17:15 〜 18:30
[HDS10-P07] 安倍川源流・蓬沢の崩壊性天然ダムとその年代および大谷崩との関係
キーワード:大谷崩、堰き止め湖沼堆積物、14C年代
1. はじめに
大谷崩は,静岡県の安倍川源流部に存在する巨大崩壊地である.この崩壊はCE1707(宝永四年)の宝永地震(推定M 8.6)の際に生じたとされる(建設省静岡河川事務所,1988).大谷崩の発生年代について,これ以外にも諸説があるが,いずれも主に歴史史料を根拠とし,地質学的・年代学的資料は示されていない.町田(1959;地理評)は安倍川上流の大谷川・三河内川合流点付近で,現河床下に湖沼堆積物が伏在することを指摘した.また複数の支川に堰き止め湖沼堆積物が分布するとしたが,詳細は不明であった.
本発表では安倍川源流・大谷川支川の蓬沢で確認された大谷崩の崩壊堆積物とそれによる天然ダム,堰き止め湖沼堆積物を報告し,年代値を示す.またそれらをもとに,大谷崩の発生年代を論じる.
2. 調査地域の地形・地質
大谷崩は水平面積1.8 km2,幅1.8 km,高度差800 mの大規模な崩壊地である.大谷川は大谷崩を源流とし,三河内川を合わせて安倍川となる.大谷崩は大量の岩屑を供給してきたため,当地域には堆積段丘が発達する.
周辺の地質は新第三紀砂岩頁岩互層を主とするが,蓬沢上流部には火成岩や蛇紋岩が分布し(杉山・松田,2014),蓬沢の転石で筆者らもそれらを確認している.
3. 堰き止め湖沼堆積物の記載
蓬沢と大谷川の合流点より約1.1 km上流の蓬沢左岸に礫層と砂質シルト層から成る露頭が存在する.本露頭の上面(地表面)は蓬沢現河床との比高が約4 mある段丘面に一致する.
段丘構成層のうち,最下位には変形した木片を多量に含む古土壌層Sが確認される.古土壌層Sは地下に続き,層厚は0.3 m以上である.S層の上には細礫~巨礫サイズの角礫から成る崩壊性の礫層A(最大層厚約3 m)が認められる.礫層Aは上流方向へ薄くなる.礫層Aの上には,砂質シルト層X(0.6 m)と砂層Y(0.5 m)がこの順で載り,これらは礫層Aが上流方向に薄くなるのに対して,下流方向に層厚を減じ,礫層Aをアバットして消失する.これら砂質シルト層Xや砂層Yの上には,細礫~巨礫サイズの不淘汰な角礫から成る土石流性の礫層B(層厚1.5 m)が載る.
礫層AとBは礫の円磨度や岩種で区別できる.礫層Aは礫層Bより円磨度が低い.また,礫層Bは蓬沢由来の蛇紋岩や火成岩を含むが,礫層Aには認められない.これらは,礫層Aが大谷崩起源の崩壊堆積物であり,礫層Bが蓬沢起源の土石流堆積物であることを示す.
礫層Aは大谷崩から流下し,蓬沢を堰き止める天然ダムを形成した崩壊堆積物と考えられる.その上位の砂質シルト層Xや砂層Yは礫層Aによる蓬沢の堰き止め湖沼堆積物と考えられる.また最下部の古土壌層Sは礫層Aが移動する際に当時の土壌を巻き込んだことや,天然ダム形成前に露頭周辺で発生した小規模な崩壊物質に由来することが考えられる.
古土壌層S,礫層A,砂質シルト層Xはそれぞれ木片を含む.それらの最外部を微量採取し14C年代測定を行った.
4. 14C年代
各試料は次の年代を示した.暦年はOxCalとINTCAL20で計算し,2σ区間を示す(14C年は1σ).古土壌層S=cal CE1396~1441(521±23 14C)BP,礫層A=cal CE1506~1596/1616~1655(297±23 14C)BP,砂質シルト層X=cal CE1644~1680/1740~1753/1762~1800(220±20 14C)BP.
5. 考察
14C試料に層位的逆転はなく,地層の堆積年代を適確に示すと判断される.礫層AはCE1707から最大200年古い可能性があり,大谷崩ではCE1707以前にも支川に天然ダムを生じさせる規模の崩壊が発生していたことが考えられる.一方,砂質シルト層Xの年代はCE1707を含むが,レンジが広くCE1600半ばからCE1800ころまでに堆積した可能性がある.年代の符号性と地震性崩壊という観点だけから見ると,礫層Aやそれを覆う砂質シルト層Xと,その下位の古土壌層SはCE1707宝永地震よりも古い,CE1498明応東海地震(推定M8.2~8.4),CE1605慶長東海地震(同M7.9),CE1703元禄地震(同M7.9~8.2)と関連する可能性がある.
