[スポーツ文化-SB-1] 身体論から捉える「多様性と調和」
<演者略歴>
2008年東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科修了。博士(教育学)。武蔵大学人文学部准教授を経て現職。「実践からの体育・スポーツ哲学」を研究の目標としつつ、「身体教育とは何か?」を問う中で出会ったシッティングバレーボール(パラバレーボール)の練習を継続中。
2008年東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科修了。博士(教育学)。武蔵大学人文学部准教授を経て現職。「実践からの体育・スポーツ哲学」を研究の目標としつつ、「身体教育とは何か?」を問う中で出会ったシッティングバレーボール(パラバレーボール)の練習を継続中。
本発表では、身体論の立場から、スポーツ実践における/をとおした「多様性と調和」の内実を探りたい。その際、「における」と「をとおした」がどのようにつながり得るかについても検討したい。発表者がパラバレーを体験した際に受けたカルチャーショックは、「多様性」とはどういうことか考える契機となった。同時にその態度では、「珍しさ」や、知らなかったことへの「驚き」が先行してしまい、実践の中で何が生じているかを捉え損ねていた。しかし、練習や試合を通してパラバレーに身を投じていく中で、多様性という「概念」は「どうしようもない〈できなさ〉を受け止める」という具体的行為の中の実感に変わっていった。
このような立場から改めて「多様性」という言葉について考えてみれば、当然のことながら違和感が生じる。本発表では、この違和感の源泉を、「多様性の内と外」および「西洋医学的身体観」に立ち止まることによって考えたい。このことは、社会やスポーツにおける「普通」の成り立ちとその強固さに立ち止まることでもある。そうすることによって、「多様性」という言葉が一人歩きすることについても問題提起したい。
このような立場から改めて「多様性」という言葉について考えてみれば、当然のことながら違和感が生じる。本発表では、この違和感の源泉を、「多様性の内と外」および「西洋医学的身体観」に立ち止まることによって考えたい。このことは、社会やスポーツにおける「普通」の成り立ちとその強固さに立ち止まることでもある。そうすることによって、「多様性」という言葉が一人歩きすることについても問題提起したい。