予測される。
そこで本シンポジウムでは,マインドフルネス教育の導入と中長期的な定着を見据え,日本の身体文化(身体教育)との接点を一つの手がかりとしながら,その実践形態や効果・課題について整理し見識を深めることを目的とする。
具体的には,司会の趣旨説明より,子ども向けのマインドフルネス・プログラムについて概説する。話題提供では,まず,日本で伝統的に実践されてきた観想的実践である岡田式静坐法や中村春二の凝念法を,歴史的・実践的観点から紐解く。次いで,日本古来の身体教育の流れを汲む立腰教育ならびに,マインドフルネス呼吸法と立腰姿勢を組み合わせた教育実践に関する基礎研究の成果を概観する。最後に,虐待等,特別な配慮が必要な子どもへの実践上の留意点を,家庭との連携面も踏まえつつ提示する。
これらの話題提供や指定討論を通じて,西洋文化でプログラム化されたマインドフルネスと,東洋文化の伝統的な身体教育との接点を探ることで,現代の教育界において,マインドフルネス教育を根付かせていくための現実的な道標を探っていきたい。
日本の身体文化とマインドフルネス
小室弘毅
マインドフルネスの原語はパーリ語の「sati」であり,その漢訳が「念」であるとされる。「今」と「心」という部首から構成されることから,マインドフルネスは「今に心を置くこと」とも説明される。しかし,日本語でもある「念」という語は,マインドフルネスの説明としては使用されても,その意味を深く探究されることは少ない。同様に,マインドフルネスは,それが日本文化とどのように親和性を持ち,逆にどのように違和を生じさせているのかについて十分議論,検討されないままに,導入されているのが現状である。本話題提供では,教育の領域に導入するに当たって,マインドフルネスにおいて忘れられがちでありながら欠かすことのできない「身体」に着目し,日本文化とマインドフルネスの接点を探る。
その際,「念」という語に着目した教育者である成蹊学園創設者中村春二に焦点を当てる。中村は,明治末期に「凝念法」という瞑想法を開発し,これを学園の教育の中核に位置づけた(小室,2005)。この「凝念法」のもととなったものが明治末期から大正期にかけて流行した修養健康法の1つ,岡田式静坐法である。これらの修養を基盤とする身体技法の背景には,「肚」や「腰」を重視する日本の身体文化があった(小室,2012)。一見精神主義とも見られる修養の背後には「身心一如」「身心相関」を前提とする日本の身体文化がある。マインドフルネスにおいても,それを単なる観想的,瞑想的技法と捉えるのでは不十分である。姿勢をはじめとした「身体」のあり方,使い方にこそマインドフルネスの本質はあり,同時に日本文化との接点もそこにある。本話題提供では,身心一如のソマティック心理学的観点から,歴史的,実践的にマインドフルネスについて論じる。
マインドフルネス姿勢教育の可能性
村上祐介
マインドフルネスの介入は,子どもの認知的パフォーマンスやストレス状態の改善に有効であり(Zenner, Herrnleben-Kurz, & Walach, 2014),その実践の一つである静坐瞑想では,「姿勢を正す」ことで,呼吸の負荷を取り除き,注意力や忍耐といった機能を促進することが期待されている。しかし,ここ数十年の日本では,ライフスタイルの変化や姿勢教育の衰退により,背筋力や体力の低下がもたらされたとする指摘もあり(別所, 2007),「良い姿勢」をいかに維持するかは,例えばマインドフルネス呼吸法を導入する段階において,実践的な課題の一つとなるだろう。
一方,我が国では,立腰教育(森, 1983)に代表されるように,学習場面における心的状態の向上に,姿勢が少なくない役割を担うことが想定されてきた。実際,姿勢を正すことは,他の姿勢や椅子条件との比較から,「生き生きした」意識性やポジティブな気分状態が生じやすく(稲垣他, 2015; Sugamura et al., 2016; 鈴木・春木, 1992),困難なパズル課題への動機づけの低下が生じにくい(Riskind & Gotay, 1982)ことがわかっている。このように,良い姿勢のみでも学習者に肯定的な影響をもたらすが,マインドフルネスの実践は,身体感覚や姿勢への注意を高め,姿勢の機能を維持・向上することにつながる可能性がある。
