日本地球惑星科学連合2024年大会

講演情報

[J] ポスター発表

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[M-IS08] ジオパーク

2024年5月27日(月) 17:15 〜 18:45 ポスター会場 (幕張メッセ国際展示場 6ホール)

コンビーナ:尾方 隆幸(琉球大学大学院理工学研究科)、田所 敬一(名古屋大学地震火山研究センター)、松原 典孝(兵庫県立大学大学院 地域資源マネジメント研究科)、道家 涼介(弘前大学大学院理工学研究科)

17:15 〜 18:45

[MIS08-P02] 古文書からひも解く地域の地質資源:山陰海岸ジオパークの例から

*川村 教一1 (1.兵庫県立大学大学院 地域資源マネジメント研究科)

キーワード:江戸時代、玄武洞、玄武岩、コハメシイシ、柴野栗山、小藤文次郎

1.はじめに
 ジオパークに内在する地域資源としての価値を見出し高める事例を、演者は古記録から「発掘」している.本発表では、近世の古文書などから見出した例として、玄武洞の命名者とされる柴野栗山の手稿、玄武洞産の岩石名の記録文書、奇石として取り上げられた城崎温泉(現 豊岡市)の「コハメシイシ」を紹介する.

2.玄武洞の「命名者」柴野栗山の手稿
 柴野栗山は江戸幕府に仕えた儒学者である.1807(文化4)年、城崎温泉に滞在した時、採石地(今の玄武洞)を訪ねた.この時に彼が洞窟を「玄武洞」と命名したと伝わっている(例えば斎藤、1856).ところが、彼の手稿には「石柱洞」とある.これは洞窟の当時の名称である.
 柴野栗山が「玄武洞」と命名したことは、彼の訪問から26年後の1833(天保4)年建立の石碑(柴博士碑)の記述、あるいは同年に書かれた篠崎小竹による記事(『臥游集』[三宅<編>,1894]に転載)が初出で、いずれも伝聞の記録とも読める.以上のように、「玄武洞」の命名を記した一次記録はこれまで知られていない.

3.玄武洞産の岩石名の記録文書
 採石地である玄武洞から産した岩石は「玄武岩」である.この名称の初出は、1884(明治17)年に発刊の小藤文次郎著『金石学 一名鉱物学』である.巨智部忠承は、玄武洞にちなんで命名されたと紹介している(巨智部、1891).小藤の発案で岩石の名称に玄武洞が採用されたように受け取れる.
 ところが、1826(文政9)年に、医家・本草学者の山本亡羊が京都で開いた山本読書室主催の物産会目録に「玄武石」がある(川村、2024).亡羊の次男でやはり医家であった山本榕室(篤慶)による但馬地方における採薬記(稿本、1832)にも「玄武石」が登場し、採集されている(川村、2024).明治時代になり、『本邦金石産地考』(著者不明、1881年写)には「玄武洞石」がある.このころには東京在住者も、「玄武洞」産の石材名称に「玄武」が使われていることを知っていたはずである.

4.コハメシイシ記録の「発掘」
 コハメシイシ(強飯石)とは、米粒大の水晶の集合体のことである(例えば加藤、2014).木内石亭著『諸州石品産諸誌』(年代不明)には、城崎産の「飯石(俗名コハメシ石)」とある.石亭の弟子にあたる服部未石亭のコレクションに、城崎産の標本がある(横山・服部、2020).また、先述の山本読書室物産会の目録(山本読書室資料、目録番号2363)にたびたび出現する.山本榕室による採薬記(稿本、1832)ほかにも記されている.
 城崎では、流紋岩起源の土壌中に、風化を受けなかった岩塊としてコハメシイシは現在も産出する.しかし、城崎出身者に尋ねたところ、聞いたことがないという.明治時代以降、この石のことは地元では忘れられてしまっているようである.

5.古記録のジオパークにおける活用事例
 筆者ほか兵庫県立大学の教員が企画・運営した兵庫県立大学公開講座において、先述のような玄武洞と玄武岩の名称の歴史的変遷を取り上げた.県外の参加者はもとより地元住民の参加もあり、新たな情報を提供することができた.

6.おわりに
 現代人・地域住民にとって、天然記念物や名勝であるジオサイトは新鮮味がないように感じられるかもしれない.そのような場合、近代以前の文化、当時の人々による評価や観賞、利用の実態を紹介して、地形や地質の文化の歴史的な移り変わりを見出すことで、新たな地域資源の発掘につながるかもしれない.

文献
加藤碵一(2014)石の俗称辞典第2版.愛智出版、408ページ.
川村教一(2023)明治時代におけるbasaltの和名定着の過程.日本地質学会第130年学術大会講演要旨、G4-O-3.
川村教一(2024)近世において但馬国豊岡近郊、玄武洞から産した石材名の変遷.第7回文化地質研究会学術大会講演要旨.
巨智部忠承(1891)但馬名所玄武洞の記.地学雑誌、3(4)、194-200.
山本読書室[編](1808-1867)読書室物産会目録 自第一号至第五十号(一括).京都府立京都学・歴彩館山本読書室資料、目録番号2363.
小藤文次郎(1884)金石学 一名鉱物学.小藤文次郎、163ページ.
内務省博物局(1880-1882)博物館列品目録 天産の部 鉱物類・地質類.
三宅徳介[編](1894)臥游集:浴沂風詠 第1編.斎藤甚左衛門.
山本篤慶(1832)山陰四州採薬記.https://lab.ndl.go.jp/dl/book/2558769
横山卓雄・服部泰三[編](2020)服部未石亭の鉱物・化石・岩石コレクション : 江戸時代近江石部の弄石家.益富地学会館.77ページ.
[著者不明](1881写)本邦金石産地考.https://webarchives.tnm.jp/dlib/detail/2551