日本教育心理学会第60回総会

講演情報

ポスター発表

[PB] ポスター発表 PB(01-76)

2018年9月15日(土) 13:00 〜 15:00 D203 (独立館 2階)

在席責任時間 奇数番号13:00~14:00 偶数番号14:00~15:00

[PB07] 自我・自己の分化と心の闇および自立

我が息子の場合

宮野祥雄

キーワード:自我・自己, 心の闇, 自立

問  題
 若者の自我・自己の分化と心の闇および自立における関係性を対象とし,親によるはたらきかけと若者の内面における変化に焦点を合わせ,縦断的に追究した研究論文を検索できなかった。青年心理学の足場に立ち,我が息子の場合の検討を試みる。

方  法
 研究は1997年7月に始め,現在,継続中。対象者は私の息子である。若者の心性の探求はSprangerの了解に則る。

了解的探求
序  
 両親が教員で,保育園・家庭で養育を実施。休日は大手スーパーに出かけて行くことが多く,この時々に保育室を活用していた。月日を経て,前述してきたスーパーのコーナーの遊び場で遊ばせ,3歳から,コーナーでビデオ観賞をさせた。その後,息子はコーナーにあるビデオ・ゲーム(格闘,殺傷系)にはまっていった。息子は年長児の時に下肢麻痺に陥った。玩具,家具,妹などに八つ当たりをし,感情を爆発させた時期もあった。 
 小学校3年次に,自らの意志でサッカーを習い始めた。学業成績は,姉や妹は“上”であり,息子は“中”であった。父親は息子の将来を考え,息子の理解力を考慮の上,息子に偉人伝や科学の本を読み聞かせ,算数などの予習・復習をさせた。母親は自らの苦い体験からか,子に勉強などを強いることはなかった。父親が息子にサッカーの練習をさせようとして,公園に向かうが,途中,息子は公園に行くのを無言で拒み,行きついても,父との練習を無言で拒むということが度々あった。
小学校高学年
 父親が勉強やサッカーの練習を強いると,息子はベランダ(2階)からの飛び降りの企図を行うようになった。息子の,玩具や妹などへの八つ当たりが酷くなりだした。誤ってクラスの女児に怪我をさせてしまったこともある。私は息子を,「僕の気持ちをわかってくれない,もう嫌だ……」という心の状態に追いつめてしまったと思い,息子への態度を改めようとしていった。
 息子に6人の仲のよい友人ができ,そのうちの息子を含む3人を,多摩川の羽村の堰に遊びに誘い,連れて行ったりした。息子はマラソン競争で自己との闘いを展開し,上位に入った。
 息子は前述の友人達の行くという遠方の某中学校に進みたいと主張したが,私は母親を介して,すぐ近くの中学校に進学させた。この時の心境について,息子は「……一緒に遊んでいた友達がほとんど……中に通うと言いだし,自分も……行きたくなった。しかし,母親に話したところ反対されて,……中に通うことになった。当時,その理由にはあまり納得できなかったことを覚えているが,……自分の中で折り合いをつけて通うことにした」と記述。ここでの記述からは,母親の強い影響を受ける,当時の息子の自我と自己がはっきりと認められる。
中学生
 息子は中学に入ると,姉から,モノに当たる,と強く言われだし,家の壁に拳大の穴をあけた。息子の“神”という文字と“刃物”の描画が机の脇の本棚に置かれていた。この頃の息子の言動,態度から「学業成績などを強く期待し,勉強などを押し付けて自由を奪う父親に対して形成されてきた敵意」「私が幾度も耳にした,自らや某高校(偏差値の極めて高い高校)を,神と発する息子の声」「息子のはまってきたゲームにおける殺傷心」「母を慕う心情」の見え隠れする息子の心の闇を,私は感じとり,そこに埋没する息子の屈折した自我・自己を推察した。
私は息子への直接の口出しを我慢し,息子を見守るようにした。
 息子は,中学入学4か月後の期末テストで10番以内(学年)に入った。我が家の入り口で見かける息子の級友や部活の友達が増えた。休日,小学校時代に習っていたサッカーの後輩のサポートにも参加するようになっていった。男子マラソンで3位になり,学年末テストで学年トップになった。こういった息子に,私は,息子への圧力的はたらきかけを抑制していったということや学校生活への息子の適応が強く作用し,息子の自我・自己から屈折した部分が減退していった,と思うようになった。
 息子は中学2年になり,学級・学年委員,サッカー部のキャプテン,生徒会の副会長に推薦されてなった。学業成績は“上(学年)”を維持し,男子マラソンにおいては自己との闘いを展開し,トップをとった。卒業式の答辞も読んでいた。遡るが,息子の進学する公立高校を決めるとき,私は某公立高校(旧学区内の偏差値トップ校)を勧めたが,息子は自分の意志で別の某公立高校(旧学区外)を受験し,合格(後に入学)。  
 追って示す,この受験についての息子の記述を総合すると,次に述べる事柄が明らかである。息子は自立意識に駆られ,父親が受験を勧める高校を参観の上で否定。部活の先輩や中学校の先生の意見を聞き,自立的,積極的に進路の問題に取り組み,進学。“偏差値”に重みを置く父親の教育観に懐疑的となった。言及した,高校受験時についての息子の記述を次に列挙する。
 「……高校受験の頃には,自分の行きたい高校を選択したいという欲求が強まっていた。……自身の人生について自分なりに考え判断していきたいという想いが生じていた……」「母親は都立高校であれば……構わないという……が,父親はある程度偏差値が高く学習環境の整っている……高校がよいという……。私は……高校の文化祭を見にいったが,どうも雰囲気が自分に合わなかった……。……部の先輩や……先生に相談したところ,……高校は生徒たちが自由な雰囲気の中であれこれ判断して生活する環境であると聴き,興味を持った。すぐに参観に行き,……高校に通いたいと思うようになった。……推薦合格に必要な成績になるまで努力した。その過程で,……,自分で決断するという意志が固まっていった。……高校がよいとする父親の考えに疑問を抱き,批判的な感情を持ちながら,偏差値よりも大事なものについて真剣に考えるようになった」。
高校生・大学生・大学院生 
 高校へ進み,居酒屋でアルバイトをしたり,友達の家に泊めてもらったりした。息子の高校生活については,母親を介して参考意見を言う程度で,息子を見守っていった。
 追って取りあげる息子の記述を総合し,息子の心の闇の,健全な方向へと発達・成長しつつある自立的な自我要求や自己追求課題,これらにおける強い追求心を読み取った。
 「アルバイトをすることは周囲(受験に留意する先生他)……には反対されたが,どうしても働いてみたかった。……異なる立場・環境で,様々な人たちと関わることで自己コントロール力を形成していくことを望んでいた……。……進学したかったため2学次の終わりころからバイトの時間を減らして勉強するようになった」「高校3年の4月には……。……父親と母親の間に教育方針の違いを感じ……悩むようになった。……家庭というくくりでは無く……父親と母親……教育観を相対化し……自分がどのような意見を持っているのかを考えるように……。私は教育者ないし教育学研究者になりたいと考えていた……どのような教育観や意見を持つかは非常に大きな関心事であった」「……一度親元を離れて人生の方針や教育意見について納得するまで考える必要性を感じていた……」。
 国立大2次試験・後期で合格,大学に入学。アルバイトをし,旅行に行き,学業生活を送り,大学を卒業。大学院に進学した。 
 息子(現在,大学院生)に本論文を読んでもらい,本論文および息子の記述文章の本総会発表について,息子の確認を得た。