日本体育・スポーツ・健康学会第72回大会

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スポーツ人類学/キーノートレクチャー1/ナショナリズムを組織する―植民地期インドネシアの「原住民」はサッカーから何を学んだのか―

2022年9月2日(金) 10:00 〜 10:40 第12会場 (3号館5階501教室)

[12人-レクチャー-1] ナショナリズムを組織する

植民地期インドネシアの「原住民」はサッカーから何を学んだのか

*加藤 剛1 (1. 東洋大学アジア文化研究所)

<演者略歴>
上記機関の客員研究員、京都大学名誉教授、Ph.D.。スマトラの母系社会ミナンカバウの研究から出発し、インドネシアやマレーシアの社会変容一般について研究してきた。大きな問いは「近代」とはなにか。関心は、都市生活、社会関係、概念創出、経済活動、娯楽などを通じて「近代」がどのように表出されたか。
1895年、蘭領東インド初のサッカー・クラブVictoriaが誕生した。東ジャワ北岸の都市スラバヤにあるオランダ語の高等学校HBSに在学し、英国でサッカー経験のある生徒が学友を誘って作った。次いで軍人中心のSpartaが生まれ、翌年、東インドで最初のマッチが持たれた。時を置かずに多くのクラブが生まれた。単一民族のクラブ、多民族のクラブと様々である。世紀転換期には幾つかの都市にサッカー協会が誕生、対抗戦が組まれた。代表的なのはジャワのスマラン、スラバヤ、バタビア、バンドンの協会である。1914年にはスマランで植民地博覧会が開催され、その中で前記4都市間の対抗戦が催されて評判となり、翌年からは4都市持ち回りで定期開催された。1919年には、サッカー協会の全国組織といえるNIVB「東インド・サッカー同盟」が結成された。何度かの離合集散を経て、1930年、この中から「原住民」クラブの組織PSSI「インドネシア・サッカー連盟」が生まれる。サッカーはどうしてかくも急速に東インドの都市を中心に広がったのか。「原住民」はサッカー・クラブ、協会、連盟など、血縁、地縁に基づかない集まりの組織化からなにを学んだのか。これらについて考えてみたい。