16:00 〜 18:30
[R21-P-1] 古倶知安湖の検証:北海道倶知安町の上部更新統真狩別層の層序
キーワード:古倶知安湖、上部更新統、真狩別層、層序
はじめに 蝦夷富士とも称される羊蹄山(標高1,898 m)の周辺では,古くから淡水生珪藻土の分布が報告されている(河島・素木,1941など).既存報告から,更新世の時代の異なる2つの湖が存在した可能性があり,新しい湖(古倶知安湖)は上部更新統の真狩別層堆積時である.形成時代などを検証するために,放射性炭素年代(以下,14C年代)測定と火山灰,花粉および珪藻の分析を行った.
地質露頭と試料 調査した地質露頭はG-1,G-2,G-3およびG-4である.G-1は嵯峨山ほか(2020)で報告された倶知安町市街の約3 km南の露頭で,14C年代測定用の試料KC-1(木片)はスコリア(層厚40 cm)直上の泥炭から採取した.G-2は尻別川左岸に位置し,全体の厚さは約4.5 mで,下位より砂礫,泥炭および粘土がほぼ一連に堆積し,それらを不整合で氾濫原堆積物の砂礫が覆う.14C年代測定の試料KC-2(木片)は上記泥炭から採取した.粘土から花粉分析用試料のP20-1,P20-2およびP20-3を,珪藻分析の試料D19-1とD19-2をそれぞれ採取した.G-3はポンクトサン川左岸に位置する露頭で,標高は約210 mである.下位より厚さ約1.5 mの凝灰質粘土,スコリア薄層を挟在する厚さ1.85 mの泥炭,厚さ約3 mの軽石質砂・細砂互層が累重する.粘土から珪藻分析用試料D20-1を,泥炭のほぼ中央部から14C年代測定の試料KC-3(木片)と花粉分析用試料のP20-5をそれぞれ採取した.G-4は羊蹄山北麓に位置し,露頭G-1の1.2 km東方の土取場で,作業広場面の標高は199 mである.火山灰と軽石からなり,斜層理を呈する堆積物で,層厚は約15 mである.火山灰分析用試料は作業広場面より約1 m上で採取した.
測定・分析の結果と考察 14C年代測定値(1σ range)は露頭G-1のKC-1(採取標高178.3 m)で45,750-45,000 cal BP(42,042±385 yr BP),露頭G-2のKC-2(採取標高169 m)で48,050-46,750 cal BP(44,175±472 yr BP),露頭G-3のKC-3(採取標高208.9 m)で44,500-43,750 cal BP(40,578±336 yr BP)が得られた.火山灰分析では露頭G-4の試料は火山ガラスがほぼ80 %を占め,起原は支笏軽石流堆積物(Spfl;支笏火砕流)の可能性が高い.花粉分析では下位よりA帯はPiceaが74 %,Abiesが24 %で,B帯はPiceaが84~85 %で,AlnusとBetulaを伴う.C帯はPiceaが29~48 %で,CYPERACEAEが8~35%の出現となり,D帯ではPiceaが48~86 %,E帯ではPiceaが57%で,Pinus(Hap.),Larix,Quercusを伴い CYPERACEAEが14 %出現する.14C年代値から得られた約3,280年間は冷涼な環境が続いたと推定される.珪藻分析では,露頭G-2の粘土からは湖沼沼沢湿地指標種群の浮遊性淡水生種Aulacoseira ambigua (Grun.) Simonsenが多産する.堆積環境はCyclotella comta (Ehr.) Kützが多く産したG-1の縞状堆積物と同様に流れの静かな湖沼と考えられ,G-2からG-1にかけてはほぼ一連の堆積環境であったと推定される.一方,露頭G-3の粘土からは浮遊性は少なく,ほとんどが付着性淡水生種で,流れのある堆積環境が想像される. 上澤・中川(2009)は羊蹄山西麓に分布する羊蹄岩屑なだれ堆積物は支笏火砕流(約4.1万年前)の後に形成されたと述べている.更に上澤ほか(2016)は,約5万年前に始まった羊蹄山の火山活動では2回の山体崩壊が発生し,古い方は約3.8万年前としている.今回の検討では,最も古い14C年代値は露頭G-2の湖沼性堆積物直下の泥炭が約47,400 cal BPで,古倶知安湖の形成開始はこれ以前の時代と推定される.このため,羊蹄山の崩壊(約3.8万年前)は古倶知安湖出現の原因とは考えられず,他の地質現象を考える必要がある.なお,中川・星住(2010)では,「岩屑なだれ堆積物を支笏火砕流が覆う」としているが,上澤・中川(2009)に従えば正しくは「岩屑なだれ堆積物が支笏火砕流を覆う」である.
