[PA07] 精神的自立の過渡期に心の闇の原型を乗り越えつつ自立の道を歩む若者
我が息子の場合
キーワード:心の闇の原型、キャリア、シュプランガーの了解
問 題
心の闇を有する若者による家族の殺傷や,心の奥底での家族の置き換えによる無差別的殺傷,これらの心の闇を引きずっての殺傷など,精神的自立の過渡期に生じる心の深い闇を有する事件が後を絶たない。心の闇のかかわる現象についての研究や言及は数多く検索できるが,精神的自立の過渡期に生じる心の闇という視点に立つ心理学研究,この心の闇や,この闇を乗り越える“キャリア(どう生きていくか)”についてのSprangerの了解に則った研究は,私の研究以外のものは皆無である。
私はSprangerの青年期の理論やSprangerの了解に則った私の研究事例(宮野,2006a,2007a,2008b:日本教育心理学会総会,2007b:日本カウンセリング学会大会,2008a:日本心理学会大会)などにおいて自我の確立に根差す精神的自立の過渡期の心の闇の原型(程度の差はあろうが,自我の要求が充たされず,時として自我に没入・埋没し,緊張や不安,内外に対する懐疑や不信に陥り,動揺しての状態)を大抵の若者が乗り越えつつ自立成長をしていく,ということを読み取ってきた。この心の闇を,家族への殺意や自殺念慮,厭世観などの心の深い闇と区別し,前述した読み取りの下に仮説案(我が国における大抵の若者が精神的自立的に“キャリア”を模索し,価値を認める対象に揺さぶられながらも“心の闇の原型”を乗り越えつつ自立への道を歩む)を構築し,若者の事例として私の息子を取りあげて検討を試みる。紙面を改めて,前述してきた心の深い闇の探求にあたる。
方 法
“問題”において述べたとおり,仮説案を構築した。若者の事例として息子を取りあげ,息子の手記を,了解的探求の根幹的資料とし,息子と私のやり取りをもとにSprangerの了解に則り,仮説案の検討を試みる。息子についての研究は,息子の精神的自立の過渡期に先駆けて1997年7月より継続し,2019年3月(息子は27歳)に至る。本報告は,宮野(2018a:日本教育心理学会総会,2018b:日本カウンセリング学会大会,2018c:日本心理学会大会)の研究を総合の上,研究し直したものである。
本研究の対象である家族に本論文投稿の確認を得た。
了解的探求
息子の“心の闇の原型”の生じる機序 息子の小学校5年の中頃から,それまで息子の勉強やサッカー練習などに圧力的だった私を深く反省し,息子を見守ってきたが,中学校3年次の息子に,進学先について私は某高校名を口にしてしまった。息子は,この高校に参観に行ったが,僕には雰囲気が合わないなどと言い出した。この時の息子の心境を,息子の記述した資料を基に言及する。
資料の「…(省略)…自分の行きたい高校を選択したいという欲求が強まっていた。その背景には上記③(中学時代に教師に叱られ,諭されたこと)などの経験から,自身の人生について自分なりに考え判断していきたいという想いが生じていた…(省略)…。…(省略)…,自分で決断するという意志が固まっていった。…(省略)…高校がよいとする父親の考えに疑問を抱き,批判的な感情を持ちながら,偏差値よりも大事なものについて真剣に考えるようになった」からは自立意識に駆られ,“キャリア”に留意し,“偏差値”に重みを置く私の教育観に懐疑的・批判的となっていく息子が明らかである。 “心の闇の原型”の乗り越えの機序 息子の高校生活に,母親を介して参考意見を言う程度で息子を見守っていった。息子の記述した資料に「アルバイトをすることは周囲の人々には反対されたが,どうしても働いてみたかった。今振り返ると,それまでとは異なる立場・環境で,様々な人たちと関わることで自己コントロール力を形成していくことを望んでいた…(省略)…大学には進学したかったため2学次の終わりころからバイトの時間を減らして勉強するようになった。…(省略)…」と,ある。本資料から息子の発達する精神的自立性や“キャリア”観を読み取った。息子は目指す国立大学を不合格となった。私は,浪人することを息子に勧めた。息子は某私大に合格し,ここで頑張ってよい成果を出せばよいのではないか,と言ったが,息子への私の進言は変わらなかった。母親は,息子に浪人はさせない,合格した大学での勉強の意義を感じないのなら働けと,頑なに主張した。この後,息子は国立大学の後期試験に合格し,入学した。前述してきた進路をめぐる息子の苦悩について息子が記述した資料を基に言及する。
