[PH27] 「意味の行為」の視点からナラティヴ・メディエーションを考察する
キーワード:意味の行為, ナラティヴ, メディエーション
はじめに
諍いや対立など対他関係において生じたトラブルの修復を援助する技法の一つとして「ナラティヴ・メディエーション(narrative mediation)」と呼ばれる考え方が注目されている。このアプローチの特徴は, 対他関係におけるトラブルの発生を個人の人格特性に帰属させるのではなく, 個人を取り巻く社会・文化・歴史的関係に帰属させる部分にある。この背景には, 個の言明を当人の人格に基礎づけられたものとみなすのではなく, 当の言明を妥当なものとみなす社会・文化・歴史的関係に基礎づけられたものとみなす考え方がある。
この際, 個の言明の背後に仮定され, 当の言明の妥当性を担保する言語使用の社会・文化・歴史的な体系は「ディスコース(discourse)」と呼ばれ, 個の言明はこのディスコース空間からの引用とみなされることになる。
こうした考え方を採用することによって, 対他関係において生じたトラブルの修復を, 個人の問題ではなく, 社会的関係の問題としてマネジメントすることがナラティヴ・メディエーションの目指すところとなる。この際, 修復という言葉によって指示される対象は関係である。すなわち, トラブルに巻き込まれている当事者相互の認識のズレを共有可能なものにし, 関係修復への橋渡しをすることが目指される。
研究目的
本研究の目的は, 以上に要約されるナラティヴ・メディエーションの考え方を, ナラティヴ心理学の主唱者の一人であるJerome Brunerの「意味の行為(acts of meaning)」(Bruner, 1990)の視点から理論的に整理し直し, 学校臨床における教師によるコンフリクト・マネジメントの事例と重ねながら考察することにある。
Brunerの「意味の行為」
Bruner(1990)の「意味の行為」は, 以下の定義によって示すことのできる人間の行為である。
「意味の行為」とは, 常識や前提, 通例性の破壊として定義することのできるトラブルに対した精神が, 当の不測の事態を理解可能にし, 平静を取り戻すことを可能にするような意味のコンテクストを探索する行為を指す(横山, 2018)。この行為は, 我々の生活世界で生じる様々な出来事についての理解を, 複数の可能性のコンテクストの中に位置づけ直すことによって達成しようとする試みとして再定義することができる。
本研究では, Brunerの「意味の行為」についての上述の定式を, 対他関係において生じたトラブルの修復という文脈に応用する。すなわち, 対等な立場関係にある主体同士の間に生じた物事の理解の仕方をめぐるズレを, 各々が参照した意味のコンテクストを認めつつも, 相互に了解可能な意味の地平を探索していくプロセスとして位置づけ直す。このプロセスが社会的なやりとりの中でどのように進行していくのかが本研究における主たる関心事である。
方 法
都内の私立小学校の1年生の学級において201X年の4月から7月まで, 友達同士のトラブルについて教員が仲介に入ったケースを本研究の検討事例として抽出した。事例の分析にあたっては個人情報の保護を目的として, 固有名についてはすべて仮名を用いるなど倫理的配慮を行っている。
結果と考察
我々が関わりを持つ他者との間で, 物事についての理解の仕方が異なった時, 理解のズレを調整する仕方には少なくとも2つの方向性を想定することができる。1つ目の方向性は, 一方が自らの理解に固執することを諦め, 他方の理解に合わせることによってズレの調整を図る場合である。この場合, 一方の理解は妥当なものとして維持されることになるが, 他方の理解は相手に合わせて変更することを余儀なくされる。2つ目の方向性は, 双方が互いに相手の理解を引き受けつつ, 新たに共有可能な理解の地平を生成することによってズレの調整を図る場合である。この際, 双方の理解が十全に維持されつつ和合に至った場合には協調的な調整となり, 双方の理解が部分的な譲歩を必要としつつ和合に至った場合には妥協的な調整となる。
文 献
Bruner, J. S. (1990). Acts of meaning. Cambridge, MA: Harvard University Press.
横山草介 (2018). 「意味の行為」とは何であったか?―― J. S. ブルーナーと精神の混乱と修復のダイナミズム. 質的心理学研究, 17, 205-225.