以上のように,マインドフルネスと良い姿勢を相補的に組み合わせることは,学習場面でより望ましい認知や感情を醸成するための具体的な方途となることが予想される。本発表では,立腰椅子によってサポートされた良い姿勢と,マインドフルネス呼吸法を組み合わせた大学生対象の介入が,呼吸法への印象評価(村上・菅村, 2017)や,講義場面を想定した動画視聴課題に及ぼす影響等について報告する。そして,これらの基礎研究の知見から,教育現場に根ざしやすい観想教育として,マインドフルネス姿勢教育の可能性と課題を論じる。
子どもを対象としたマインドフルネス・プログラムの実践
相馬花恵
虐待をはじめとする幼少時のトラウマ体験は,不健康状態の慢性化(Felitti & Anda, 2010)など,個人の発達に様々な影響を及ぼすことが指摘されており,トラウマを抱えた子どもへの介入は重要かつ急務であるといえる。いっぽう,近年では,子どもを対象としたトラウマ治療の一つとして,マインドフルネス・プログラムを実施する試みがなされている(cf. Jee, Couderc, Swanson, Gallegos, Hilliard, Blumkin, Cunningham, & Heinert, 2015)。虐待などのトラウマを抱えた子どもらの不適応感の改善という視点からも,マインドフルネス・プログラムの今後の展開が期待されているといえよう。
話題提供者は,マインドフルネス・プログラムの中でも,呼吸とともにゆっくりと身体を動かしながら「今ここ」におけるあらゆる経験に受容的な気づきを向けるマインドフルネス・ヨーガに着目し,児童相談センターにおける支援の一つとして,プログラムを実施している。本発表では,主に児童期の子どもを対象としたマインドフルネス・ヨーガ・プログラムに焦点を当て,その実践の様子を報告する。具体的には,まず,児童相談センターにおける本プログラムの実施方法を紹介する。続いて,プログラム実施の際の留意点(環境整備の工夫や,プログラムに抵抗を示す児童らへの対応,など)を報告する。さらに,本プログラムに参加した児童らから得られた感想を踏まえながら,トラウマをはじめ何らかの不適応感を抱える児童を対象に,身体感覚を用いたマインドフルネス・プログラムを行うことの意義について論じていく。
以上の報告をもとに,教育現場におけるマインドフルネス・プログラムの適応可能性を追求する。特に,集団を対象に技法を実施する際の留意点や,限られた時間の中での技法の実施方法,そして,日常生活における技法の活用のためにも欠かせない家庭との連携という点も踏まえながら,論じていきたい。
指定討論
指定討論には,地域実践心理学,臨床心理学の立場から串崎真志氏をお迎えし,各話題提供へのコメントや問題提起を頂く。
付 記
本シンポジウムはJSPS科研費17K13927並びに16K01640の助成を受けたものです。
マインドフルネス(mindfulness)とは,パーリ語の「サティ(sati; 念,記憶,注意深さ)」に当てられた英訳であり(井上, 2012),後年,仏教瞑想が西洋で普及するにつれ,その基本的側面に過ぎない「ありのままの注意(bare attention)」が,マインドフルネスの主たる意味と同義で用いられることが多くなった(Gethin, 2011)。こうした流れを受け,近年でも,「意図的に,現在の瞬間に,評価も判断もせずに,注意を向けること」とマインドフルネスを定義することが多く,観想的な実践(contemplative practice)を通じてそのような注意を涵養することが,「今この瞬間の現実に対する,より深い気づき,明晰さ,受容」をもたらすとされている(Kabat-Zinn, 1994/2005)。
近年の対人援助領域では,マインドフルネスが,有益な介入技法として着目されている。例えば,臨床心理領域においては,マインドフルネス認知療法(mindfulness-based cognitive therapy: MBCT),弁証法的行動療法(dialectical behavior therapy: DBT),アクセプタンス・コミットメント・セラピー(acceptance commitment therapy: ACT)といった,いわゆる「認知行動療法の第三世代」と呼ばれる潮流が生じ,精神疾患の治療や,心身の健康維持をもたらす取り組みとして注目を集めている。