「…(省略)…父親と母親の間に教育方針の違いを感じるようになり,そのことに悩むようになった。…(省略)…両者(父親と母親)の教育観を相対化しつつ,一方で自分がどのような意見を持っているのかを考えるようになった。私は教育者ないし教育学研究者になりたいと考えていた…(省略)…どのような教育観や意見を持つかは非常に大きな関心事であった。…(省略)…第一志望大学は不合格になり,…(省略)…。もちろん挫折を味わったが,一度親元を離れて人生の方針や教育意見について納得するまで考える必要性を感じていたため,受験結果を積極的に受け止めた。」から,息子の自立的な自我要求や自己追求課題,これらにおける息子の強い追求心および,“キャリア”観の根幹にあたる事柄を読み取った。その後も息子は,親による進路についての説得などに揺れながらも“心の闇の原型”の根幹部分にあたる“キャリア”や進路の問題の解決に精神的自立的に取り組み,“心の闇の原型”を乗り越えつつ,大学に進学していった。息子についての以上の事柄をもって“心の闇の原型”についての仮説案が当を得ていると判断し,これらの案を仮説として提案する。
引用文献
Spranger,E.(1963).Psychologie des Jugendalters 27 Aufl, Heidelberg : Quelle & Meyer.(シュプランガー,E.原田 茂訳(1973).青年の心理 共同出版,5-45,331-333.)ほか.
心の闇を有する若者による家族の殺傷や,心の奥底での家族の置き換えによる無差別的殺傷,これらの心の闇を引きずっての殺傷など,精神的自立の過渡期に生じる心の深い闇を有する事件が後を絶たない。心の闇のかかわる現象についての研究や言及は数多く検索できるが,精神的自立の過渡期に生じる心の闇という視点に立つ心理学研究,この心の闇や,この闇を乗り越える“キャリア(どう生きていくか)”についてのSprangerの了解に則った研究は,私の研究以外のものは皆無である。
私はSprangerの青年期の理論やSprangerの了解に則った私の研究事例(宮野,2006a,2007a,2008b:日本教育心理学会総会,2007b:日本カウンセリング学会大会,2008a:日本心理学会大会)などにおいて自我の確立に根差す精神的自立の過渡期の心の闇の原型(程度の差はあろうが,自我の要求が充たされず,時として自我に没入・埋没し,緊張や不安,内外に対する懐疑や不信に陥り,動揺しての状態)を大抵の若者が乗り越えつつ自立成長をしていく,ということを読み取ってきた。この心の闇を,家族への殺意や自殺念慮,厭世観などの心の深い闇と区別し,前述した読み取りの下に仮説案(我が国における大抵の若者が精神的自立的に“キャリア”を模索し,価値を認める対象に揺さぶられながらも“心の闇の原型”を乗り越えつつ自立への道を歩む)を構築し,若者の事例として私の息子を取りあげて検討を試みる。紙面を改めて,前述してきた心の深い闇の探求にあたる。
方 法
“問題”において述べたとおり,仮説案を構築した。若者の事例として息子を取りあげ,息子の手記を,了解的探求の根幹的資料とし,息子と私のやり取りをもとにSprangerの了解に則り,仮説案の検討を試みる。息子についての研究は,息子の精神的自立の過渡期に先駆けて1997年7月より継続し,2019年3月(息子は27歳)に至る。本報告は,宮野(2018a:日本教育心理学会総会,2018b:日本カウンセリング学会大会,2018c:日本心理学会大会)の研究を総合の上,研究し直したものである。
