日本地球惑星科学連合2018年大会

講演情報

[JJ] 口頭発表

セッション記号 H (地球人間圏科学) » H-DS 防災地球科学

[H-DS12] 人間環境と災害リスク

2018年5月23日(水) 13:45 〜 15:15 201B (幕張メッセ国際会議場 2F)

コンビーナ:青木 賢人(金沢大学地域創造学類)、松多 信尚(岡山大学大学院教育学研究科)、須貝 俊彦(東京大学大学院新領域創成科学研究科自然環境学専攻、共同)、小荒井 衛(茨城大学理学部理学科地球環境科学コース)、座長:青木 賢人(金沢大学地域創造学類)

14:30 〜 14:45

[HDS12-04] 史料・古地図からみた2016年熊本地震「液状化の帯」における土地の履歴

*青山 雅史1 (1.群馬大学教育学部)

キーワード:2016年熊本地震、液状化、古文書、古地図、土地条件

はじめに
 2016年熊本地震により,熊本市南区の近見町から元三町にかけて微高地を形成する自然堤防上において,液状化被害が集中的に発生した.この液状化被害域は,南北にのびる自然堤防上の幅100m以内の細長い(帯状の)領域に限定して出現したことから,「液状化の帯」などとして報道がなされた.本発表では,この「液状化の帯」におけるかつての河道や水路の存在を示唆する文書の記述内容,この地域の過去の景観を描いた絵図や地形図などについて紹介し,この地域の土地条件の変遷を示す.
調査方法
 熊本県立図書館や熊本市歴史文書資料室などが所蔵・公開している中世から近世にかけての文書や江戸期(近世)の絵図,伊能図,明治20年代に当時の第六師団により測量・作成された迅速測図,明治後期に陸地測量部により測量・作成された地形図などにおける記載内容を吟味し,「液状化の帯」における土地の履歴を検討した.とくに,「液状化の帯」における河道(白川旧河道)や水路の存在,河川改修工事(水路開削工事)の経緯などについて,それらの資料から検討した.
結果
 白川左岸の近見から元三町にかけて,表層地盤が砂質堆積物からなる明瞭な微高地が存在しており,この領域内をかつての白川が南流していたことが指摘されてきた.しかし,江戸期の絵図,伊能図や,明治期以降の迅速測図,地形図には,「液状化の帯」に該当する位置における河川の存在は認められず,白川河道は現在とほぼ同位置にあり,白川は蓮台寺や近見付近から西に流下していたことが読み取れる.その一方,「液状化の帯」に該当する領域付近には,かつての飽田郡と託麻郡の郡界が記されており,かつての河道の存在を示唆する.
 この「液状化の帯」の南端付近に位置する寺院である大慈寺に残された文書(大慈寺文書)には,川尻付近において白川と緑川が合流していたとする1276(建治2)年の記述や,大慈寺の東側は白川に,南側は緑川に隣接していたとする1282(弘安5)年の記述がある.これらの記述から,13世紀後半には白川が「液状化の帯」に該当する領域を流下していたことが示唆される.
 江戸前期の文書には,かつての白川河道における水路整備工事や当時の土地条件を示す記述がみられる.1632~1641年における熊本藩主の細川忠利は,白川筋の浅い所を掘り,熊本から川尻までの水路整備を計画したが,取り止めになったとの旨を記述する文書(旦夕覺書)がある.その一方,熊本城から川尻までの小川を拡幅する工事を願い出て,1640(寛永17)年6月14日に認可を受けたことを記した文書(神雑)が存在する.また,白川から川尻にかけて,船通りの川筋を整備する工事があることを1640年7月19日に記した文書(御奉行奉書抄出)も存在する.
 これらのことから,中世には「液状化の帯」を南下していた白川は江戸時代前期までには現河道へと流路が変化しており,江戸時代前期には「液状化の帯」に該当する白川旧河道には小規模な河川が存在したことが示唆される.明治期の迅速測図や地形図にはそのような小規模河川の存在は認められないことから,その河川(または水路)はそれまでに消失(陸化)していたことが考えられる.