17:15 〜 18:30
[HGM03-P06] 瀬戸内地域における最終氷期の東西分水嶺について
キーワード:瀬戸内海、氷期の分水嶺、淡水魚、アユモドキ
氷期の海水準低下に伴って瀬戸内海は陸化し、瀬戸内に面する河川は大きく四国を迂回し太平洋にそそいでいた。このような古地形の復元は完新世の地形発達を考える上の初期条件として重要となる。井関(1956)や桑代(1959)は、最終氷期の瀬戸内地域の分水嶺について、現在の海底深度や地形から、現在の塩飽諸島付近に存在し、高梁川以西の河川は西向きに流れ、旭川以東の河川は東向きに流れていたと示した。 一方で、平山ほか(2003)は、瀬戸内側に分布する淡水魚の魚類相が東西で異なっており、アユモドキに代表される東側の魚類相の西端が塩飽諸島の西側に位置する芦田川であるとしており、井関(1956)などの考える古地形と矛盾する。そこで本稿は、岡山平野内及び瀬戸大橋直下のボーリングデータを使用し最終氷期の古地形の復元、高梁川と芦田川に挟まれた岡山県笠岡市を流れる河川の淡水魚類相のタイプを検討することによって、最終氷期における瀬戸内地域の東西分水嶺の位置や古水系の変遷について検討した。
岡山平野内のボーリングデータの分析より、高梁川は総社以東への流れと、藤戸の狭窄部の抜けていく流れ、また、現在の高梁川と同様の流れの可能性があることがわかった。しかし、関東平野のように明確な谷地形は確認できず、基準面の低下が小さいことが分かる。本流の古流行の復元にはより詳細なデータ蓄積が必要である。
備讃瀬戸の海底の地質や地形の分析の結果、瀬戸大橋直下の諸島間の海底は潮流によって削剥された窪地が多数みられ、ほとんど堆積物が残っていないことがわかった。このように海底の地形は陸からの堆積物だけでなく現在の潮流によって変化しており、現在の地形から最終氷期の地形を推定するのは難しいといえた。
笠岡市を流れる4つの河川11箇所での魚類採集調査の結果、12種類の純淡水魚を確認した。それらの淡水魚類相は瀬戸内海東側の特徴がみられず、笠岡の河川は最終氷期に西向きに流れていたと考えられた。つまり、最終氷期の分水嶺は笠岡よりも東側に存在し、芦田川は西向きに流れていたことになる。
アユモドキなどの瀬戸内海東側に生息する魚類が芦田川に生息する理由は、最終氷期に高梁川が旭川と合流していたために瀬戸内海東側の魚類層を示す可能性と、完新世の岡山平野の発達時に高梁川が東流し瀬戸内海東側の魚類層が分布する笹ヶ瀬川と合流した時代に侵入した可能性がある。高梁川から芦田川への侵入は、高梁川支流の小田川と芦田川支流の高屋川が井原市の扇状地内に分水嶺を持つことから、完新世における扇状地上の流路の変遷に伴って起きたと考えられた。
岡山平野内のボーリングデータの分析より、高梁川は総社以東への流れと、藤戸の狭窄部の抜けていく流れ、また、現在の高梁川と同様の流れの可能性があることがわかった。しかし、関東平野のように明確な谷地形は確認できず、基準面の低下が小さいことが分かる。本流の古流行の復元にはより詳細なデータ蓄積が必要である。
備讃瀬戸の海底の地質や地形の分析の結果、瀬戸大橋直下の諸島間の海底は潮流によって削剥された窪地が多数みられ、ほとんど堆積物が残っていないことがわかった。このように海底の地形は陸からの堆積物だけでなく現在の潮流によって変化しており、現在の地形から最終氷期の地形を推定するのは難しいといえた。
笠岡市を流れる4つの河川11箇所での魚類採集調査の結果、12種類の純淡水魚を確認した。それらの淡水魚類相は瀬戸内海東側の特徴がみられず、笠岡の河川は最終氷期に西向きに流れていたと考えられた。つまり、最終氷期の分水嶺は笠岡よりも東側に存在し、芦田川は西向きに流れていたことになる。
アユモドキなどの瀬戸内海東側に生息する魚類が芦田川に生息する理由は、最終氷期に高梁川が旭川と合流していたために瀬戸内海東側の魚類層を示す可能性と、完新世の岡山平野の発達時に高梁川が東流し瀬戸内海東側の魚類層が分布する笹ヶ瀬川と合流した時代に侵入した可能性がある。高梁川から芦田川への侵入は、高梁川支流の小田川と芦田川支流の高屋川が井原市の扇状地内に分水嶺を持つことから、完新世における扇状地上の流路の変遷に伴って起きたと考えられた。