また,教育領域に目を転じれば,ホリスティック/インテグラル教育(holistic/integral education)では,早期よりその有用性が指摘されてきたが,近年の科学的研究の興隆を受け,児童や青年(レビューとしてGreenberg & Harris, 2012),親や教師(Ancona & Mendelson, 2014; Roser, Skinner, Beers, & Jennings, 2012)を対象とした多くの介入・基礎研究が蓄積され,“Mindful schools”といった団体も組織されるなど,活発な動きを見せている。さらに,マインドフルネスや慈悲(compassion)の実践が,適応上有益なスキルや特性の獲得にもたらす可能性を学際的に追及する,「発達観想科学(developmental contemplative science: DCS)」と呼ばれる学術領域も生起している(Roser & Pinela, 2014)
我が国においても,日本マインドフルネス学会の設立,『精神療法』での特集(2016)をはじめとする学術界の興隆や,大手企業の研修や各種マスメディアで取り上げられたことで,その関心度は日に日に高まっている。こうした現状にあって,教育界でも,マインドフルネスを導入する動きが加速することが予測される。
そこで本シンポジウムでは,マインドフルネス教育の導入と中長期的な定着を見据え,日本の身体文化(身体教育)との接点を一つの手がかりとしながら,その実践形態や効果・課題について整理し見識を深めることを目的とする。
具体的には,司会の趣旨説明より,子ども向けのマインドフルネス・プログラムについて概説する。話題提供では,まず,日本で伝統的に実践されてきた観想的実践である岡田式静坐法や中村春二の凝念法を,歴史的・実践的観点から紐解く。次いで,日本古来の身体教育の流れを汲む立腰教育ならびに,マインドフルネス呼吸法と立腰姿勢を組み合わせた教育実践に関する基礎研究の成果を概観する。最後に,虐待等,特別な配慮が必要な子どもへの実践上の留意点を,家庭との連携面も踏まえつつ提示する。
これらの話題提供や指定討論を通じて,西洋文化でプログラム化されたマインドフルネスと,東洋文化の伝統的な身体教育との接点を探ることで,現代の教育界において,マインドフルネス教育を根付かせていくための現実的な道標を探っていきたい。
日本の身体文化とマインドフルネス
小室弘毅
マインドフルネスの原語はパーリ語の「sati」であり,その漢訳が「念」であるとされる。「今」と「心」という部首から構成されることから,マインドフルネスは「今に心を置くこと」とも説明される。しかし,日本語でもある「念」という語は,マインドフルネスの説明としては使用されても,その意味を深く探究されることは少ない。同様に,マインドフルネスは,それが日本文化とどのように親和性を持ち,逆にどのように違和を生じさせているのかについて十分議論,検討されないままに,導入されているのが現状である。本話題提供では,教育の領域に導入するに当たって,マインドフルネスにおいて忘れられがちでありながら欠かすことのできない「身体」に着目し,日本文化とマインドフルネスの接点を探る。
その際,「念」という語に着目した教育者である成蹊学園創設者中村春二に焦点を当てる。中村は,明治末期に「凝念法」という瞑想法を開発し,これを学園の教育の中核に位置づけた(小室,2005)。この「凝念法」のもととなったものが明治末期から大正期にかけて流行した修養健康法の1つ,岡田式静坐法である。これらの修養を基盤とする身体技法の背景には,「肚」や「腰」を重視する日本の身体文化があった(小室,2012)。一見精神主義とも見られる修養の背後には「身心一如」「身心相関」を前提とする日本の身体文化がある。マインドフルネスにおいても,それを単なる観想的,瞑想的技法と捉えるのでは不十分である。姿勢をはじめとした「身体」のあり方,使い方にこそマインドフルネスの本質はあり,同時に日本文化との接点もそこにある。本話題提供では,身心一如のソマティック心理学的観点から,歴史的,実践的にマインドフルネスについて論じる。
マインドフルネス姿勢教育の可能性
村上祐介
