一般社団法人日本鉱物科学会2023年年会・総会

講演情報

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R2:結晶構造・結晶化学・物性・結晶成長・応用鉱物

2023年9月15日(金) 12:00 〜 14:00 83G,H,J (杉本キャンパス)

12:00 〜 14:00

[R2P-01] 動力学散乱理論に基づく電子顕微鏡像および電子回折パターンのシミュレーションソフトウェアの開発

*瀬戸 雄介1、大塚 真弘 2 (1. 大阪公立大・院理、2. 名古屋大・未来材料・システム研)

キーワード:電子回折、透過電子顕微鏡、動力学的散乱理論、高角環状暗視野像、コンピュータシミュレーション

透過電子顕微鏡(TEM)法は、ナノメートルスケールでの結晶相同定・構造解析・方位解析の強力なツールとして普及しており、鉱物科学を含む多くの物質科学分野において必須の分析手法である。近年、電子銃の高輝度化や高感度CMOSカメラの普及に伴って高速かつ定量的な回折強度の取得が可能となり、その重要性はますます高くなっている。一方、TEMによって得られるデータの解釈には空間群や逆空間の理解が必要となり、初学者にとってはやや敷居の高い面もある。また電子回折やTEM像は、多重散乱の効果や電磁レンズの収差によって変調されるため、定量的なデータ解析を行うためには精密なシミュレーションが不可欠となる。このような背景を踏まえ、著者らはオープンソースの結晶学ソフトウェアReciProを長年開発している (Seto & Ohtsuka, 2022)。本発表では最近のReciProの概要、主要な計算アルゴリズム、および将来展望を紹介する。
 ReciProは、結晶データベースの探索、結晶構造とゴニオメーターの可視化、ステレオネット投影、回折パターンとTEM像のシミュレーション、回折スポットの指数付けといった機能を提供するソフトウェアである。ReciProは標準表記の空間群 (230種) に加えて軸交換を考慮した空間群 (530種) の対称操作情報を内蔵しており、任意の結晶構造をソフトウェア上で再現できる。またインストールファイルの中にAmerican Mineralogist Crystal Database (AMCSD) (Downs & Hall-Wallace, 2003)を同梱しており、オフライン環境でも2万以上の鉱物構造モデルを利用できる。結晶の回転状態は全ての機能 (3D結晶構造、ステレオネット、単結晶回折など) で同期されており、いずれかの機能上で結晶を回転させると他の機能に即座に反映される。
 主要な機能の一つとして、単結晶回折のシミュレーション機能がある。入射波としてX線、電子、中性子が選択できる。X線および中性子線源については、運動学的散乱近似 (1次の摂動論) に基づいて計算を行う。すなわち回折強度は、単純に結晶構造因子の振幅の2乗と励起誤差から推定される。電子ビームについては、ブロッホ波法 (Bethe, 1928) に基づいて動力学的効果を計算する。この手法では、結晶中の電子の状態を波動方程式とブロッホの定理で記述し、周期ポテンシャル場で存在可能な電子波 (ブロッホ波) を求め、さらに試料界面で入射/出射波となめらかに繋げることによって回折波の振幅を計算する。ReciProでは制限視野電子回折 (SAED)、歳差電子回折 (PED)、収束ビーム電子回折 ((LA)-CBED) の動力学的散乱シミュレーションをサポートしている。CBEDでは収束電子線を多数の平面波の重ね合わせとして表現する。なお、ブロッホ波法は一般に計算コストが高いという問題があるが、アルゴリズムの工夫とCPUの並列化により、実用上問題ないレベルの計算速度を実現できている。
 さらに、ReciProは高分解能TEM (HRTEM) 像および走査TEM (STEM) 像の計算にも対応している。前者 (HRTEM) は、対物レンズの球面収差やデフォーカスによる収差、電子ビームの部分的な時空間的コヒーレンス、動的散乱効果による試料の厚みの変化などによって変調される効果を考慮し、任意の倍率/解像度でシミュレーションを行う。後者 (STEM) では、CBED同様に入射する収束電子を多数の平面波として表現する。さらにフォノン励起に伴う熱散漫散乱(TDS)によって非弾性散乱する効果を、散乱角依存性を考慮して積分計算することで、環状検出器を利用したSTEM像 (たとえばSTEM-HAADFなど) のシミュレーションに対応している。
 ReciProは、MITライセンスのもとで配布されている(https://github.com/seto77/ReciPro/releases/latest/)完全なフリー・ソフトウェアであり、Microsoft Windows 7以降とMicrosoft .NET Desktop 7.0ランタイム上で動作する。すべてのソースコードと詳細なドキュメントは、上記のGitHubリポジトリで公開されている。

参考文献:
Downs, R. T. & Hall-Wallace, M. (2003). American Mineralogist 88: 247-250.
Seto, Y. & Ohtsuka, M. (2022) Journal of Applied Crystallography 55: 397-410.