大谷崩は,静岡県の安倍川源流部に存在する巨大崩壊地である.この崩壊はCE1707(宝永四年)の宝永地震(推定M 8.6)の際に生じたとされる(建設省静岡河川事務所,1988).大谷崩の発生年代について,これ以外にも諸説があるが,いずれも主に歴史史料を根拠とし,地質学的・年代学的資料は示されていない.町田(1959;地理評)は安倍川上流の大谷川・三河内川合流点付近で,現河床下に湖沼堆積物が伏在することを指摘した.また複数の支川に堰き止め湖沼堆積物が分布するとしたが,詳細は不明であった.
本発表では安倍川源流・大谷川支川の蓬沢で確認された大谷崩の崩壊堆積物とそれによる天然ダム,堰き止め湖沼堆積物を報告し,年代値を示す.またそれらをもとに,大谷崩の発生年代を論じる.
2. 調査地域の地形・地質
大谷崩は水平面積1.8 km2,幅1.8 km,高度差800 mの大規模な崩壊地である.大谷川は大谷崩を源流とし,三河内川を合わせて安倍川となる.大谷崩は大量の岩屑を供給してきたため,当地域には堆積段丘が発達する.
周辺の地質は新第三紀砂岩頁岩互層を主とするが,蓬沢上流部には火成岩や蛇紋岩が分布し(杉山・松田,2014),蓬沢の転石で筆者らもそれらを確認している.
3. 堰き止め湖沼堆積物の記載
蓬沢と大谷川の合流点より約1.1 km上流の蓬沢左岸に礫層と砂質シルト層から成る露頭が存在する.本露頭の上面(地表面)は蓬沢現河床との比高が約4 mある段丘面に一致する.
段丘構成層のうち,最下位には変形した木片を多量に含む古土壌層Sが確認される.古土壌層Sは地下に続き,層厚は0.3 m以上である.S層の上には細礫~巨礫サイズの角礫から成る崩壊性の礫層A(最大層厚約3 m)が認められる.礫層Aは上流方向へ薄くなる.礫層Aの上には,砂質シルト層X(0.6 m)と砂層Y(0.5 m)がこの順で載り,これらは礫層Aが上流方向に薄くなるのに対して,下流方向に層厚を減じ,礫層Aをアバットして消失する.これら砂質シルト層Xや砂層Yの上には,細礫~巨礫サイズの不淘汰な角礫から成る土石流性の礫層B(層厚1.5 m)が載る.
礫層AとBは礫の円磨度や岩種で区別できる.礫層Aは礫層Bより円磨度が低い.また,礫層Bは蓬沢由来の蛇紋岩や火成岩を含むが,礫層Aには認められない.これらは,礫層Aが大谷崩起源の崩壊堆積物であり,礫層Bが蓬沢起源の土石流堆積物であることを示す.
礫層Aは大谷崩から流下し,蓬沢を堰き止める天然ダムを形成した崩壊堆積物と考えられる.その上位の砂質シルト層Xや砂層Yは礫層Aによる蓬沢の堰き止め湖沼堆積物と考えられる.また最下部の古土壌層Sは礫層Aが移動する際に当時の土壌を巻き込んだことや,天然ダム形成前に露頭周辺で発生した小規模な崩壊物質に由来することが考えられる.
古土壌層S,礫層A,砂質シルト層Xはそれぞれ木片を含む.それらの最外部を微量採取し14C年代測定を行った.
4. 14C年代
各試料は次の年代を示した.暦年はOxCalとINTCAL20で計算し,2σ区間を示す(14C年は1σ).古土壌層S=cal CE1396~1441(521±23 14C)BP,礫層A=cal CE1506~1596/1616~1655(297±23 14C)BP,砂質シルト層X=cal CE1644~1680/1740~1753/1762~1800(220±20 14C)BP.
5. 考察
14C試料に層位的逆転はなく,地層の堆積年代を適確に示すと判断される.礫層AはCE1707から最大200年古い可能性があり,大谷崩ではCE1707以前にも支川に天然ダムを生じさせる規模の崩壊が発生していたことが考えられる.一方,砂質シルト層Xの年代はCE1707を含むが,レンジが広くCE1600半ばからCE1800ころまでに堆積した可能性がある.年代の符号性と地震性崩壊という観点だけから見ると,礫層Aやそれを覆う砂質シルト層Xと,その下位の古土壌層SはCE1707宝永地震よりも古い,CE1498明応東海地震(推定M8.2~8.4),CE1605慶長東海地震(同M7.9),CE1703元禄地震(同M7.9~8.2)と関連する可能性がある.