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[02社-口-01] 嘉納治五郎は「剣道、弓道、柔道、合気道」などを包摂する「武道の定義」(戒・定・慧)を分かっていた
このことを「剣道や禅の修行」と「自然体の姿勢によるつくりとかけの柔道修行の修養」による「意識の厳密なる統一」が同じ「定」の階梯であるとする嘉納の言説から明らかにする
嘉納治五郎は柔術を母体に「自然体」の姿勢を基本とする柔道を創始した。そして「嘉納の理想とした柔道」と「日常生活としての修行(修養)」が同じ「構造」であることに気づき、その「道」・「精力善用自他共栄」の形成に日常生活で「良知」を磨く事上磨鎌を重んじる儒教心学(陽明学)をベースとする三宅雪嶺の現象即実在論・宇宙有機体説が応用された。このことを「構造化される構造、他のものに転移可能な」とするハビトウスの概念と関連づけて論考してきた。さらに柔術が柔道に変遷したことに追随して剣術が剣道に、弓術が弓道に、さらに、「武術」が「武道」と呼ばれるようになった。そして、その先導的な役割を果たしたのも嘉納であると考える。そして、このことを明らかにするために、①「柔道、合気道の修行(修養)や日常生活としての修行(修養)」と②「剣道、弓道や禅の修行」による「意識の厳密なる統一」として現前成就する「実在」が同じ「(禅)定」に相当しており、①と②は「類似」の構造であることを相同性の概念を用いて明らかにしていきたい。このことと関連して、王陽明は「(禅における)本来の面目は我が聖門のいわゆる良知なり。」と述べている。同様に嘉納は「術の小乗を脱して、道の大乗へ」、「精力最善活用が本当に分かっていて、これを自分の身に実行していれば、長年の間坐して禅学を修めて悟りを開くことを覚えた人と同じ立場に立ち得るのである。」と述べている。今回の発表では嘉納は「武道」の概念知っていた。しかし、嘉納柔道思想「精力善用自他共栄」の構成理論が現象即実在論・宇宙有機体説であることに言及していかなかったことと同様にあえて、その概念には明確には言及していかなかった。という仮説をハビトウスや相同性などの概念を用いた社会学的な論考を通して明らかにしたい。