日本体育・スポーツ・健康学会第73回大会

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体育史/口頭発表④

2023年9月1日(金) 14:45 〜 15:25 RY202 (良心館2階RY202番教室)

座長:冨田 幸祐(中京大学)

14:45 〜 15:25

[01史-口-04] 1988年第24回夏季オリンピック招致活動の研究

なぜ名古屋市はソウル市に敗北したか

*近藤 良享1 (1. 名古屋学院大学)

周知のように、1988年の第24回夏季オリンピック大会は「ソウル市」で開催された。だが、この1988年大会の招致に「名古屋市」が名乗りを上げ、開催都市を決定するIOC総会直前まで「名古屋市の勝利が確実だった」と記憶している人は、当時の関係者以外、ほとんどいないであろう。
 1981年9月30日、西ドイツのバーデン・バーデンでIOC総会が開催され、1988年第24回夏季オリンピック大会の開催都市として「名古屋市」と「ソウル市」の投票が行われた。結果、劣勢を覆してソウル市が招致を勝ち取り、大会開催権を手にした。
本発表は、まず「名古屋市」招致の発端、展開、そして招致失敗までを時系列に沿って詳述した後、その対照として「ソウル市」の招致活動を分析する。さらに名古屋招致の敗因とソウル招致の成功を比較検討しつつ、オリンピック招致の意味や価値を明らかにする。
 名古屋市の招致活動は東海3県と名古屋市の広域開催を目指した。革新市長と保守系知事の対立もあり、必ずしも一枚岩の招致活動ではなかった。他方でソウル市は、1979年10月の朴正熙大統領暗殺事件を捜査した保安司令官、全斗煥(後の大統領)が大統領命令を下し、韓国財閥を巻き込んだ軍事政権主導のオリンピック招致活動が展開された。
 東海地区の政・財界が中心に組織された名古屋市と大統領命令で活動が進められたソウル市が競い合った結果、「ソウル市」が招致を勝ち取った。ソウル市は、民主化運動の沈静化に悩む全斗煥大統領に2人の日本人がオリンピック招致を進言することが契機となり、さらに朝鮮半島の政治的安定を目指した人々の思惑も招致活動や開催都市「ソウル市」の決定に大きく影響した。
 この両市の招致活動を歴史的に分析することで、1980年代の朝鮮半島をめぐる政治情勢、国内政治との関連、オリンピック招致の表・裏舞台が浮き彫りになるであろう。