日本体育・スポーツ・健康学会第73回大会

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競技スポーツ研究部会 » 【課題A】トップアスリート養成をいかに効果的に行うか

競技スポーツ研究部会【課題A】口頭発表④

2023年8月30日(水) 11:25 〜 12:09 RYB2 (良心館地下1階RYB2番教室)

座長:谷釜 尋徳(東洋大学)

11:40 〜 11:54

[競技スポーツ-A-13] 戦前の日本における女子陸上競技史に関する一考察(史)

寺尾正・文姉妹の活躍と引退をめぐって

*喜多 綾音1 (1. 筑波大学大学院)

1920年代は日本女子陸上競技界の黎明期であった。1922年に日本初の女子連合競技大会が開催されるなど多くの大会が開催され、1926年には日本女子スポーツ連盟が創立された。これまで戦前の女子陸上競技に関する先行研究では、主に人見絹枝を先駆者と位置づけ、それとともに社会的背景をふまえてその隆盛と障壁を明らかにした。
 一方で当時、人見のライバルとされた寺尾姉妹については、その存在が知られながらも、その活躍と引退をめぐる詳しい経緯は十分に明らかにされていない。特にその引退のきっかけとなったとされた雑誌『婦人俱楽部』上の連載小説『双鏡』と寺尾姉妹の競技歴との関係は検討されていない状況にある。
 そこで本研究は、寺尾姉妹の活躍と引退について、①寺尾姉妹の競技歴とそれに対するメディアの評価、②小説『双鏡』の内容を分析し、小説に対する寺尾姉妹の母の捉え方を明らかにする。方法は、歴史学的手法を用い、文献史料(書籍、雑誌、新聞等)の分析を行った。
 その結果、寺尾正・文それぞれの競技歴が明らかとなった。二人は短距離走において人見と肩を並べる存在であったが、アムステルダムオリンピックには出場せず、1929年に競技を引退した。その過程では、競技結果とともに美人の双子姉妹として、社会の関心が集まることがあった。
 小説『双鏡』の内容分析を通して、その登場人物である「濱井姉妹」と寺尾姉妹の境遇が似ており、特に高い競技力と美貌をもって陸上界のアイドル的存在であったことが重なっていると考察された。一方、小説のフィクションと事実とを混雑する作風について、寺尾姉妹の母は「二人を正直にモデルとしたような口ぶりさえも漏らしていたのであります。(中略)私は本人の意見を訊き父の教示をもって初めて今後スポーツをエンジョイすることに極めました。」(1928.『野球界』)と述べており、このことは姉妹の競技引退につながったと推察された。