諍いや対立など対他関係において生じたトラブルの修復を援助する技法の一つとして「ナラティヴ・メディエーション(narrative mediation)」と呼ばれる考え方が注目されている。このアプローチの特徴は, 対他関係におけるトラブルの発生を個人の人格特性に帰属させるのではなく, 個人を取り巻く社会・文化・歴史的関係に帰属させる部分にある。この背景には, 個の言明を当人の人格に基礎づけられたものとみなすのではなく, 当の言明を妥当なものとみなす社会・文化・歴史的関係に基礎づけられたものとみなす考え方がある。
この際, 個の言明の背後に仮定され, 当の言明の妥当性を担保する言語使用の社会・文化・歴史的な体系は「ディスコース(discourse)」と呼ばれ, 個の言明はこのディスコース空間からの引用とみなされることになる。
こうした考え方を採用することによって, 対他関係において生じたトラブルの修復を, 個人の問題ではなく, 社会的関係の問題としてマネジメントすることがナラティヴ・メディエーションの目指すところとなる。この際, 修復という言葉によって指示される対象は関係である。すなわち, トラブルに巻き込まれている当事者相互の認識のズレを共有可能なものにし, 関係修復への橋渡しをすることが目指される。
研究目的
本研究の目的は, 以上に要約されるナラティヴ・メディエーションの考え方を, ナラティヴ心理学の主唱者の一人であるJerome Brunerの「意味の行為(acts of meaning)」(Bruner, 1990)の視点から理論的に整理し直し, 学校臨床における教師によるコンフリクト・マネジメントの事例と重ねながら考察することにある。
Brunerの「意味の行為」
Bruner(1990)の「意味の行為」は, 以下の定義によって示すことのできる人間の行為である。
「意味の行為」とは, 常識や前提, 通例性の破壊として定義することのできるトラブルに対した精神が, 当の不測の事態を理解可能にし, 平静を取り戻すことを可能にするような意味のコンテクストを探索する行為を指す(横山, 2018)。この行為は, 我々の生活世界で生じる様々な出来事についての理解を, 複数の可能性のコンテクストの中に位置づけ直すことによって達成しようとする試みとして再定義することができる。
本研究では, Brunerの「意味の行為」についての上述の定式を, 対他関係において生じたトラブルの修復という文脈に応用する。すなわち, 対等な立場関係にある主体同士の間に生じた物事の理解の仕方をめぐるズレを, 各々が参照した意味のコンテクストを認めつつも, 相互に了解可能な意味の地平を探索していくプロセスとして位置づけ直す。このプロセスが社会的なやりとりの中でどのように進行していくのかが本研究における主たる関心事である。
方 法
都内の私立小学校の1年生の学級において201X年の4月から7月まで, 友達同士のトラブルについて教員が仲介に入ったケースを本研究の検討事例として抽出した。事例の分析にあたっては個人情報の保護を目的として, 固有名についてはすべて仮名を用いるなど倫理的配慮を行っている。
結果と考察
我々が関わりを持つ他者との間で, 物事についての理解の仕方が異なった時, 理解のズレを調整する仕方には少なくとも2つの方向性を想定することができる。1つ目の方向性は, 一方が自らの理解に固執することを諦め, 他方の理解に合わせることによってズレの調整を図る場合である。この場合, 一方の理解は妥当なものとして維持されることになるが, 他方の理解は相手に合わせて変更することを余儀なくされる。2つ目の方向性は, 双方が互いに相手の理解を引き受けつつ, 新たに共有可能な理解の地平を生成することによってズレの調整を図る場合である。この際, 双方の理解が十全に維持されつつ和合に至った場合には協調的な調整となり, 双方の理解が部分的な譲歩を必要としつつ和合に至った場合には妥協的な調整となる。
文 献
Bruner, J. S. (1990). Acts of meaning. Cambridge, MA: Harvard University Press.
横山草介 (2018). 「意味の行為」とは何であったか?―― J. S. ブルーナーと精神の混乱と修復のダイナミズム. 質的心理学研究, 17, 205-225.