マインドフルネスの介入は,子どもの認知的パフォーマンスやストレス状態の改善に有効であり(Zenner, Herrnleben-Kurz, & Walach, 2014),その実践の一つである静坐瞑想では,「姿勢を正す」ことで,呼吸の負荷を取り除き,注意力や忍耐といった機能を促進することが期待されている。しかし,ここ数十年の日本では,ライフスタイルの変化や姿勢教育の衰退により,背筋力や体力の低下がもたらされたとする指摘もあり(別所, 2007),「良い姿勢」をいかに維持するかは,例えばマインドフルネス呼吸法を導入する段階において,実践的な課題の一つとなるだろう。
一方,我が国では,立腰教育(森, 1983)に代表されるように,学習場面における心的状態の向上に,姿勢が少なくない役割を担うことが想定されてきた。実際,姿勢を正すことは,他の姿勢や椅子条件との比較から,「生き生きした」意識性やポジティブな気分状態が生じやすく(稲垣他, 2015; Sugamura et al., 2016; 鈴木・春木, 1992),困難なパズル課題への動機づけの低下が生じにくい(Riskind & Gotay, 1982)ことがわかっている。このように,良い姿勢のみでも学習者に肯定的な影響をもたらすが,マインドフルネスの実践は,身体感覚や姿勢への注意を高め,姿勢の機能を維持・向上することにつながる可能性がある。
以上のように,マインドフルネスと良い姿勢を相補的に組み合わせることは,学習場面でより望ましい認知や感情を醸成するための具体的な方途となることが予想される。本発表では,立腰椅子によってサポートされた良い姿勢と,マインドフルネス呼吸法を組み合わせた大学生対象の介入が,呼吸法への印象評価(村上・菅村, 2017)や,講義場面を想定した動画視聴課題に及ぼす影響等について報告する。そして,これらの基礎研究の知見から,教育現場に根ざしやすい観想教育として,マインドフルネス姿勢教育の可能性と課題を論じる。
子どもを対象としたマインドフルネス・プログラムの実践
相馬花恵
虐待をはじめとする幼少時のトラウマ体験は,不健康状態の慢性化(Felitti & Anda, 2010)など,個人の発達に様々な影響を及ぼすことが指摘されており,トラウマを抱えた子どもへの介入は重要かつ急務であるといえる。いっぽう,近年では,子どもを対象としたトラウマ治療の一つとして,マインドフルネス・プログラムを実施する試みがなされている(cf. Jee, Couderc, Swanson, Gallegos, Hilliard, Blumkin, Cunningham, & Heinert, 2015)。虐待などのトラウマを抱えた子どもらの不適応感の改善という視点からも,マインドフルネス・プログラムの今後の展開が期待されているといえよう。
話題提供者は,マインドフルネス・プログラムの中でも,呼吸とともにゆっくりと身体を動かしながら「今ここ」におけるあらゆる経験に受容的な気づきを向けるマインドフルネス・ヨーガに着目し,児童相談センターにおける支援の一つとして,プログラムを実施している。本発表では,主に児童期の子どもを対象としたマインドフルネス・ヨーガ・プログラムに焦点を当て,その実践の様子を報告する。具体的には,まず,児童相談センターにおける本プログラムの実施方法を紹介する。続いて,プログラム実施の際の留意点(環境整備の工夫や,プログラムに抵抗を示す児童らへの対応,など)を報告する。さらに,本プログラムに参加した児童らから得られた感想を踏まえながら,トラウマをはじめ何らかの不適応感を抱える児童を対象に,身体感覚を用いたマインドフルネス・プログラムを行うことの意義について論じていく。
以上の報告をもとに,教育現場におけるマインドフルネス・プログラムの適応可能性を追求する。特に,集団を対象に技法を実施する際の留意点や,限られた時間の中での技法の実施方法,そして,日常生活における技法の活用のためにも欠かせない家庭との連携という点も踏まえながら,論じていきたい。
指定討論
指定討論には,地域実践心理学,臨床心理学の立場から串崎真志氏をお迎えし,各話題提供へのコメントや問題提起を頂く。
付 記
本シンポジウムはJSPS科研費17K13927並びに16K01640の助成を受けたものです。