文献 河島千尋・素木洋一(1941)大日本窯業協會雑誌,49,209-222.中川光弘・星住リベカ(2010)日本地方地質誌1「北海道地方」,朝倉書店,302-303.嵯峨山 積ほか(2020)総合地質,4,1-7.上澤真平・中川光弘(2009)日本火山学会講演要旨集,42.上澤真平ほか(2016)日本地質学会第123年学術大会講演要旨,65.
地質露頭と試料 調査した地質露頭はG-1,G-2,G-3およびG-4である.G-1は嵯峨山ほか(2020)で報告された倶知安町市街の約3 km南の露頭で,14C年代測定用の試料KC-1(木片)はスコリア(層厚40 cm)直上の泥炭から採取した.G-2は尻別川左岸に位置し,全体の厚さは約4.5 mで,下位より砂礫,泥炭および粘土がほぼ一連に堆積し,それらを不整合で氾濫原堆積物の砂礫が覆う.14C年代測定の試料KC-2(木片)は上記泥炭から採取した.粘土から花粉分析用試料のP20-1,P20-2およびP20-3を,珪藻分析の試料D19-1とD19-2をそれぞれ採取した.G-3はポンクトサン川左岸に位置する露頭で,標高は約210 mである.下位より厚さ約1.5 mの凝灰質粘土,スコリア薄層を挟在する厚さ1.85 mの泥炭,厚さ約3 mの軽石質砂・細砂互層が累重する.粘土から珪藻分析用試料D20-1を,泥炭のほぼ中央部から14C年代測定の試料KC-3(木片)と花粉分析用試料のP20-5をそれぞれ採取した.G-4は羊蹄山北麓に位置し,露頭G-1の1.2 km東方の土取場で,作業広場面の標高は199 mである.火山灰と軽石からなり,斜層理を呈する堆積物で,層厚は約15 mである.火山灰分析用試料は作業広場面より約1 m上で採取した.
測定・分析の結果と考察 14C年代測定値(1σ range)は露頭G-1のKC-1(採取標高178.3 m)で45,750-45,000 cal BP(42,042±385 yr BP),露頭G-2のKC-2(採取標高169 m)で48,050-46,750 cal BP(44,175±472 yr BP),露頭G-3のKC-3(採取標高208.9 m)で44,500-43,750 cal BP(40,578±336 yr BP)が得られた.火山灰分析では露頭G-4の試料は火山ガラスがほぼ80 %を占め,起原は支笏軽石流堆積物(Spfl;支笏火砕流)の可能性が高い.花粉分析では下位よりA帯はPiceaが74 %,Abiesが24 %で,B帯はPiceaが84~85 %で,AlnusとBetulaを伴う.C帯はPiceaが29~48 %で,CYPERACEAEが8~35%の出現となり,D帯ではPiceaが48~86 %,E帯ではPiceaが57%で,Pinus(Hap.),Larix,Quercusを伴い CYPERACEAEが14 %出現する.14C年代値から得られた約3,280年間は冷涼な環境が続いたと推定される.珪藻分析では,露頭G-2の粘土からは湖沼沼沢湿地指標種群の浮遊性淡水生種Aulacoseira ambigua (Grun.) Simonsenが多産する.堆積環境はCyclotella comta (Ehr.) Kützが多く産したG-1の縞状堆積物と同様に流れの静かな湖沼と考えられ,G-2からG-1にかけてはほぼ一連の堆積環境であったと推定される.一方,露頭G-3の粘土からは浮遊性は少なく,ほとんどが付着性淡水生種で,流れのある堆積環境が想像される. 上澤・中川(2009)は羊蹄山西麓に分布する羊蹄岩屑なだれ堆積物は支笏火砕流(約4.1万年前)の後に形成されたと述べている.更に上澤ほか(2016)は,約5万年前に始まった羊蹄山の火山活動では2回の山体崩壊が発生し,古い方は約3.8万年前としている.今回の検討では,最も古い14C年代値は露頭G-2の湖沼性堆積物直下の泥炭が約47,400 cal BPで,古倶知安湖の形成開始はこれ以前の時代と推定される.このため,羊蹄山の崩壊(約3.8万年前)は古倶知安湖出現の原因とは考えられず,他の地質現象を考える必要がある.なお,中川・星住(2010)では,「岩屑なだれ堆積物を支笏火砕流が覆う」としているが,上澤・中川(2009)に従えば正しくは「岩屑なだれ堆積物が支笏火砕流を覆う」である.
文献 河島千尋・素木洋一(1941)大日本窯業協會雑誌,49,209-222.中川光弘・星住リベカ(2010)日本地方地質誌1「北海道地方」,朝倉書店,302-303.嵯峨山 積ほか(2020)総合地質,4,1-7.上澤真平・中川光弘(2009)日本火山学会講演要旨集,42.上澤真平ほか(2016)日本地質学会第123年学術大会講演要旨,65.