日本地質学会第128年学術大会

講演情報

口頭発表

R19[レギュラー]応用地質学一般およびノンテクトニック構造

[1ch214-18] R19[レギュラー]応用地質学一般およびノンテクトニック構造

2021年9月4日(土) 14:30 〜 15:45 第2 (第2)

座長:山崎 新太郎、西山 賢一

14:45 〜 15:00

[R19-O-2] 1946年昭和南海地震で発生した和歌山県田辺市本宮町の岩盤崩壊

*西山 賢一1、後 誠介2 (1. 徳島大学大学院社会産業理工学研究部、2. 和歌山大学紀伊半島価値共創基幹災害科学・レジリエンス共創センター)

キーワード:岩盤崩壊、昭和南海地震

研究目的:南海トラフを震源として過去に発生した巨大地震では,しばしば山地斜面で大規模な斜面崩壊・地すべりが発生してきたことが知られており,1707年宝永地震で発生したとされる高知県室戸市の加奈木崩れや,静岡市の大谷崩がその代表例である.一方,歴代の南海地震の中ではやや規模が小さかったと考えられている1946年昭和南海地震時に発生した斜面崩壊・地すべりの事例はほとんど知られていなかった.今回筆者らは,南海トラフ巨大地震の影響をこれまでにも受けてきた和歌山県を対象に,郷土誌から,1946年昭和南海地震時に発生したとの目撃証言のある事例を見出し,現地調査によってその崩壊の実態把握を試みたので報告する.
災害記録:1946年昭和南海地震時に,和歌山県田辺市本宮町にある川湯温泉街で岩盤崩壊が発生したとの目撃証言がある(小渕,2002).著者は川湯温泉の老舗温泉旅館の経営者であり,地震発生時(1946年12月21日午前4時20分頃),川湯温泉の建物から飛び出して大塔川の河原に避難した.その際の証言は以下の通りである:外に出ようとした時,大風でも吹くようなザーという轟音がした.これは,川湯温泉背後斜面の稜線にある無社殿の祠「鉾島(ホコジマ)」付近の岩が崩れ落ちたものであった.
地形・地質調査:上記の目撃証言をもとに,川湯温泉背後斜面の地形・地質調査を行った.紀伊半島中部の田辺市本宮地域は古第三系四万十帯堆積岩類が広く分布し,一部に中期中新世の貫入岩体が分布する.四万十帯からなる山地斜面には,比較的多くの地すべり地形も分布する.崩壊発生源との証言がある無社殿の祠「鉾島」付近(標高約300m)は丘陵頂部の稜線直下にあたり,四万十帯の礫岩~礫質砂岩(径数cm程度の亜円~円礫)が分布し,しばしば比高10mにも達するトアを形成している.トアの直下には,最大径3mを超えるような巨大な落石ブロックが散在する.一方,崩壊発生源の下方にあたる大塔川河床(標高約60m)にも,径2mを超える落石ブロックが認められる.地元住民への聞き取り結果では,これらの巨岩も1946年南海地震時に崩壊したものであり,崩壊後,船が川湯温泉街に付けられなくなったため,一部は火薬で爆破処理したとのことである.
結果と考察:以上の結果から,1946年昭和南海地震で発生した川湯温泉の岩盤崩壊は,最大で比高10m程度の礫岩からなる稜線のトアが大きく崩壊したものであり,巨岩はトア下方の谷を転動して大塔川河床に達し,河床部分にも径2m程度の岩塊が多数堆積したことが判明した.
 当地域を含む田辺市本宮地域には,主に四万十帯よりなる斜面に地すべり地形が多く分布しており,2011年台風12号豪雨では斜面崩壊も多く発生した.一方,今回検討した1946年昭和南海地震での岩盤崩壊発生地点は,この種の地すべり地形ではなく,河床からの比高250m程度の比較的細長い稜線頂部のトアで発生した.このことは,記録的豪雨と大地震時における崩壊発生地点の地形・地質的差異を検討するうえで興味深い結果と言える.
文献:小渕ルリヱ(2002)川湯温泉覚書(一),熊野誌,48,75-85.