日本地球惑星科学連合2024年大会

講演情報

[J] ポスター発表

セッション記号 H (地球人間圏科学) » H-GM 地形学

[H-GM03] 地形

2024年5月28日(火) 17:15 〜 18:45 ポスター会場 (幕張メッセ国際展示場 6ホール)

コンビーナ:岩橋 純子(国土地理院)、齋藤 仁(名古屋大学 大学院環境学研究科)、高波 紳太郎(明治大学)、Newman R Newman(Hokkaido University)


17:15 〜 18:45

[HGM03-P04] 北海道十勝川水系戸蔦別川における130年間の河川形態の変遷

*今田 翔起1笠井 美青1 (1.北海道大学)

キーワード:河川形態、砂防施設

北海道十勝川水系戸蔦別流域の源頭部は、急勾配かつ脆弱な地質からなるため、豪雨により崩壊が多発する傾向がある。明治時代の入植以降には氾濫原へ流下した大量の土砂による洪水氾濫が頻発しており、1961年には、源頭部から氾濫原の上流端(拓成橋)より下流の15 km地点までが、直轄砂防区域に指定された。この区域では、現在に至るまで砂防施設が継続的に導入されている。本研究ではこれらの砂防施設の導入と、氾濫原を流下する河川形態の変化との関係を調べた。
対象区間は、拓成橋から下流に向かって区間Ⅰ(9 km)、区間Ⅱ(3.5 km)、区間Ⅲ(2.5 km)からなる。区間Ⅰでは不透過型(導入年:1987年、1.7 km地点)および透過型(導入年:2014年、2.5 km地点)の砂防堰堤と、床固工15基 (導入年:1987から2010年、2.7 kmから9 km地点まで) が導入されている。床固工は、土砂を流下させつつ、河床の侵食や河道内不安定土砂の急激な再移動を制御するために設置された。区間Ⅱでは洪積層長流枝内層に属する軟岩が部分的に露出しており、現在河床の下刻と蛇行の進行が著しい。区間Ⅲでは護岸が1968年頃より整備されており、流路の変化は余り見られない一方で、河床は継続的に低下している。
この流域には、1896年から他年代にわたり古地図や空中写真、また砂防施設導入に伴う調査資料が存在する。また2000年代以降には、定期的に航空レーザー測量および空撮が実施されている。これらの資料を用い、200m区間ごとの河川形態をRosgen (1996)の基準に基づいて分類した。ここで対象区間は8タイプ (①point bars ②point bars with few mid-channel bars ③numerous mid-channel bars ④side bars ⑤diagonal bars ⑥main channel branching with numerous mid-bars and islands ⑦side bars and mid-channel bars with length exceeding 2 to 3 times channel width ⑧delta bars) に分類された。また空中写真にて植生が繁茂していない範囲を判読し、その面積を200mで除することで各区間の疑似的な川幅とした。各年代の河床高については、上述の資料および現地調査による堆積段丘の判別結果から、200 m地点ごとに求めた。以上の結果を、期間A:流域への砂防施設導入前 (~1968年)、期間B:床固工が整備されるまで (~2010年)、期間C:現在まで の3期間についてまとめた。なお期間Aについては、1950年代に源頭部にて崩壊が多発している。また期間Cについては、2016年8月に再帰年が100から200年と推測される出水が発生している。
結果から、全ての区間に共通して、砂防施設の導入以前の1963年が最も川幅が広く、かつ河床高が高い時期であることが分かった。これは、1950年代に発生した土砂が、大量に河川内に流下および滞留している為であると考えられる。なおこの期間においては、河畔林の侵入も見られ、③と⑦の河川形態が概して優勢であった。砂防施設導入中においては、1982年まで河床高は上昇する傾向にあったが、川幅は縮小した。形態については、区間Ⅰでは④⑦、区間Ⅱでは③④、区間Ⅲでは④が主に見られた。砂防施設導入後については、全区間を通じて川幅は縮小し、区間ⅠとⅢについては流路の固定化とともに、④が卓越する状態へと変化した。一方で、区間Ⅱでも④が卓越するが、これは河畔林の侵入速度よりも軟岩への侵食速度が速く、流路が常に変化しているためであると考えられた。なお区間Ⅱにおいては、2016年の出水以降にこのプロセスが急激に進行していた。これは区間Ⅰにおける砂防施設の、出水時及び以降の土砂輸送量の制御機能に影響されていると考えられた。