日本地質学会第128年学術大会

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口頭発表

T6.[トピック]災害多発時代における学術資料・標本散逸問題―大学・博物館は何をすべきか−

[3ch414-18] T6.[トピック]災害多発時代における学術資料・標本散逸問題―大学・博物館は何をすべきか−

2021年9月6日(月) 14:15 〜 15:45 第4 (第4)

座長:堀 利栄、小宮 剛

14:15 〜 14:45

[T6-O-1] (招待講演)自然史標本と自然史博物館について考えていること3つ

*大路 樹生1 (1. 名古屋大学博物館)

私は従来より自身の古生物学の研究のため、日本、海外の多数の博物館を訪れ、その標本を扱ってきた。また私は2010年に大学博物館に移って以来、化石標本の保管と登録にも従事してきた。このシンポジウムでは以下の3点に関し私が標本と博物館について考えるところを述べたいと思う。

1.博物館の標本は使える状態になっているべきである。退職する教員の責任は大きい。
 大学を退職する教員が自分の研究したサンプルを博物館に寄贈する、というケースが良くある。その際博物館は原則として、サンプルそれぞれにラベルが付いていて、産地やその化石や岩石の名称が分かることが受け入れの最低条件である。また一連のサンプルを保管するのであれば、リストも必要である。ラベルとリストが付いていない資料を博物館が引き受けてしまうと、その資料を使えるようにするために、とてつもない労力が必要となってしまうケースもある。従って、見た目でどれだけ大事なサンプルのように見えても、ラベルとリストのない資料は使うことが困難で博物館に引き取ってもらえない。また退職する教員は自分の標本を残したいと思うならば自身がラベルとリストを準備し、将来その標本が活かされるような対処をすべきである。

2.「愛知県に自然史博物館を!協議会」
 沖縄に国立自然史博物館を設立する運動が行われ、沖縄県も積極的にこの計画を支援しているが、私はこの5年ほど、愛知県で自然史博物館の設立を目指す活動を協力者とともにボランティア的に進めている。この協議会には愛知県の動植物学や鉱物学の研究者も参加されている。日本の都道府県中で県立博物館を持たないのは愛知県が唯一である。学術会議から以前「文化の核となる自然系博物館の確立を目指して」という提言が出されたが、愛知県に県立の自然史博物館を作ることによってこの地の研究活動を活発化させ、また次世代へ自然史科学の重要性を伝える拠点を置くことになる。我々はこの提言の大村知事への申し入れを行い、有力議員の協力等もあり、徐々にではあるが活動は前進している。その活動の紹介をしたい。

3.自然史標本の意味
 自然史標本は色々な意味を持っている。例えば過去のある地域の動植物群のコレクションと現在・未来の動植物群を比べて、その地域の動植物相の歴史的変遷を把握したり、多様性の変動、絶滅を議論できる。また動植物や化石では「模式標本」という学名を付けるもととなった標本を特に重要視し、博物館等の施設で保管し、研究者の希望があれば公開することが義務付けられている。このように自然史標本の保管が重要なことは言を俟たない。
 しかしだからと言って、自然史標本を何が何でも保管すべきであるという立場に私は立たない。これらを使って今後何を研究できるのかを考えるべきである。図書館の図書のようにいずれかはそれが利用されるかもしれないので、全て取っておくべきであるとすれば、博物館の収蔵庫はすぐに満杯になってしまうだろう。
 過去に標本を用いた研究があったとする。それをもう一度検証して新たな考えを提唱する際に、その過去の標本に再度当たってもよいが、むしろ大事なことはその提唱された考えが果たして正しいのかどうかを検証することだろう。その際は新たに(別の種でもよい)標本を集め直し、その自分のデータに基づいて議論することも多い。必ずしも同じ標本(群)に基づいて議論する必要はないのである。サイエンスにおける標本の持つ意味とは、それ自体が重要というより、そこから得られる普遍的な価値、一般性をもつ結論が導き出されるかどうかが重要である。すなわち過去に研究された資料標本は、その当時の結論を引き出すのに使われた重要な材料であるが、標本自体に意味があるのではなく、そこからどのような研究を行ってどのような一般性のある結論を導き出すのかによって意味が異なってくる。