日本体育・スポーツ・健康学会第72回大会

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スポーツ文化研究部会 » 【課題C】多様なスポーツ文化の保存・流通・促進をいかに刷新していくか

スポーツ文化研究部会【課題C】口頭発表①

2022年9月1日(木) 15:30 〜 16:33 第8会場 (2号館2階21教室)

座長:朝倉 雅史(筑波大学)

15:46 〜 16:01

[スポーツ文化-C-02] 国際ストーク・マンデビル競技大会の表記に関する研究(ア)

1964年東京大会から1968年テルアビブ大会までの新聞記事に着目して

*阿部 崇1、澤江 幸則2 (1. 東京家政大学、2. 筑波大学)

【目的】パラリンピックの源流とされる国際ストーク・マンデビル競技大会の新聞記事における大会名称の変遷とその特徴を明らかにすることを目的とした。
【方法】本大会の表記について新聞記事より分析を行った。分析対象は当時の発行部数、購読者数が上位3社の朝日新聞、読売新聞、毎日新聞の朝刊、夕刊とした。大会名の表記は「身障者五輪」、「国際ストーク・マンデビル競技大会」、「パラリンピック」、「国際身体障害者スポーツ」の4つに分類した。対象期間は1964年から1968年までとした。
【結果】新聞に掲載された本大会に関する記事数は1964年が157件、1965年が39件、1966年が13件、1967年が12件、1968年が19件と東京大会後に減少したことが明らかとなった。大会名の表記として「パラリンピック」は1964年に最も多かったが徐々に割合が減少し、テルアビブ大会の開催された1968年にわずかに増加が見られた。正式名称の「国際ストーク・マンデビル競技大会」は1965年、1966年に、「国際身体障害者スポーツ大会」は1966、1967年に、「身障者五輪」は1968年に多くの割合で表記されたことが明らかとなった。
【考察】本大会は1964年の東京大会において「パラリンピック」として最も多く表記され、当時の「身体障害者」、「身障者」のもつネガティブなイメージを払拭させるものであった。しかし、その後記事数の減少と共に大会名としての正式名称ではなかった「パラリンピック」は定着が見られなかったため、1965年から1967年にかけては「パラリンピック」だけでなく「国際ストーク・マンデビル競技大会」、「国際身体障害者スポーツ大会」と多様な表記されたといえよう。また、1968年のテルアビブ大会においてはオリンピック開催年ということもあり身体障害者版の「身障者五輪」として記事の紹介がなされたと考えられた。