本研究の対象である家族に本論文投稿の確認を得た。
了解的探求
息子の“心の闇の原型”の生じる機序 息子の小学校5年の中頃から,それまで息子の勉強やサッカー練習などに圧力的だった私を深く反省し,息子を見守ってきたが,中学校3年次の息子に,進学先について私は某高校名を口にしてしまった。息子は,この高校に参観に行ったが,僕には雰囲気が合わないなどと言い出した。この時の息子の心境を,息子の記述した資料を基に言及する。
資料の「…(省略)…自分の行きたい高校を選択したいという欲求が強まっていた。その背景には上記③(中学時代に教師に叱られ,諭されたこと)などの経験から,自身の人生について自分なりに考え判断していきたいという想いが生じていた…(省略)…。…(省略)…,自分で決断するという意志が固まっていった。…(省略)…高校がよいとする父親の考えに疑問を抱き,批判的な感情を持ちながら,偏差値よりも大事なものについて真剣に考えるようになった」からは自立意識に駆られ,“キャリア”に留意し,“偏差値”に重みを置く私の教育観に懐疑的・批判的となっていく息子が明らかである。 “心の闇の原型”の乗り越えの機序 息子の高校生活に,母親を介して参考意見を言う程度で息子を見守っていった。息子の記述した資料に「アルバイトをすることは周囲の人々には反対されたが,どうしても働いてみたかった。今振り返ると,それまでとは異なる立場・環境で,様々な人たちと関わることで自己コントロール力を形成していくことを望んでいた…(省略)…大学には進学したかったため2学次の終わりころからバイトの時間を減らして勉強するようになった。…(省略)…」と,ある。本資料から息子の発達する精神的自立性や“キャリア”観を読み取った。息子は目指す国立大学を不合格となった。私は,浪人することを息子に勧めた。息子は某私大に合格し,ここで頑張ってよい成果を出せばよいのではないか,と言ったが,息子への私の進言は変わらなかった。母親は,息子に浪人はさせない,合格した大学での勉強の意義を感じないのなら働けと,頑なに主張した。この後,息子は国立大学の後期試験に合格し,入学した。前述してきた進路をめぐる息子の苦悩について息子が記述した資料を基に言及する。
「…(省略)…父親と母親の間に教育方針の違いを感じるようになり,そのことに悩むようになった。…(省略)…両者(父親と母親)の教育観を相対化しつつ,一方で自分がどのような意見を持っているのかを考えるようになった。私は教育者ないし教育学研究者になりたいと考えていた…(省略)…どのような教育観や意見を持つかは非常に大きな関心事であった。…(省略)…第一志望大学は不合格になり,…(省略)…。もちろん挫折を味わったが,一度親元を離れて人生の方針や教育意見について納得するまで考える必要性を感じていたため,受験結果を積極的に受け止めた。」から,息子の自立的な自我要求や自己追求課題,これらにおける息子の強い追求心および,“キャリア”観の根幹にあたる事柄を読み取った。その後も息子は,親による進路についての説得などに揺れながらも“心の闇の原型”の根幹部分にあたる“キャリア”や進路の問題の解決に精神的自立的に取り組み,“心の闇の原型”を乗り越えつつ,大学に進学していった。息子についての以上の事柄をもって“心の闇の原型”についての仮説案が当を得ていると判断し,これらの案を仮説として提案する。
引用文献
Spranger,E.(1963).Psychologie des Jugendalters 27 Aufl, Heidelberg : Quelle & Meyer.(シュプランガー,E.原田 茂訳(1973).青年の心理 共同出版,5-45,331-333.)ほか.