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[スポーツ文化-B-02] どのようにしてパルクール(Parcours )はパルクール(Parkour)となったのか(社,史,哲)
エベルの「メトード・ナチュレール」のポストコロニアルな転用に関する一考察
本報告の目的は、国際オリンピック委員会と国際体操連盟がスケートボードやサーフィンに続くオリンピック公式競技への採用を目指すパルクール(Parkour)の文化的な特性を整理することにある。本報告は、まず、パルクール(Parcours / Parkour)のルーツとなっているジョルジュ・エベル(Georges Hébert) の「メトード・ナチュレール(méthode naturelle)」の要点を確認する。ここでの要点は、まず、パルクール(Parcours)とは障害物を配置した兵士の訓練場を意味する「パルクール・ドゥ・コンバッタント(parcours du combatant)」に語源的、かつ、実践的なルーツがある。つぎに、この訓練場でなされたことは「役に立つために強くあれ」というスローガンのもと、エベルが開発したメトード・ナチュレールという身体訓練方法を通じて、具体的な生活技能に優れ、その能力によって状況を克服する人間を形成することにあった。つぎに、パルクール(Parcours )がパルクール(Parkour)へと「進化」していく背景を、第2次世界大戦後、フランスの大都市のバンリュー(郊外)とそこに建設された(Sité)と称される公営住宅団地をめぐるカルチュラル・ポリティクスに注目し、その分析を試みる。バンリューとは「郊外」を意味するフランス語ではあるが、牧歌的な環境に囲まれた大規模な一戸建て住宅といったアメリカ的なイメージとは異なっている。フランスにおいてバンリューと言えば、「貧困地区」、「犯罪多発地区」、「同化政策への抵抗の場」という「スティグマ」が1980年代から現在にかけて強固なものとなっていく。パルクールの文化的特性を把握するためにも、そこに至る過程とその後、つまり、パルクールが世界中に広まっていく2000年代初頭までのバンリューの歴史的な変遷とそこへの「スティグマ」を確認する。以上のことから、バンリューやシテへのカルチュラル・ポリティクスや「スティグマ」に対する創意と自発性に満ちた若者たちの実践が、パルクール(Parcours)からパルクール(Parkour)への「進化」を可能にしたと結論づける。